110-2 あたためる(後編)
奇跡のような再会を果たしてから、電光石火の如く彼女と距離を縮めようと四苦八苦して、外堀を埋めまくる猛アタックの末、ようやく恋人という権利を手に入れたとき、密かに心に決めたことがある。
ゆかりさんが周りの人たちに優しさを与え過ぎてエネルギーが切れてしまった時、外で頑張りすぎてしまって、お日様のような暖かさを持つ笑顔が曇ってしまった時に、もし傍にいられたら俺がたくさん、たくさん優しくしたい、その疲れた心を癒したい、ただただ甘やかしたい……って。
だから、立ち会えた今日はゆかりさんを思い切り甘やかす日だ。
「ゆかりさん」
声をかけるとゆっくりと振り返った彼女は力のない声で
「かずきさん。すみません……何かシャッキリとしなくって」
しっかりしろって感じですよねぇ、そう言いながら無理やり口角を上げて笑顔を作ろうとする。エネルギーが切れている日さえ、僕にさえ気遣おうとする彼女の健気さに心が軋む。僕の前では無理しなくてもいいから…そんな願いを込めてひとこと告げる。
「ゆかりさん、こっちにおいで?」
そう一言告げて、ゆかりさんの肩を抱き寄せてやんわりとした力でそっと抱きしめる。
ゆかりさんは腕の中で下を向いたり、「うーん」と言葉にならない声を呟いている。
たぶん、自分が弱っていることに気付かれたことを気まずく思ってるのだろう。
そんなこと、思う必要なんかなくて。ゆかりさんの涙を拭うのも、抱きしめて甘かやすことも自分だけの、恋人としての特権だと思う僕にできることは……。
「ゆかりさん、たまには肩の力抜いて?」
部下にはとても聞かせられないくらい優しい、甘い声をかけながら彼女の髪をそっと撫でる。
「……」
おずおずと遠慮がちに背中にまわされた彼女の右手が部屋着のカーディガンをきゅっと掴んだ。
「頑張りすぎて、ちょっと疲れたんだよ。今日くらい、ゆっくり休んだらいい」
そう言って、何度も何度も彼女の頭を撫で続ける。
少しずつ、強張っていた肩の力が抜けて、僕の胸の方に彼女の重みがじんわりと伝わってくるのがわかる。相当よわってるんだな、そう思った。
「かずきさんの、貴重なお休みなのに……ごめんなさい。全然ダメダメで」
彼女が申し訳なさそうに頭を下げながら、Tシャツの右胸の辺りをぎゅっと力を込めてきつく握りしめる感触に気がついて、彼女の左手にそっと触れて握り込んだ手を緩めるようにほぐしていく。優しい彼女は自分自身に苛立っているのだろうがそんな必要はまったくないのだ。そう伝えたくて。
「ゆかりさん、僕の前では無理なんてしなくていいよ。笑顔ももちろん愛していますが。僕にしか見せてくれない、今日みたいなゆかりさんのこともとても愛おしいし、大事にしたいって思ってるから。全部僕が引き受けますよ」
だから安心して? と告げると彼女がゆっくりと顔を上げて
「かずきさん……ありがとう。今日は……ちょっとダメな日みたいです」
「よく言えました。今日は一日中家でゆっくりしよう。昼ごはんはゆかりさんの好きなものを作るから食べたいもの言って? 一緒に食べよう。ブランとソファーで一緒に座って、映画を見て、温かい飲み物を飲みながら、ゆっくり過ごそう」
「うん……。あのね、かずきさん、一つだけ」
「なに? 何でも言って」
「……手を握ってていい?」
「もちろん」
「……ぎゅって、してくれる?」
「今日は一日、ずっとゆかりさんと一緒いたいから。片時も離さないよ」
そう言って笑って、ちょっとおどけたウィンクをして見せれば、不安げに寄せられていた眉が少しずつゆるんでいく。
「……うん」
うっかりしていたら聞き逃しそうな小さな小さな声で頷く彼女が愛おしくて、守りたくて、大切にしたくて……少しだけ腕に力を込める。
「今日は一日、こうしていよう」
この先も……彼女が辛い時に一緒にいることができないことの方がきっと多いし、仕事を優先して彼女を一ヶ月や二ヶ月、平気で一人にしてしまうことだってあるだろう。それでも、彼女を手放すことは絶対にできない。だから、傍に居られる瞬間は必ず甘やかしたいし、笑顔に戻れるように彼女を温められる存在でいたい……そう改めて心に誓う。
明日には、陽だまりのような笑顔が戻るように……。
髪に、額に、瞼に、頬に、鼻に、そして唇にたくさん、触れるだけのキスを落としながら、ぎゅと彼女を抱きしめた。
ちょこっとだけ、「47 チャージの方法」の前日譚みたいなお話でした。
みんな頑張ってると思うんだよ。でも褒めてくれたり甘えさせてくれたりする人が身近にいる人ってすごく少ないとも思うんだ。
セルフケアというか、自分で自分をほめるとか、自分用のご褒美を用意するなんてことも難しくなってる人も多いと思う。
私は超インドア派なので、自粛とか一向に気にならない(むしろ大歓迎)なタイプなのですが、世間は真逆の人が多いですし。
そもそもそういう人のほうが能動的と言われて今まで評価されてきて、そっち方面に突き進むように誘導されてきた人も多いと思うんですよ。
だからそういう、「人と接することが回復薬で、エネルギーとしてチャージされるタイプ」な人にとっては、すごく大変なんだろうなと思います。
だから、喫茶いしかわはこの世界にとても似ているけれど自粛のないパラレルワールドなのです。そういう意味でとっても現代だけどご都合主義なファンタジー世界です。
せっかく現実じゃない小説の世界を楽しむのにさ、現実の辛さって、あんまりいらないよね?(苦笑)
なんとなくあるあるっぽいけど他人事ですむくらいのマイルドな香辛料程度でいいと思うのです。
喫茶いしかわは、風邪ひいた時の雑炊とか桃缶とか、そんな世界観でいいかなって思ってます。




