121 ランドリーで
「4 梅雨明けのプラムサイダー」カップルさんの数年後のお話。
「あ!」
被った声に目を見開く。見れば相手も驚いたような顔をしていて――まるで幽霊にでも遭遇したかのような表情だ――を浮かべている。
第三木曜日の真っ昼間。本日の天気は快晴。
場所は町内のコインランドリー。
明日、約一カ月ぶりに逢えることが決まっていた最愛の彼女と一日早く遭遇してしまった。なんとも不思議な偶然があったものだ。
昨日の雨の名残か、店の入口には大きな水たまりができていて水面に彼女とまったく同じ顔つきをした男の顔が映っている。驚きと喜びと。色んな感情が入り混じった顔。
圭輔は大股で水たまりを飛び越えて、彼女のいる店内に足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇
ゴウンゴウン。
「久々に晴れたから今日は何回もまわしてやるー! って思ってたのに、急に動かなくなっちゃったの、ウチの子」
二台の洗濯機が勢いよく回転する音に張り合ってか、いつもより大きな声で隣に座る夏実が教えてくれた。聞くところによれば、一人暮らしをする時に実家の洗濯機を譲り受けたのだという。ちょうど買い換えるタイミングと被ったからもらったんです、と夏実は笑った。
洗濯機を「ウチの子」なんて茶目っ気たっぷりに言うところが彼女の可愛らしさでもあるよなぁと妙な感心をしつつ続きを促すと、夏実は思案するように大きな瞳を天井に向けた。
「多分今年で十年目くらい……なのかな? 最近ちょっと調子悪かったからそろそろかなぁって思ってたとはいえ」
「とうとう?」
「うん。とうとう。それにしてもいきなりすぎてびっくりしちゃった」
「電化製品あるあるだ」
「あるあるです。……ところで圭輔さんはどうして?」
「実は、僕のうちの洗濯機も調子悪くて」
「そうだったんだ」
「うん。突然動かなくなったから参りました」
「そっかあ。それにしても偶然とはいえ凄いよね。まさかの同じタイミング」
「ですねぇ」
「こんなところまで息ぴったりなんてなんだか嬉しい……けど、うーん……かなり痛い出費だし喜ぶところじゃないか」
「そんなことないよ」
てへへ、と照れ笑いを浮かべる夏実があまりに可愛らしくて、つい頭に手が伸びてしまう。肩より少し下まであるセミロングの髪は艶やかで、撫でてみると肌触りが良い。圭輔の指が小さな耳たぶに触れると、彼女はくすぐったそうに身じろいだ。
平日の真っ昼間なだけあって、コインランドリーには圭輔と夏実のふたりしかいない。壁に追いやられていたパイプ椅子を仲良く隣同士に並べて、他愛もない話をしている。明日にならないと逢えないはずの彼女と逢えたこと。そんな小さな偶然が幸せだと思う。彼女も同じように思ってくれているだろうか。思わずじっと見つめると、夏実はまるでこちらの心を読んだかのように前歯を出して悪戯っぽい表情を浮かべた。
「圭輔さんに一日早く逢えちゃった……うれしいな」
「うん。僕も嬉しい」
「えへへ……」
「今日は、この前休日出勤した分の振休でね。本当はこれがひと段落ついたら夏実に連絡しようと思ってた」
「そうだったのね。嬉しいけど……お休みは、ちゃんと休んでね?」
夏実の髪を撫でる圭輔の手に細い指が重ねられ、そのまま頬に誘導される。温かな肌の体温と柔らかな声が交わってなんともいえない感情が湧きあがり……胸の奥がきゅっと委縮したのがわかった。
圭輔の手に重ねられていた温かな手が離れ、今度はこちらの頬に夏実の指が触れる。お互いに頬を撫で合うという姿がなんだか恥ずかしくて。それは夏実も同じだったようで。ほぼ同時にぱっとそれぞれ指を離してしまった。夏実の手は彼女のデニムの膝の上。圭輔はといえば居場所を失った手をごまかすように腕を組む。
ゴウンゴウン。
言葉少なくなったふたりなどおかまいなしにランドリーは回り続ける。乾燥までまだまだ時間がかかりそうだ。なんとなくふたりとも黙っていたら、突然「あ!」と夏実が声をあげて、圭輔のシャツの裾を引いた。
「どうしたんですか?」
「そういえばね。あまりにびっくりして言い忘れちゃってました」
「うん? なにを?」
「泊まり仕事だったんだから、おかえりなさいって言おうと思ってたの。それと圭輔さん、お仕事お疲れさま!」
「……ありがとう……ただいま」
ふと、彼女と一緒に暮らす未来を想像した。「ただいま」と「おかえり」を対等に言い合える存在になれたら。ふたりで笑ってはしゃいで……いつかそんな日が来るのだろうか。
ぼんやりと考えていたら、こつんと肩に僅かな重みを感じた。目線を向けると夏実の頭が圭輔の肩にもたれかかっている。
「眠くなっちゃいましたか?」
「うん……なんだかここ……あったかいし……ふぁ……」
「まだしばらくかかりそうだし……眠っていていいよ」
「ん……でも……せっかくけーすけさんと……いっしょなのに」
「ちゃんとここにいるから。安心して」
「うん……あ……ねぇ、けーすけさん」
夏実の声はもう半分眠ってしまっているかのようにとろりと柔らかい。くす、と笑って「なに?」優しく訊ねた。
「……ね。ずっとここにいてね」
その言葉のあと肩の重みが一層深まった。圭輔の返事を待たずに眠りに囚われてしまったらしい。
