124 恋人たちの餃子パーティー
ゆかりさんが初めて手作り餃子を作ったときのお話。
「おかえりなさい!」
「ただいま戻りました」
自宅の扉を開ければ、待ち構えていたかのように笑顔で出迎えてくれる彼女は、見慣れたエプロン姿だった。まあ、喫茶いしかわのエプロンではなく、自前のもののようだけれど。
この玄関で数度交わされたこのやりとりは、日常になりつつある。
ああ、彼女に合鍵を預けて本当に良かった。
「ゆかりさん、帰ってたんですね」
「はい、今日は午前中だけのシフトだったので」
「午後はゆっくりできましたか?」
「はい!」
「それは良かった」
至極機嫌よく、語尾に音符が付きそうな勢いで答えたゆかりさんを、靴を脱ぎ終え振り返る。すると、そこには想像通り笑顔の彼女が。
喫茶いしかわに通い始めた頃から、その笑顔を見ると心の奥がじんわりと温かくなるのは変わらない。
「なんだか和樹さん、お久しぶりですね」
「この間、一度着替えを取りに帰って来て、ついでに喫茶いしかわにも寄ったけどゆかりさんいなかったから」
「いつですか?」
「水曜日」
「何時頃ですか? お昼?」
「うーん、朝の十時ごろかな」
「あー、その日はランチからの勤務でしたねぇ」
「そうですよね。マスターに聞きました」
彼女がいつでもいる気がしていた店にいなくて少しがっかりしたことは、誰にも言わない。
「和樹さん」
「はい?」
「今日は何徹目ですか?」
ふたりでリビングにたどり着くやいなや、疑いの目で聞いてくる彼女を安心させるように微笑みながら答える。
「今日はね、ゼロ徹です。昨日は職場の仮眠室でちゃんと寝たから」
「よかったぁ」
ふにゃ、と彼女の顔がほころぶ。
まあ、その前が五徹だったから、というのは言わないでおこう。
「お風呂沸いてますよ! 上がったらすぐにご飯にしますか?」
彼女はそう聞きながら、ごく自然な所作でスーツの上着を受け取った。
時計を見ると、十八時を少し過ぎたところ。ゆっくりお風呂に入って、すこし落ち着いてからでもいいだろう。
「いや、すぐじゃなくていいです」
「じゃあ七時くらいを目処に準備しますね」
ハンガーに上着をかける後ろ姿を見ながら、むず痒い気持ちに陥った。
なんだこれ。まるで、新婚夫婦のソレみたいじゃないか。
風呂は四十度より少し高い、僕好みの熱い風呂。
浴室には女性もののシャンプーやボディーソープが並び、甘い匂いが漂っている。
なんだか逆上せそうで、早めに浴槽を出た。熱い風呂には慣れているはずなのに。
濡れた頭をタオルで抑えながらリビングに戻ると、ゆかりさんはローテーブルで何かを作っていた。
これは、餃子?
「こんなにたくさんどうするんですか?」
さっきは気づかなかったが、ローテーブルには手作りと思われる餃子が所狭しと並んでいる。しかも、未だゆかりさんが生産中だ。ボールいっぱいにタネがある。
まさか、今夜全部食べるとか言いださないだろうな。
「いっぱい作って冷凍しておこうと思って。そうしたら、食べたいときに食べたい分だけ解凍していつでも食べられます!」
よかった。得意げに話すゆかりさんに、ほっと胸をなで下ろす。
「僕もやっていいですか?」
「もちろん!」
彼女にならい、皮を手に取りタネをスプーンでのせる。水を皮の半分に塗って折り、ひだを作る。
「わ、さすが! やっぱり和樹さんって器用ですよね」
「ふふ、ありがとうございます。ゆかりさんは、餃子はどうやって食べる派ですか?」
いつもより口調を明るくしてそう聞いた瞬間、ぱあぁ、と顔が晴れていく。
本当に彼女は単純明快で。一生、見ていても飽きない自信がある。
「私は焼きですね! 和樹さんは?」
「僕は蒸しかな」
「あ、水餃子も捨てがたいです!」
「揚げ餃子もいいね」
「いいですねー! でも今日は水餃子にしましょう」
「なんで?」
この流れだと今夜は焼き餃子かと思ったのに。
「和樹さん、あまり寝てないんでしょう?」
お見通し、と顔に書いてある彼女はゼロ徹と言ったばかりなのに見抜いていたらしい。
たしかに、今夜は揚げ餃子や焼き餃子の気分ではないかもしれないな。
「でも、今夜は水餃子しかありませんよ? まさか今夜和樹さんが帰ってくるとは思ってなかったので、なにも準備してなくって」
「すみません。急に帰れることになったので」
「直前でもいいので、帰れるときに、できれば連絡くださると助かります。晩ごはんの準備をしておきたいので」
私、一応家事を任されてる身ですから、と餃子を包んでいた手でそのまま胸をバンと叩くもんだから、彼女の胸に白い粉が付く。
そういえば言ったな。
『数日家を空けるときに、簡単な家事……というかブランの餌やりと空気の入れ替えでもしてもらえれば助かります』
自分で言っていて忘れていた。あのときは、とにかく彼女が素直に合鍵を受け取ってすんなり使ってくれるように説き伏せようと必死だったから。
「次からは連絡いれます」
「助かります」
満足げに笑う彼女に何もかもがどうでもよくなる。
「野菜いっぱい入れて、お鍋みたいにして食べましょうね! あ、冷蔵庫に豚肉もあったはず……」
屈託なく笑う彼女を見ていると、難しくあれこれ考えている自分が馬鹿らしくなる。それは、喫茶いしかわの常連客として味わう安らぎと近しくもずっとあまやかなもので。
この先のこととか、色々と考えることはあるが、いったん思考を手放すとしよう。
とりあえず今は、せっかくのこの平穏を失わないように。
ということで、初めて餃子を手作りした理由は、
「なかなか帰れない和樹さんでも冷凍餃子なら、肉も野菜もたっぷり食べられるし、ダメにする前に食べきれるはず!」
でした。
せっかくお惣菜を作りおきしても、一週間帰ってこないんじゃ、冷蔵庫ではダメになっちゃう食材多いもんね。




