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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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130 ミステイク・チョコレート

 ゆかりさんと和樹さんが進展する前、和樹さんがゆかりさんにちょっかいかけて遊んでいた頃のおはなし。

 バレンタインフェアにむけ、街はピンクとチョコレートの香りに包まれていた。


 一週間限定の新商品開発のため、ゆかりは試行錯誤を繰り返していた。

 甘いものも提供する喫茶店として、チョコレート商戦に乗らない話はない。この時期ならではのチョコレート。その上、女性人気がうなぎのぼりである臨時男性店員を据え置けば……。


「完っ璧!」

「何が完璧でしょうか?」

 遅番で出勤してきた年上の後輩、件の男性店員――和樹が挨拶してきた。

 和樹は本業が休みの日に、少しだけ入ってくれている。老若男女が集まるこの店は市場調査にちょうどいいからリサーチさせてほしい、忙しいときは手伝うけれど給料はいらないという。そのかわり賄いはゆかりのお手製がいいと主張してきた。賄いを作るのはやぶさかではないが、それをお客さまの前で言われたゆかりは和樹目当ての女性たちの目の敵にされ、炎上するハメになった。


 それはそれとして、和樹さんは今日も笑顔が輝いているなと、拝みそうになった。出勤するたびに店を(主に売り上げを)大いに盛り上げてくれている。

 ときどき遊びにくる座敷童のわらしくんやカウンターの隅に鎮座している小さな招き猫の置物と同様、ご利益があるらしい。


「えっと、和樹さんがいれば、百人力って話です」

「それはありがたいですね。ん? これは、バレンタインデー向けの商品ですか?」

 カウンターに置いた商品を和樹は指さす。

「さようでございます! 私も和樹さんに負けてはいられません。新商品開発頑張りますよ!」

 和樹が考案したたまごサンドは絶品であった。今では喫茶いしかわの人気商品である。手間もかからず、極力原価を抑え、誰が食べても親しみが持てる喫茶いしかわのイメージをそのままにした商品――完敗であった。


「ほぉ――ゆかりさんのチョコレートを無数の男性たちが食すという」

「もうっ、なんて語弊のある言い方するんですか! みなさんお客さまですよ」

「僕も合法的にゆかりさんからチョコレートもらいたいです」

 ようやく炎上が落ち着いてきたところだというのに、そんな炎上案件に油を注ぎ薪をくべるようなことは避けたい。思わず難しい顔をしてしまった。


「じゃあ、この試作品でどうぞ。ついでに意見ください」

「ツレないですねぇ。僕はこんなにも、ゆかりさんのことを愛しているのに」

 笑顔のせいか胡散臭さが三割増しになっている。ゆかりは試作品の飲み物二品と水を差し出した。


「一品目は、カプチーノの中にチョコレートシロップを入れて風味を出しました。上にハート型のココアパウダーを振ったものになります」

「……では、いただいます」

 固唾を飲んで見守れば、和樹は満足そうに笑ってくれた。

「うん――美味しいです。チョコレートシロップにしたことで、風味も増して大人のお客様でも飲みやすいですね」

「そ、そうなんです! 最初はチョコレートソースにしたんですけど、どうしても味も重たくなるし、下に沈みやすくなって……なので、シロップを代用しました!」

 喫茶店なので、コーヒーの味を生かしたものを商品にしたかったのだ。ゆかりのなかで和樹の意見は信頼のおけるものだったので、素直に嬉しかった。


「それにバレンタインだから、ココアのハートです! これで、和樹さんがハートのファンサをすればお客様はイチコロ! バンバン売れます!」

「……僕は一体、ゆかりさんの中では何なんですか」

「……客寄せパンダ?」

「お客様の前で熱烈なキスシーンをお望みならば、そうしましょうかね」

 見たこともないほど、底の見えない瞳で微笑まれてしまった。炎上を避けたい気持ちと恐ろしい形相に怯み、すぐに訂正した。


「それで、もう一品は?」

「こっちは女性やお子さま向けです。ホットココアにハートのマシュマロを何個か乗せました。これなら手間もかからないですし、マシュマロの在庫が余っても別のデザートでゼラチン変わりになるかなと」

