118 マリッジ・ミー!~環の場合~
長田夫妻のプロポーズはこんな感じでした。
「絶対幸せにしますから、私と結婚してください!」
それはあまりにも突然で、今直ぐ死んでも良いと思える程の強烈なプロポーズだった。
「え?」
「私と結婚してください!」
正面の席から向けられた、冗談とは到底思えない真剣な眼差し。
「いやいやいやいや。ちょっと待って。いきなりどうしたの? 環さん」
開店したばかりの、昔懐かしいジャズ喫茶。しかも人が来ない角のボックス席。当然周りには他の客も店員もいない。
「嫌、ですか?」
「えっ、嫌なわけないけど」
「じゃぁ、してくれます?」
グイッと彼女が身を乗り出す。
「……あのさ、俺達まだ付き合って間もないよね?」
この店で彼女と出逢って一年。紆余曲折を経て付き合い始めてから三ヶ月。
突然降ってきた願ってもない申し出に、今にも小躍りしたくなる気持ちを抑えながら、俺は至極冷静に言葉を返す。
「そんなのは関係ないです」
「うん。そうだよね。時間なんて関係ないよね」
何処か怒っているようにも見える彼女。一体全体どう言うわけだ。
昨晩、彼女から連絡があった。『お仕事お疲れさまです。明日、会えたりしませんか?』と言った内容で。
俺の仕事を考えてか、彼女から連絡が来ることは殆どない。だから、もう嬉しくて。必死で仕事を片付け事情を聞いてきた同僚や後輩に全部押し付けて、ウキウキしながら朝イチで会いに来たのに。まったく訳が分からない。
「えーと、でも何で急に結婚?」
取り敢えず一旦思考を落ち着けようと、深煎りのコーヒーを口に運ぶ。
「だって、長田さんお見合いするんでしょう?」
「ぶっ!」
瞬間、盛大に吹き出る黒い液体。
「ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ! えっ? ちょっと、え? 何で知ってるの?」
すかさず差し出されたお手拭きで、慌てて口元を拭う。
「修司くんが」
「修司くん?」
「田原さんに聞いたって」
突き刺さる彼女からの視線。
…………何てこった。
あんのクソガキ! 田原あぁぁああっ!
お前ら余計な事言いやがって!
「本当なんですね?」
「うん、あの、環さん」
額から流れる汗。カラカラに乾く喉。
まずい。一体どうやってこの状況を乗り越えれば良い。考えるんだ。考えろ。いや、でも、俺は何にもやましいことなんてしていない。むしろ被害者だ。お見合いなんて、誰がしたくてするものか。そうだ。そう言えばいい。事実をありのまま言えば良いじゃないか。
覚悟を決めて、俺は真っ直ぐ彼女を見つめる。
「でも、上司に無理やり言われて仕方なくなんだ。嫌だって何回も断ったんだけど、あの手この手でいつの間にか逃げれない状態まで追い立てられて。お見合いって言っても、上司の顔を立てるための接待みたいなものだから」
そう。これはエリート社会の馬鹿げた縮図。縦社会の組織では、独身男には逃れる事の出来ない定め。
俺はきちんと交際報告もしていたし、上司たちだって知っていた。なのに、更に上のお偉いさんからのご指名だか何だかで、こんな仕打ちを受ける羽目になってしまった。
「駄目です。駄目! 絶対駄目! だって会ったらその人、絶対長田さんのこと好きになっちゃう!」
「え、いや、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないですよ!」
興奮気味に話しだす彼女。
「良いですか? 長田さんはもうちょっと、自分がどれだけカッコよくてモテて、周囲の女子をキャーキャー言わせてるか自覚するべきです! なんで長田さんはそんなに自分の評価にポンコツなんですか!」
ビシッと俺を指差して、そう言い放つ。
いや、これって俺褒められてんの? 貶されてんの?
「だから、大丈夫だって」
「なんでそう言い切れるんですか!」
「俺モテないもん。環さんが心配するようなことは、絶対ないよ」
「全然信じられないんですけど」
「なんで?」
「なんでって……長田さんがモテないわけないじゃない」
「残念。それがモテないんだ」
「嘘!」
「嘘じゃないよ。だって、俺優しくないし。愛想もないし、口は悪いし」
「信じられません」
何言ってんだコイツとでも言いたげな彼女の顔。
なるほど、合点がいった。どうやら修司くんから俺のお見合い話を聞きつけた彼女は、俺が相手に気に入られることを非常に恐れてくれているらしい。
うん。これは嬉しい大誤算だ。修司くん、田原。さっきは文句なんて言って、本当に申し訳なかった。心から陳謝する。そして、ありがとう。
「本来の俺は、こんな感じだよ?」
「え? でも、そりゃたしかに愛想ない時とかぶっきらぼうな時もあるけど、基本的に長田さんってすごく優しいじゃないですか。身長もあって、顔立ちも平均以上には整っているので、マイナス要素がないですよ?」
苦笑しながら告げた俺に向けられた、初めての彼女の嫉妬。嬉しくて、今にもタップダンスでも踊り出したいくらいの勢いだ。
だって俺なんて、彼女に言い寄ろうとする輩を必死で排除してきたのに、彼女からは嫉妬どころか、『長田さんすっごいモテモテ!』なんてのほほんとした感じで言われるだけで。それに、俺がどれだけ傷付いて来たか分からない。
「それは、環さんだからだよ。俺が、君に嫌われたくないから。君に好かれたいからさ。好きな子に、冷たくするような馬鹿はいないだろう?」
それが、まさかこんな日が来るなんて。ようやく俺の苦労も報われると言ったところだ。
これも田原、お前がうっかり口を滑らしてくれたお陰だな。俺は本当に良い部下を持ったものだ。暫くは、お前に優しくしてやるからな!
そんなことを考えながら、俺は頬杖をつき満面の笑みで彼女を見る。
「でも、環さんから言ってくれるとは思わなかったなぁ」
「え?」
「俺、子供は男の子と女の子の一人ずつは欲しいんだよね。あ、一軒家も建てちゃおうか? 大きな犬も飼える広い庭もつけてさ。そういうベタなホームドラマみたいなの、昔から憧れてたんだよね」
「な、長田さん?」
俺の意図する事が分からないのか、困惑げな表情の彼女。
「だって、幸せにしてくれるんでしょ?」
だから俺は、あのイケメン上司を参考に、あざとさを前面に意識して。小首を傾げ、上目遣いに究極の一言を言い放つ。
「えぇ! 勿論ですよ!」
そして、すべてを察知したらしい彼女が、惚れ惚れする程男らしい盛大な迫力でそう言った。
うはは、まさかの環さんのゴリ押しで成立しておりました。
長田さんも周囲も和樹さんを見慣れすぎてて自己評価があまり高くないのですが、実は平均以上の有能さんです。「うん、知ってた」って反応になってほしいな。少なくとも仕事中の和樹さんがゆかりさん絡みで暴走するか否かのコントロールは長田さんにかかっています。それだけでもとても有能(笑)




