105-1 せ・つ・な・い筋肉(前編)
お付き合い開始前設定で。
「ゆかり、イケメンに会いに行こう!」
つい先週、一緒に飲んだばかりの友人が喫茶いしかわに来るなりそう言った。
「イケメン? いやいいわーイケメンはもう飽和状態よ、渋滞起こしてるからいいわー」
合コンの誘いかと、乗り気でない様子を前面に押し出してゆかりは手を振った。
言っていることは嘘ではない。イケメンのインフレが起こるくらいなぜかここ界隈、というより喫茶いしかわにやってくる人間にはイケメンが多い。その筆頭として思い浮かべる和樹の姿。
あれは、丸の内OLならペットにして飼いたいと言い出すのではないかとひそかに思っている。
「いや言わないから。私、ひょろいのには興味ない」
「それがひょろくないのよ、細マッチョよシックスパック」
「あんたなんでただの知人の腹筋知ってるのよ……ごめん、想像が追い付かないわ。写真ないの?」
「写真ダメなんだって。レンズ向けられた時にはすでに消えてる、ほぼ忍者レベル」
「さらに想像が難しくなったわ」
確かに現物を見てもらうのが一番手っ取り早いのだろうが、あいにくしばらく忙しくて来店できないと聞いている。
「そうね、喫茶いしかわに日参していれば、いつか運が良ければ会えるかも」
「レアキャラか!」
興味なさそうに友人は和樹の話を打ち切った。
「それより、そんじょそこらのイケメンじゃないのよ。ほらこれ見て」
差し出された画像に、ゆかりの目は釘付けになった。
◇ ◇ ◇
「というわけで、行ってまいりましたイケメン鑑賞ツアー!」
旅行帰りの荷物を持ったまま、ゆかりは閉店間際の喫茶いしかわに入ってきた。
「はい?」
珍しく驚いた顔を隠さない和樹に満面の笑顔を向ける。
「あ、和樹さんいらっしゃいませ! お久しぶりですね!」
ゆかりのテンションの高さにやや引き気味な和樹だったが、マスターはその両手に抱えられた荷物を見てカウンターから出てきた。扉の札を『close』にして、ゆかりをカウンター席、和樹の隣にいざなった。
「マスターから旅行に行かれてるとは聞いていたんですが、今帰って来たばかりですか?」
「ふふふ、そうなんですよ。お土産、マスターに渡す分もありましたが、常連さんにお配りする分は喫茶いしかわの冷蔵庫に入れておこうと思って。でも、せっかくだからこれ一緒に食べちゃいましょう!」
どっさりと入ったお土産袋の中から、そーっと取り出して、ゆかりはカウンターに置いた。見て見てと指差された箱に書かれた文字は。
「ぴよりん?」
「そう! 一目ぼれして買っちゃいました。めちゃくちゃ可愛いんですよ!」
言いながら、箱を開ける。
「良かった! 崩れてない!」
「こ、これは……たしかに可愛らしい」
「でしょう!」
ほわほわした黄色くて丸いボディ、黒いつぶらな瞳、小さな羽、すべてがそろっている、パーフェクトだ。
「名古屋コーチンの濃厚プリンでこの可愛らしさ!」
買わずにはいられません、とゆかりはドヤ顔で言った。
「僕もご相伴にあずかっていいんですか」
「もちろんです。マスターには別のお土産を頼まれていたので、これは和樹さんのですよ。あ、お隣さんに買ってきた分だけ今のうちに渡してきますね!」
「そうですか。ではお戻りをお待ちしてますね」
「じゃあ、ゆかりの分のコーヒー煎れておくよ」
「はい!」
ゆかりは、お土産袋のなかからぴよりんの箱と、もう一つ大きな赤い箱を取り出すと、カランとベルを鳴らして出て行った。
和樹は、マスターの淹れたコーヒーを味わいながら、ゆかりとともに入ってきたような温かい気持ちをくすぐったく感じていた。
『ゆかりちゃん、二日間旅行に行ってるんだよ』
マスターから聞いた瞬間、そんなの聞いていないぞ、と思ってしまった。もちろん、彼女がただの常連客である自分に報告する義務があるわけじゃないし、僕に彼女の行動を管理する権利もそもそもない。
なのに、置いて行かれた気がした。
いつもと同じように応対しているつもりだったが、やけに鋭い部下には「何かありましたか」と聞かれてしまうし、聞いた時たまたま隣にいた八百屋の大将にも「留守番のガキみたいなツラしてるな」と苦笑されてしまった。
和樹ファンを自称するOLやJKたちも、ふだんはゆかりがいないとここぞとばかりに無駄なアプローチをしてくるのに、なぜか静かだった。実は、彼女たちが「今日はアンニュイデー?」「これはちょっと気軽に話しかけ辛い」「でも鑑賞に堪える」とざわめいていたことは、和樹の知る由ではない。
お客の引きもいつもより早かった。