「確かに手間もかかりませんし、見た目も可愛いですね。商品は飲み物だけです?」

「当面はそうしようかなって。バレンタイン商戦が始まってしまったら、女の子たちは和樹さん会いたさに来店しチョコレート合戦、閉店後にドキドキ告白タイムが待っていると思うんですよ――だから、少しでも手間を省きつつ、バレンタインを醸し出すことを念頭に置いています」

「本当に怒りますよ? 前提がおかしいです」


 ゆかりとしては至って真剣に考えた結果である。おそらく、女性たちは和樹が出勤すればチョコレートを渡すであろう(和樹は断りそうな気もしているが)。退勤時間を狙い、裏口や表で待ち伏せをして、告白タイムに突入する可能性も加味していた。和樹という男は、たいへん――かなり女性人気が苛烈である。どうにも本人が魅力を適正に理解していないため、被害を受けるのはいつもゆかりであった。


「和樹さんこれまで生きていて、バレンタインデー何もなかったことないでしょう? 自分の魅力を理解してください。適正価格を認識して、大安売りはしないでください。格好良いし、優しくて、モテモテのイケメンさんなんですから……」

「ゆかりさんが僕のこと褒めてくれるのは嬉しいですけどね。好きな人にチョコ貰えない、振り向いてもらえなかったら意味ないよ。周りが騒いでいるだけです」

「ひょえ……。さすがイケメン発言が違う! お兄ちゃんなんて、いつも周りとチョコレートいくつ貰ったか騒いでいたのに」

 ゆかりは信じられない気持ちになりながら、試作品を飲んでみた。カプチーノのココアパウダーは少し減らしてみようかしら……など、改良点を見出していた。


「私なんて、バレンタインに好きな男の子に告白して、玉砕した記憶ありますけどね」

 和樹の手元から、食器が落ち――見事な動体視力と反射神経により、キャッチされた。

「学校で人気の男の子に渡したけど、やっぱり格好良い男の子にはいつだって、可愛い彼女がいるもんですよ」

「ほぉ……。そうですか」

「作ったチョコレートは美味しかったけど、涙と混じって青春の味になりましたよ」

「渡さなかったのですか?」

「彼女に誠実でいたいから、受け取れないって言われちゃってね。まあ、それもそっか~ってなりますよ。今となっては、青春の一ページです」


 ほとんど世間話のようなものである。和樹は誰が見ても素敵な男性だ。お付き合いをしている女性はいないと言うが、それに近しい女性はいるだろうと踏んでいる。わざわざこちらが無駄にボーダーラインを越える必要などないだろう。


 試作品を片付けながら、念のために常連客数人に試飲してもらってから本決まりにしようかと考えた。発注をどうしようかと悩む。

「和樹さんは、そういう甘酸っぱい話あります?」

 視線を投げると、少し困ったように眉を下げていた。


「――僕は、小さい頃に幼馴染のお母さんを好きになったことあります」

「まあ、かなりませていたんですね。可愛い」

 なるほど、包容力のある女性が好みかもしれない。

「小さい頃なんで、チョコレートをもらって馬鹿みたいにはしゃぎましたけどね。でも、その人優しいから近所の男たちみんなに渡していました。優しいところが美徳だと思いますが、そうやって誰に対しても愛を振りまくのは、幼心にして面白くなかったなと――再認識しています」


 再認識――ということは、今でもそういう可愛らしい嫉妬をするのかとぼんやりと感じ取ってしまった。和樹こそ博愛主義者のような人物なだけに、驚いてしまった。

「バレンタインか……。和樹さん本当大変そう」

 改めてバレンタインデーのことを考えたが、和樹は商店街のアイドル的存在だ。小さい女の子からマダムから、あらゆる女性の人気を掻っ攫っている。手作りチョコから有名ショコラティエのチョコレートまで、いろいろと貢がれるのだろうと想像をした。


「自分の心配はしないんですか?」

「私? ないない。あげるとしたら、家族と喫茶いしかわのバイト仲間の谷口くんと長谷川くんぐらいです」

「――なんでさらっと僕がいないんですか。ふざけているんですか?」

「至って真面目ですよ! なんてこと言うんですか」

「そっちこそ。僕はゆかりさんと仲良しだと思っていました……チョコレートもらえないなんて酷いです」

「和樹さんは私がもらう一生分のチョコレートを受け取ります。その日もいっぱい職場の方とか取引先の方とかマダムとか女子高生とか――今さら私のチョコなんて必要ないですよ」


