113 湯気がたつほどの
テレビからは、毎年この季節になるとやっている、音楽番組が流れている。早く帰宅できた今日は、音楽番組を見ている彼女を、後ろから抱え込むようにして、二人してソファでくつろいでいる。抱き締めている彼女が、リズムに乗っているのを感じて、顔を覗き込むと、テレビの曲に合わせて歌詞を口ずさんでいる。僕は初めて聴く曲だ。
「好きなの?」
「好きというか……CMでよく流れてるんですよね。ドラマの主題歌みたいで」
テレビに映っているのは、アンニュイな見た目のシンガーソングライターの男。ナヨナヨしていて、正直好みではない。ゆかりさんが興味を示している男は、総じて好みではないが。
「……ふーん」
「どうしました?」
「いや、嫉妬するな、と思って」
「ええ……」
困惑していると言った表情で、こちらを見つめてくる彼女。相変わらず、アンニュイな男は、アンニュイな歌を歌い続けている。鬱陶しくなり、横に置いてあったリモコンでテレビを消す。
「あっ」
「……気に入らないので、消しました」
「ええ……好きってわけじゃ……。それに、テレビの中の人に、嫉妬……」
「悪いですか?」
「いやいや、そんじょそこらの俳優さんよりかっこいいですって、和樹さんは」
突然の告白に、一瞬、間が空いてしまった。
「ゆかりさん、かっこいいと思ってくれてるんだ、僕のこと」
「もちろん」
「ふーん」
ゆかりさんの首元に顔を埋める。耳が熱い。ゆかりさんは、直接言葉で気持ちを伝えてくることが少ない分、たまに伝えてきた時の、破壊力がすごい。予想外の方向からの攻撃に、タジタジだ。
「照れてるんですか?」
面白いものを見つけたように、聞いてくる彼女。顔が見えないからわからないが、面白いものを見つけた時の表情を、しているに違いない。
「……そんなんじゃないよ」
「ふふ、お茶淹れてきますね」
そう言って彼女が席を立った後、片手で顔を覆う。彼女は大人だ。つついてほしくないと思うと、そっと身を引いてくれる。そんなに分かりやすいのだろうか、僕は。
「ゆかりさんの前じゃ、形無しだな……」
そっと呟いて、お茶を淹れる手伝いをしに、キッチンへ向かった。
◇ ◇ ◇
職場で書類と格闘して昼休み、長田とラーメンを食べに外へ出る。二人して醤油ベースのラーメンを頼み、いざ食べようとした時、店内のテレビから、聞き覚えのあるフレーズが飛び込んできた。
「ん、この曲」
「最近テレビでよく流れてますよね。ご存知なんですか?」
「先週の音楽番組で、初めて聞いた。そういえば、ゆかりさんもそう言ってたな」
「ああ」
これだけで色々と察せる長田は、やはり優秀な部下だ。ゆかりさんとの関係を知っている、数少ない人物ということもあり、色々と口を滑らせてしまう。
「ゆかりさんが興味を持っているもの、なんでも嫉妬してしまう」
「はあ」
ラーメンの湯気で、眼鏡を曇らせている長田が、微妙な顔でこちらを見てくる。眼鏡が曇っているせいで、長田の目元は見えないが、僕がゆかりさんの話をするときに、よくしている微妙な表情をしている気配がする。
「この前は、この曲を歌っている、なんだ、あのナヨナヨしている歌手。あいつに嫉妬した」
「はあ」
「まあ、ゆかりさんは、適当にあしらってくるんだが」
「流石ですね」
そう言いながら、黙々とラーメンを口に運んでいく長田。ここのラーメンはチャーシューが美味しい。家でも、チャーシューを漬けたらどうだろうか。ゆかりさんも、喜ぶに違いない。家でチャーシューを漬ける算段を立てつつ、ついこの間、思ったことを口にする。
「ゆかりさんにも、僕に嫉妬してほしい」
「えっ」
