99 鍋つつく
和樹さんがゆかりさんへの想いを自覚するよりも前のお話。
「和樹さん、お鍋食べたくないですか?」
もはや恒例になってきた週末前の買い出し中に、ゆかりがそんなことを言った。
和樹が手伝いを申し出た買い出しは、喫茶いしかわで必要になる食材や備品はすでに買い揃えてある。ついでだから自分たちの買い物も済ませてしまおう、と足を運んだゆかりのマンションの近くにある食料品店でのことである。
「はい?」
カートを押していた和樹は、そんな声を上げてしまった。
ゆかりは先ほどからずっと鍋つゆコーナーで何やら思い悩んでいたので、単純にどれを買おうか迷っているのだろうと思っていたのだが、どうもそういうことではなさそうだ。
「そうですね。ここ最近、朝晩冷え込んできましたし、温かいお鍋食べたくなりますね」
言葉を選んで、頷いて見せると、ゆかりはぱっと表情を輝かせた。
「ですよね! 実はこの『ごま豆乳鍋の素』が気になっててですね。でもこういうのって三人前からだから、一人で食べるのはちょっとなーって。和樹さん良かったらウチで一緒に食べてくれませんか?」
「ああ、なるほど」
そういうことか。と和樹は頷いた。
「いいですね。じゃあ、僕が材料費を……」
「いえ!」
材料費を半分出しますよ。と続けるはずが、さっと片手を挙げたゆかりに遮られて、和樹はぐっと言葉を呑み込んだ。
「いつもお世話になってますから、今日は私にご馳走させてください」
「えっ、お世話になってるのは僕の方ですよ」
「何言ってるんですか、いつも車で送ってもらってるし、今日だってこうして私の買い物にも付き合ってくれてるじゃないですか」
「いや、でも、いつもコーヒーやランチで融通きかせてもらったりサービスしてもらったりしてますし」
「それはそれ、これはこれ、です。そういうサービスはマスターの許可をいただいてますし、出張のあと各地の美味しいお土産いただいてますし、私のほうがもらいすぎなんですよ」
「えぇ?」
仕事を優先しなければならないから仕方ないとはいえ、せっかく作ってもらったランチを一口も食べずに飛び出したこともある。
後で詫びると、私の賄いに早変わりしましたと笑ってくれていたけれど、それでも申し訳ないと思っているのだ。だからできる限り彼女には優しくありたいと和樹は思っていた。
しかしゆかりは軽く首を振って、笑った。
「私はもう何しろ、今日はお鍋って決めてしまったので! 和樹さんが食べてくれないと私はしばらくお鍋の残りと雑炊なんですよ。だから、消費するのを手伝ってください」
ここは素直に甘えた方が良いのだろうな。と和樹は思う。
けれど、ゆかりは和樹よりも年下の女性だ。そんな彼女に奢ってもらうというのが、どうにも抵抗があった。
そんな和樹の様子に、ゆかりも何かを察してくれたらしい、彼女はじゃあ、こうしましょう。と言った。
「お鍋は私が、デザートは和樹さんにご馳走してもらう。そういうことで手を打ちませんか?」
「デザート……」
「はい。ね? それならどうです?」
鍋に使う材料費と、二人分のデザート代では釣り合いがとれない。しかし、これ以上固辞するのはゆかりの厚意に対して失礼だろう。そう判断して、和樹は頷いた。
「ではお言葉に甘えさせてもらいます」
「はい、美味しいデザート楽しみにしてます」
それから、その時になってからのお楽しみということにして、和樹とゆかりは別々に買い物をして、彼女の家に向かった。
鍋の準備はゆかりに任せることにして、あとは荷物を運ぶだけだから、せめてそのくらいさせてくれと和樹が買い込んだ食材や備品を喫茶いしかわに運び込んだ。
事情を説明しつつ、マスターの指示のもと食材は冷蔵庫に、備品は事務所に。それぞれの数を在庫確認表に記入してから、和樹はゆかりの家に戻った。
「和樹くんなら大丈夫だと思うけど、喫茶いしかわを出禁になるようなことには、くれぐれもならないようにね」
「ははは。それはもう」
暗にゆかりさんを傷付けたら許さないと言われてはいるが、一方で信頼もされていることがわかり、ほっとする。
チャイムを鳴らして待つこと数秒。室内からパタパタと足音が聞こえて、ドアが開かれた。
「はい、おかえりなさい」
ふわりと、ごまの香りが鼻孔をくすぐった。ああ、良い匂いだなと思ったことが、ゆかりの言葉で消し飛んだ。
「た、ただい、ま」
それでもなんとか返事をする和樹に、ゆかりは不思議そうな顔をしながらも、中に入るように促してくれた。
「もう準備はできてますから、手を洗っておこたに入って待っててください」
「あ、はい」
言われるままに、手を洗ってこたつに入って待機していると、
土鍋を持ったゆかりがやってきて、それをカセットコンロに乗せた。
こたつを挟んで反対側に座ったゆかりは、小鉢に野菜や肉などを手早く盛り付けて和樹に差し出した。
「どうぞ、熱いので火傷しないようにしてくださいね」
「ありがとうございます、いただきます」
受け取って礼を言うと、ゆかりは嬉しそうに笑って「はい」と頷いた。
こたつは暖かく、鍋はとても美味い。
それから正面に座るゆかりもとても嬉しそうに笑っていて、この時間がもっと続けばいいのに。と和樹はできるだけゆっくり、鍋を味わうことにした。
ゆかりさんの距離感って、勘違いを誘発しますよねぇ?(苦笑)
ゆかりさん的には、ろくに食べずに飛び出していく和樹さんを何度も見ているから
「もしかしてこの人、普段はちゃんとごはん食べてないんじゃない? 買い出しに付き合って車出してもらってお世話になってるし、ここは私が普通のお食事を食べさせなくては!」
と妙な使命感に燃えただけだったりします。
ゆかりさんが使命感でチョイスするメニューが毎回、和樹さんの胃袋にドストライクすぎるのです。




