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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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106-1 ハレの日の空に(前編)

 和樹さんが、ゆかりさんへの想いは自覚したものの……な時期のおはなしです。

 十二月も二十五日を終えると、クリスマスの雰囲気はあっという間に一掃されて、街は正月を迎える準備一色になる。


 喫茶いしかわもその例外ではない。

 笑顔のゆかりを見ながらモーニングを食べたくて、逸る気持ちを抑えきれずに喫茶いしかわに顔を出した和樹は、クリスマスツリーのてっぺんのオーナメントの片付けのため脚立の上で背伸びしているゆかりを見てたいそう慌てた。


「ゆかりさん!?」

「あら、おはようございます、和樹さん!」

「おはようございます。そんな危なっかしいこと……脚立から落ちたら怪我しちゃうかもしれませんよ」

「ふふーっ。毎年やってるから大丈夫ですよぉ」

 ご機嫌で答えるゆかりに、やや眉をよせて悲しそうな表情(かお)をつくる和樹。

「ゆかりさんがそんな危なっかしいことしてたら、不安で美味しいモーニングが食べられないですよ。僕にも片付けを手伝わせてください」

「ええっと……では、高いところだけ、お願いできますか?」

「ええ、もちろんです。お任せください」


 脚立に上がった和樹がツリーのオーナメントを取ると、すかさず腕を伸ばしたゆかりがそれを受け取る。天井付近の飾り付けもさっさと剥がす。共同作業はスムーズに進み、三十分も立たないうちに、いつもの喫茶いしかわの様相が取り戻される。


「ツリーを片付けるとクリスマスも終わりって感じがしますねぇ」

「名残惜しそうですね、ゆかりさん」

「クリスマスメニューも楽しんで貰えたし、何もやり残したことはないはずなんですけどね。こうやって片付けてると、毎年なぜかしんみりしちゃって。クリスマスをずっと楽しみにしてきたからかなぁ」

「来年……」

「え?」

「いえ。日本はお祭り好きな国ですからね。クリスマスのあとはお正月、そのあとはバレンタインに雛祭りにホワイトデー、まだまだ楽しみは続いていきますよ」

「ふふ、それもそうですね」


 口にしかけた言葉を、和樹は口内で噛み締めた。来年の今頃、和樹はここにいない。その時、ゆかりはどんなクリスマスを迎えているのだろう。

 和樹の逡巡など知らぬゆかりは、にこにことシュガーポットなどの補充をしていたが、はっと小さく声を上げて和樹を振り返った。


「そうだ和樹さん! 三十日の午前中って、予定空いてますか?」

「三十日ですか?」

「はい、その日は商店街の餅つき大会なんです!」

「餅つき大会」

「うん。毎年恒例なんですけど、すっかり和樹さんに言うの忘れてました。ごめんなさい!」


 胸の奥を細く小さな針でつつかれるような感覚に、和樹は軽く拳を握りしめた。両手を合わせて頭を下げてくるゆかりの表情に他意は感じられず、それが更に和樹の胸をざわめかせる。

「三十日ですね、大丈夫ですよ」

「ほんとう? 和樹さんがいてくれるなら勝てるかも!」

 拳を握りしめてガッツポーズをするゆかりに、和樹は首を傾げた。


「勝つ?」 

 和樹の知る餅つき大会とは、皆で餅をつく集まりのことで、けして何かを争うものではなかった筈だ。この町の商店会は、他所とは少し違うと常々思っていたけれど、餅つき大会も何かあるのだろうか?


「えっと、いつもは普通の餅つきなんですけど。今回主催の本屋の米沢さんが、景品を出すから店舗対抗で勝負しようって言い出して」

「ほう……?」

 餅つきは幼稚園や保育園など子供たちが集まる中で行われることが多いが、もともとは日本の伝統行事の一つだ。温めた臼の上で手際よくついて丸めていかなくては、もっちりとした食感の美しい丸餅は仕上がらない。


「それで、どうやって順位を決めるんでしょう?」

 一チームごとに臼と杵が与えられるならともかく、商店街の餅つきなら精々あっても二つか三つだろう。一体何を競うというのか? 真剣な顔で聞き返す和樹に、ゆかりはきょとんと目を丸くしたあと、ころころと鈴が鳴るように笑った。


「やだ和樹さん、そんな大袈裟なものじゃないですよう。スピードとチームワークだったかな? どこのチームが手際よく餅をつけるか、商店街のご年配三人衆がジャッジするって張り切ってるみたいです」

 勝負といってもお遊びみたいなものですよとゆかりは言うけれど、和樹は見逃さなかった。

 『和樹さんがいるから勝てるかも!』と言ったゆかりの目が輝いていたのを。


 ゆかりは物欲が少ない方だと和樹は思う。ときどき雑誌を見て『これいいな』と言うけれど、じゃあ買うのかと聞くと『そんなに必要なさそうなので』とか『今度お給料がたまったら』なんて返事が返ってくる。


 いろいろ融通をきかせてもらったお礼にと、ちょっとした貢ぎ物をしたときは、初めは戸惑ったような顔で受け取ってくれていたけれど、何度も続けていると、そのうち「こんなことをして欲しいわけじゃありません!」と怒られてしまった。以来、和樹はゆかりにそういった名目で贈り物をしなくなった。だからこれは、ゆかりに日頃の礼を返すチャンスだ。


 よし。優勝して、ゆかりさんに景品を手にさせてあげよう。

 そう決めた和樹は、ゆかり手ずから作ってくれたモーニングを食べながら、餅つき大会勝利への算段を立てはじめたのだった。


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