長田が、ラーメンを口元に運ぶ手を止めて、こちらを見た。眼鏡の曇りが段々引いていき、長田の目元が見える。長田は、目をまん丸にして、こちらを見ていた。
「不公平じゃないか? 僕ばかり嫉妬しているの」
「はあ……」
ラーメンを口に運ぶことを再開した長田は、相変わらず眼鏡を曇らせている。曇り止めをつけていないのだろうか。湯気がたつ料理を食べるたびに、眼鏡を曇らせていたら、大変だろう。そう思いながら、スープを飲み干す。
「長田、眼鏡は適度に曇り止めをつけた方がいいぞ」
「あっ、はい」
「ごちそうさまでした」
手を合わせて店を出る準備する。慌てて準備している長田を、横目に見つつ、ゆかりさんに嫉妬させるにはどうすればいいか、考えを巡らせるのだった。
◇ ◇ ◇
「ゆかりさん」
「どうしました?」
今日もテレビでは音楽番組が流れている。今日は、僕でも知っているような、往年のヒット曲メドレーが中心みたいだ。そのメドレーをBGMに、この前から考えていた疑問を口にする。
「ゆかりさんに嫉妬してもらうには、どうすればいい?」
「嫉妬?」
「うん」
考えても、結論が出なかったので、思い切って本人に聞いてみる作戦に出た。まあ、悩み続けていた僕を見かねた長田の助言だが。彼は、仕事においても、ゆかりさんのことでも、頼りになる男だ。それを伝えたら、また、微妙な顔をして「お褒めに預かり光栄です」と言っていた。
「もしかして、先週のこと、まだ気にしてるんですか?」
「……」
やはり、気にしすぎだろうか。ゆかりさんの中で、自分のイメージを下げてしまったのではないか、そう思い、黙ってしまった。
「嫉妬……うーん……」
けれど、こんなに仕方がないような質問にも、彼女は真面目に考えてくれているようだ。少しの間、じっと考えているようだったが、突然勢いよく顔を上げ、口を開いた。
「……してますよ! 嫉妬」
「えっ」
「嫉妬というより、やきもち? ですけど」
予想外の回答に動揺する。嫉妬? やきもち? そんなの、どちらでもいい。彼女が、自分に対してそういった感情を抱えている事実に、心の中で歓喜する。
「……どういうところに?」
そう言いながら、横にあったリモコンを手に取り、テレビを消す。楽しげなメドレーが止んだ室内は、一気にしんとした。そういえば、先週も、途中までしか見なかったな。あのアンニュイ男のせいで。
「えっと、まずは、ブランくん」
「ぶらん」
「和樹さんに遊んでもらえるの、いいなあ……とか」
ゆかりさんは僕と遊びたいのだろうか。見当違いなことを考えつつ、ゆかりさんに続きを促す。
「あとは、女優さん。和樹さん、かっこいいから、絶対お似合いでしょうし」
「ゆかりさんの方がいい」
聞き捨てならない言葉に、食い気味に反応する。そんな僕を、ニコニコと見つめる彼女。
「だから、お互いさまですね!」
「……うん」
年下の彼女の優しさに、ホッとしつつも恥ずかしくなり、また顔が熱くなるのを感じる。これでは、どちらが年上なのか、わからないな。
「テレビの中の人に、嫉妬する和樹さんに、文句言えないや」
まだ顔が赤いことを自覚しつつ、返事の代わりに、愛おしい彼女を抱きしめたのだった。
◇ ◇ ◇
テレビからはよく聞く往年のヒット曲メドレーが流れている。突然、和樹さんから「ゆかりさんに、嫉妬してもらうには、どうすればいい?」と聞かれた。
和樹さん、意外と気にしいなんだなあ。そんなことを考えながらも、和樹さんは、大真面目な顔でこちらを見てくるので、嫉妬する瞬間を考えてみる。
身近なところだと、ブランくん。和樹さんと散歩に行って遊んでいるのは、羨ましいかもしれない。それに、私よりも前からずっと近くにいたんだなと思うと、私が知ることのなかった和樹さんを知っているみたいで、少し羨ましい。