「ずっとここにいて」なんて。今にも溶けてしまいそうな甘い響きを反芻する。
「うん……約束するよ」
もたれかかった夏実の髪の上に自分の頭を重ね合わせて、半身を彼女に預ける。聞こえないだろうと知っていながらも、返事をせずにいられなかった。
◇ ◇ ◇
「わぁ! ふっかふかの仕上がり! 乾燥機ってすごい……」
仕上がったタオルに頬ずりしてはしゃぐ夏実を横目で見つつ、自分の洗濯物をランドリーバックに放り込む。すっかり目が覚めた夏実は朗らかで元気そのものだ。圭輔さんも! 触ってみて! 差し出されたタオルは熱気に包まれていて、正直いうと柔らかさを堪能できる状態ではなかったけれど、キラキラと期待に満ちた瞳には逆らえるわけもなく。なんとか肌触りを確かめる。
「……確かに。柔らかいな」
「でしょ? ……これはクセになる柔らかさ」
「まさかここまでとは……」
「しかもなんだかおひさまの匂いがしない?」
「そういわれてみれば……」
「ね! 実は、新しい洗濯機は乾燥機付きにしようかなって。ちょっとお高くなるから迷うけど」
「いい案だと思う。雨の日でも気にしなくてすむし」
「圭輔さんのお墨付き! やったぁ」
夏実は瞳を三日月型に細めて嬉しそうにしている。
まるで真夏に咲く大輪の向日葵のようだ。昔からなにひとつ変わらない眩しい笑顔。愛しいと……ずっと隣で見ていたいと思う彼女の笑い顔。ふいに湧いた感情が、脳で考えるより先に口から滑り落ちた。
「洗濯機……もう新しいの、注文しちゃった?」
「ん? まだ、だけど」
「よかった」
「え?」
「乾燥機付きの洗濯機、僕も買おうと考えていて」
「あら、そうなの?」
「うん」
「……あれ?」
「いや、買うなら……一つでいいかなって……おもっ……て」
「……それ、は」
ぽかんとした顔でこちらを見上げる夏実と目が合って、言葉にしてから自分が何を言ったのか気づいた。
……僕は、なにを。いきなり。じわじわと顔に血が集まっていく。
けれど沈黙が流れたのは一瞬のことで。赤面する圭輔と呆け顔の夏実は黙ったまま見つめ合ったけれど、すぐにどちらからともなく「ぷっ」と吹き出す。夏実のまあるい無垢な瞳が幸せそうにゆるゆると細められていくのがわかって、やっぱりこの笑顔をずっと見つめていたいと思った。顎をかき、視線を斜め上に逸らしてから独り言のように呟く。
「あらためていうと……照れるな」
「ふふふ。照れ屋さんな圭輔さんも、私はすきですよ」
垂れた目元を下げてにっこり笑い、夏実は片方の耳に横髪をかけた。ふっくら盛り上がった頬が少しピンク色に染まっているように見えるけれど、なんだか彼女のほうが余裕があるみたいだ。
姿勢を正して視線を目の前の大切な人に戻す。きらりと輝く夏実の瞳には圭輔だけが映っている。おそらく圭輔の目にも夏実だけが映って見えるのだろう。彼女が瞬く前に、むき出しの頬にそっと触れた。なめらかな肌がいつもより少し熱い。
「水島夏実さん」
「はい」
夏実の声が少し、震えている。
……ああ、もしかして。きみも照れていたのか。
お互いの密やかな緊張に気づき、ふたり同時にゆっくり微笑みあう。
「一緒に暮らそう。……僕と結婚してくれませんか?」
「えっ」
「えっ」
「いや……あの……てっきり……どう、せいのお誘いだけ……かと」
「……あ」
「けっこん、て」
やってしまった。つい、思ったままを口にしてしまった。いくらなんでも今言うべきことじゃないだろう……! いや、彼女が頷いてくれるのならば結婚を申し込むつもりだったけれど。ここはコインランドリーで、夏実も圭輔もとくにかしこまった服装をしているわけじゃなくて。それに……そうだ、指輪。指輪も用意せずにプロポーズしてしまうなんて……なんということだ。夏実の頬から慌てて手をどかして自分膝の上に握り拳を作り、勢いよく頭を下げる。
「……急に申し訳ありません。不快な思いを……」
「どうしてそうなるの!?」
下げた圭輔の頭の上に慌てた夏実の声が響く。顔をあげてくださいと言われて、おそるおそる顔をあげると、仕方ないなぁと少し呆れ顔の視線と目が合った。どうやらまだ嫌われてはいないようだ。
「んもう。圭輔さんは早とちりさんですねぇ」
「……すみません」
「あやまらないでよ。ちょっと驚いただけなの」
「うん……」
「びっくりしちゃったけど……すごくうれしいのよ」
照れて下がった目尻がキラリと光る。彼女は笑いながら……少し泣いていた。
「酒井圭輔さん」
「はい」
ついさっきと立場が逆転した状態で、夏実の掌が圭輔の拳に重ねられて。
触れた指先から彼女の答えが伝わってくる。
「……一緒に暮らしましょう。私を、あなたのお嫁さんにしてください!」
うふふふ。ということで、プラム回カップルさんのその後でした。
このふたり、このお話のためにお名前が付きました(笑)
おつきあいの時の告白ほどはシチュエーションが締まらなかったけれど、ランドリー以上のアツアツがぽわんぽわんと……くふふ。
でも普通のプロポーズするより披露宴で紹介するエピソードとしてはお話しやすいと思うよ?
このふたりの披露宴ならきっと、ファーストバイト(ウェディングケーキをお互いにあーんするヤツ)の延長戦で、告白のときの『恋するプラムセット』が出てくるでしょうね。




