122 リップサービス
「ありがとうございましたー!」
閉店時間になり、最後にいた客を見送って一息つく。
「ゆかりさん、お疲れさまでした」
「和樹さんもお疲れさまでした! 今日は一日ずっと忙しかったですね」
和樹さんは、いわゆる恋人になってから、たまに喫茶いしかわを手伝ってくれるようになった。
今日は和樹さんが久々に出勤したためか女性客がいつもより多く、ランチから閉店までお客さんの波が引かなかった。
テーブルを拭き終え、肩をぐるぐる回して今日一日の忙しさを思い出す。
ランチでは和樹さん目当てのマダムたちがひっきりなしに、夕方になると女子高校生たちがひっきりなしに来て、なかなかの客足だった。
女性客は私と和樹さんが少しでも話すとじっと見てくるし、和樹さんがほどけかけていた私のエプロンを結び直した時なんて睨んできたのだ。
マダムたちはともかくとして女子高校生のコミュニティーを舐めてはいけない。この前だって喫茶いしかわの買い出しを二人でしているだけで炎上したのだ。
JK恐るべし、炎上恐るべし。
はぁーと大きなため息をつくとカウンターで食器を片づけていた和樹さんの笑い声が聞こえた。
「すいません、ゆかりさんの百面相を見てたら楽しくて」
「ちょっとそれどういう意味ですか。そんな変な顔してました?」
「いえいえ、とても可愛らしかったので」
「またそんなこと言って、子供扱いしないでくださいよ」
「すいませんでした。お詫びにコーヒーを淹れましょう。疲れたゆかりさんの為にたっぷりミルクを入れますよ」
お言葉に甘えてカウンターの前の席に座り、慣れた手つきでコーヒーを準備している和樹さんをじっと見る。無駄な動きは一切なく、喫茶いしかわでいつも淹れている私よりスムーズだ。
喫茶いしかわ名物扱いされている和樹さん特製ハムサンドにケーキを頼むお客さんばかりだし、コーヒーだって私より上手く淹れちゃうし、お客さんたちにも大人気だ。
しかもこんなにイケメン。
むぅ、私の方が喫茶いしかわ歴長いのになぁ、と考えているとまた和樹さんの笑い声が聞こえた。
「ゆかりさんまた百面相してましたよ」
「もうっそんなに見ないでくださいよ! 昔から思ってたことがすぐに顔に出ちゃうんですもん」
「ずっと僕の顔を見ながら百面相をしていたのでつい。はいお詫びのコーヒーです。冷めないうちに召し上がってください」
目の前に置かれたコーヒーからはとてもいい匂いがする。
淹れる前に言っていたとおり、ミルクたっぷりだ。
一口飲むと優しい味が口の中に広がり、今日の一日の疲れが落ち着いた。
「おいしいです! なんで和樹さんのコーヒーはこんなに美味しいんですか? 私こんなに上手にコーヒー淹れられたことないですよ」
「そんなことないですよ。僕はゆかりさんが淹れてくれるコーヒーの方が好きだけどな。飲むとほっとして落ち着きます」
カウンター越しの和樹さんは優しく目を細めて言い、私はちょっとドキッとしてしまう。イケメンって恐ろしい。
「和樹さんはいつもリップサービスしてくれますよね。いいんですよそんな気を使ってくれなくて」
「そんなつもりないんだけどなぁ、本当のことですよ。そういえばさっきの百面相は何だったんですか?」
「そんな百面相って連呼しないでくださいよ! ただ炎上とJKとイケメンは怖いなと思って」
そう言うと和樹さんは頭にハテナを飛ばした。この言い方だとちょっと飛躍しすぎたかもしれない。
「いえ、私が両手にお皿を持っていて手が塞がってる時にエプロンの紐解けそうで、和樹さんが結び直してくれた時あったじゃないですか。そしたら女子高生達から睨まれちゃって」
「そうだったんですか。気づかなかったなぁ」
そう言い和樹さんは自分が淹れたコーヒーを飲む。コーヒーを飲む姿だけでもこんなにもかっこいい。これは女性客が和樹さん目当てでくるわけだ。
「和樹さん自分の顔をもっと自覚してくださいよ! この前の買い出しの時も炎上しちゃったし、今回のエプロンも私のためとはいえ炎上案件でしたよ。今どきのJKとかマダム達とか怖いんですからね! しかも結び直してくれた時に和樹さんったらゆかりさんのエプロン姿はやっぱり可愛いですねとかリップサービスも言ってくるし」
和樹さんがそう言った後の店内の空気は一気に二度は下がっていたと思う。すぐにJKたちがものすごい勢いでスマホを操作していたのを見たときはもう何も考えないことにしていた。
「ゆかりさんが思ったことを顔に出すんだったら、僕は思ったことをすぐに言ってしまうんですよ。それに今日は男性女性客は半々で、男性客のほとんどはゆかりさん目当ての人だったと思いますよ?」
「違いますよ、和樹さんのハムサンドとかコーヒー目当てですよ。」
「……ゆかりさん、さっき言ってたエプロン結び直した時の男性客の顔見てました?」
「いえ、何かありました? もうJKたちの炎上が怖くて怖くてそればっかり見てました」
「いえいえ、何もありませんでしたよ。さぁコーヒーも飲み終わりましたしそろそろ帰りましょうか。もう遅いですからね」
ひょいっと私が飲み終えたコーヒーカップを下げ片づけてくれる。こういうスマートさがまた大人の余裕って感じでくやしい。
「そういえばさっき言っていた怖いイケメンって僕のことですか?」
「他に誰がいるんですか。和樹さん目当ての女性客も多いし、喫茶いしかわ歴私より短いのに仕事できちゃうところとか、今だってさりげない気遣いとか、もう全体的にイケメンですよ。だから軽々しくリップサービスすると余計に炎上するんですよ」
そう言って和樹さんを見ると心なしか喜んでいるようだった。
以前の和樹さんはいつもにこやかだけど一線を引いている感じがしていた。でも今はそんな雰囲気はなくなっている。
「ゆかりさんにそう言ってもらえるなんてすごくうれしいですよ。可愛いゆかりさんに褒めてもらえるといい気分です」
「和樹さん! だからそういうリップサービスですってば!」
閉店した喫茶いしかわでは和樹さんの笑い声が響いていた。
ふたりのお付き合いはコアな常連客しか知らなかった頃のお話。ゆかりさんもマスターも、わざわざ言いふらすことはないでしょうしね。
徐々に知られていくうちに、「もう結婚しちゃったらしいよ」「マジ?」みたいな情報伝達されていったと思われます。
ところで、この和樹さんの発言ってリップサービス……なのかな?(苦笑)
私が言うのもなんですが、通常運転にしか見えませぬ。