いつもなら迷惑をかけないよう、そこまで長居しないのに、だらだらと自分以外に客のいない喫茶いしかわに居座ってしまった。
閉店間際の喫茶いしかわは、いつもと違い、やはりどことなく淋しくて。
それが、ゆかりが入ってきた瞬間、淀んでいた空気が吹き飛ばされた気がした。
「これじゃホントに置いてきぼりにされて拗ねてたみたいじゃないか……」
そんな自分がおかしくなって笑ってしまう。
「お土産のラインナップからすると名古屋に行ってきたんだな。……ん? 『イケメン鑑賞ツアー』とか言ったか……?」
そう呟いた声は、とても低かった。
◇ ◇ ◇
「お待たせしました。お隣さんがさっそく山ちゃんの手羽先でビール飲むって言いだして……あれ? どうかしました?」
さっきにこやかに送り出してくれた和樹が、なぜかじとっとこちらを見ている。
「山ちゃん、和樹さんのもありますよ? え、違うの?」
カウンターに座って、俯いた和樹を見あげる。
「イケメンって誰に会いに行ったんですか」
言った瞬間、ゆかりの顔がパッと輝いた。
「そうなんですよ! 噂通り、ううん、噂以上のイケメンでした!」
「ホォー」
聞いておいてなんだその態度は、という和樹の態度も目に入らない様子で、ゆかりはすちゃっと携帯を取り出した。
「写真もいっぱい撮ったんですよ、見ます?」
「いえ、いいです」
えー、かっこいいのに。
サムネイルを見ながらゆかりはそのカッコよさを説明する。
「なんでしょう、見た目だけでもう頼りがいがあるっていうか、クールっていうか。ダンディな雰囲気がすごくてですね! ちょっとぶっきらぼうだけどそれが良い、みたいな。さりげなく優しくて、あんまり笑わないけど、時々フッ……ってやさしく笑ってて、ちょっとこっち見たらキャーッって歓声があがるんですよ。包容力があるっていうかたくましいっていうか、ゴリマッチョってまさにそれっ! って感じのイケメンさんでしたー」
「ヘェー、大絶賛ですねー」
「だってホントにカッコよかったんです、見ます?」
「見ません」
ええ、和樹さんも惚れるくらいカッコいいのに。
惚れません。
カウンターごしにマスターがコーヒーを差し出し、コトリと置く。
「はい、コーヒー。ゆかりのイケメンが煎れたのじゃなくて悪いね」
「ありがとうございます。……コーヒーは無理じゃないかな? さすがに」
ゆかりの発言に和樹が食い付く。
「そうなんですか」
「ええ、だって……」
「だったら、僕の方がお得ですよね。コーヒーも淹れられるし料理もできます」
「お得って言うか、比べるようなもんじゃないっていうか……。あ、ぴよりんどうぞ」
「……いただきます」
和樹は、ぴよりんの脳天にぐさっとスプーンを突き立てた。ゆかりは真横から首を刈った。
「おいしい!」
「ええ、これは本当に濃厚で美味しいですね」
中段に仕込まれたカラメルのほろ苦さが程よいバランスだ。
「これを崩さず持って帰るのは大変だったでしょう」
「そうなんですよ! わかってくれますか和樹さん!」
水平を保つように新幹線の中でも袋から取り出してガード。乗り換えた在来線でも、混雑を避け、ひたすらガード。なにしろブツはちょっとの振動で崩れてしまうという厄介なものなのだ。
「もう本っ当~~に頑張ったんですよ私」
「ゆかりさんのおかげでこんなに可愛くて美味しいデザートが食べられました」
「ふふ、和樹さんの御機嫌もなおしてしまうとは、さすがぴよりん。あ、もしかしてお腹すいてたんですか? お隣さんとちょっと話してて遅くなったから、待たせてしまったんですね。ごめんなさい、手羽先も食べる?」
「おなかすいたから機嫌悪くするって、子どもですか僕は」
和樹は苦笑した。
「違うの?」
「……まあ、少しは合ってるのかもしれません」
空腹が原因ではないが。
「手羽先はビールが欲しくなりそうなので帰ってからいただきます」
山ちゃんの手羽先は以前にも食べたことがある。胡椒がよく効いていてビールなしでは考えられない食べ物だ。
ゆかりさんと一緒に食べられたらもっと美味しいだろうが。そこまで考えて、何を考えているんだと自嘲する。
「確かに生ビールで食べる手羽先最高でした! ……うちで一緒に食べてもいいけど、和樹さん車だしなあ」
「え、いいんですか」
「私はいいですよ~。ビールないから買わなきゃですけど。うちに寄ります?」
分かっている。彼女に他意は全くない。完全に皆無だ。ただ単に、美味しい手羽先を職場の同僚と話しながら、ビール飲みながら食べたいだけなのだ。そうやって、旅行の余韻に浸りたいのだ、それだけだ。
だが。