あと、この前は、テレビの中の人に嫉妬する和樹さんを揶揄ったが、和樹さんがテレビで女優さんを見ていたら、嫉妬するかもしれない。絶対お似合いだろうな、そんなことを考えて。
ああ、あと、和樹さんの愛車にも。どんなに忙しくて時間がなくて疲れていても、丁寧で優しい手つきで、しっかり時間をかけてケアしている姿を、しかもとても楽しそうでご機嫌な姿をしょっちゅう見かけるのだ。その上お仕事で乗っていくことも多く、私よりずっとずっと長い時間をともに過ごしている。
一通り、嫉妬しているものを挙げると、和樹さんが無言で抱き締めてきた。チラリと、髪の隙間からのぞいた耳が、ややわかりにくいものの、赤く染まっているのを見て、自分の頬が緩むのを感じる。
「和樹さん」
「……うん」
「満足しました?」
「うん」
「ふふ」
和樹さんは、時々、子供みたいな言葉遣いをする。他の人には見せない言動は、本当の彼を知れたみたいで嬉しい。そのまましばらく抱き合っていたら、彼がかしこまった顔で、こちらを見てきた。
「……こんな姿を見せるの、ゆかりさんにだけだから」
「嬉しいです」
和樹さんは、こんな姿、だなんて言うけれど、相変わらず素敵だし、愛おしい。
そういえば、逆に、仕事をしている和樹さんを見る機会はないなあ。そう思い、いつも仕事を共にしているであろう、眼鏡の彼に少し嫉妬する。
「まだありましたよ、嫉妬するの」
「何?」
少し驚いた表情をして、顔を上げる彼。これを言ったら、どんな顔をするのだろうか。そんなことを考えながら口を開く。
「それは……」
◇ ◇ ◇
「ということがあってな」
「……はあ」
今日は石川さんと、仕事の合間に蕎麦を食べにきている。この前、嫉妬する石川さんの話を聞いたが、今日は彼女との惚気話が中心らしい。蕎麦を食べる前から、お腹いっぱいである。
そうこうしていたら、店員さんが蕎麦を席に運んできたので、割り箸を手に取る。
「ゆかりさんは、長田が羨ましいらしい」
「はあ」
「なんだその気の抜けたような返事は」
「すみません」
そう言いながら、風味の良い茶蕎麦を啜りつつ、蕎麦は眼鏡が曇らなくていいな、と場違いなことを考える。
「ゆかりさんは、仕事中の僕の方が、好きだろうか」
恋愛方面になると、途端にポンコツと化す上司が、神妙な顔をして呟いている。蕎麦があまり減っていない様子を見るに、かなり悩んでいるようだ。
ふと、仕事中の上司を思い浮かべ、背筋を震わせた。無言でフロア全体に圧をかけてくる、あの上司が家にいると考えただけで、家に帰りたくなくなってしまう。一瞬の沈黙を置き、先程の上司の発言を、急いで否定した。
「いや、今のままでいいと思いますよ」
「そうか?」
「はい」
「そうか……」
神妙な顔は継続していたが、蕎麦は段々と減り始めたので、大丈夫だろう。しかし、今日はこの後も蕎麦がなくなるまで、上司の惚気話は続いた。
ああ、やっぱり、早急に曇り止めを塗らないとな。このままだと、石川さんの熱い惚気を聞くたびに、眼鏡が曇ってしまうから。
いつもより視点コロコロでやや長めですが、まとめて載せちゃいました。
和樹さん専門の恋愛アドバイザー長田さん。
ゆかりさんに関することではとにかくポンコツ暴走車になる和樹さんのストッパーとして、ゆかりさんの精神面の負担を著しく減らしてくれております。
長田さんに「……のときは、最初はこんなことを言ってたんですが、さすがにこれは……ということで、こういうご提案をいたしました」みたいな暴露話をされたゆかりさんは、赤くなりながら青くなるという器用な顔をするのでしょうね。