 同僚のよしみとして最初は数に入れていたが、今さらチョコを渡す理由もなかった。

 和樹は珍しく面白くなさそうな顔をして、料理の仕込みをしていた。前髪の隙間から覗く瞳が神秘的に見える。


「――エルキュール・ポアロが唯一、失敗した話知っていますか」

 突然、和樹が野菜を刻みながら言い放った。ザクザクという音が室内に響き渡った。

「えっと……あれですか、『チョコレートの箱』ですよね」

「さすがゆかりさん。よくご存じですね」


「まあ……本は好きですし、むかし教養として読みましたよ。ポアロが唯一失敗した事件をヘイスティングス大尉に話すやつですよね」

「ええ。僕は今そんな気分です」

「自惚れているの? それとも、チョコレートの箱と蓋を間違えた?」

「違います。――手がかりを見つけたのに、それをちゃんと活用できずに事件を迷宮入りにしてしまいそうってことです。事件は解決していましたけど」

「それは難儀ですねぇ」

 ゆかりは呆れたように笑った。どうやら、自分がチョコレートを渡さないのが面白くないらしい。


「最初の違和感を大事にして、謎を追求せねばならない教訓の話です」

「いやいや、ポアロが自惚れてしまったら『チョコレートの箱』と言って、戒めなさいっていう話ですよ。名探偵」

「名探偵はそんな助言すら聞き間違えるから、意味ないよ。僕の大尉」

 この同僚のことを推し量れずにいたが、ますます不思議な人だなと感じてしまった。そうした部分も魅力の一つであろう。


「僕の最初の失敗はゆかりさんのことを、見くびっていたってことです」

「え? 私のこと?」

 突然自分の名前が出てきたことに驚いてしまった。垂れた目を大きく見開かせてると―ー


「僕は――君だけの愛がほしい」

 急に掴まれた手がやけに熱くて、顔があげられなかった。とても近い距離で囁かれたような気がした。

「誰にも愛を振り撒かないで」

 チョコレートが溶けそうな熱さも感じた。


「和樹さん」

 ゆかりはつぶやいた。

「そんなに私のチョコレート欲しいんですか?」

「おや、バレてしまいましたか」

 和樹はすぐに体が離れた。


 敵は味方にいる……バレンタインの売り上げは、正直この男にかかっているのだ。煽てておいて損はない。

「もう――参りました! バレンタインはチョコレート用意しますので、和樹さんちゃんと出勤してくださいね!? 喫茶いしかわの売り上げは和樹さんにかかっています!」

「まあ、突然、緊急の仕事が入らなければ大丈夫です」

「暗にドタキャンの予告されている――!」


 甘いチョコレートと豊かなコーヒーの香りを振りまきながら、(きた)るバレンタインデーに向けて動き出すのであった。


 先日、お菓子を作らせるかまどの番組でやってたんですよ、ポアロのチョコレート。

 そういえばそんな話あったなぁ……と思ったら、こんなお話に仕上がっておりました。


 仕事に使う情報のリサーチがてら喫茶いしかわのお仕事手伝ったら、ゆかりさんとの距離が縮まって、あわよくばチョコレートももらえるかなあと思ったら、見通しが甘かった(笑)


 和樹さんのたまごサンドは、削り節と昆布茶で出汁巻風にしたたまご焼きを、味噌と練りがらしを混ぜたマヨネーズをぬったパンにはさむちょい和風のサンドイッチです。

 ちなみにそれまでの喫茶いしかわでは、喫茶店ではオーソドックスな、茹で卵にマヨネーズ混ぜたのを提供してました。

 (とはいえ京阪神の老舗喫茶店だと厚焼きたまごのサンドイッチはわりと普通なのですが……)


 余談ですが、この時点で和樹さんの胃袋は当然ゆかりさんに鷲掴みされてます。そしてゆかりさんも、和樹さんが店員として入ってくれているときに作ってくれる賄いの数々に魅了されまくっております。

 和樹さんではなくその料理にはしっかり惚れているのです(笑)

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