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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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96-1 合コンには向いてない(前編)

 石川ゆかりの毎日はほとんど喫茶いしかわで消費される。

 朝起きて出勤して、閉店まで勤務して退勤。夕飯や日用品の買い出しにスーパーに寄って帰ることは多々あれど、そのまま夜の街に繰り出すということはほぼない。

 だが珍しいこともたまにはある。その例外の一日だった。


「ゆかり、今日はずいぶん楽しそうだねぇ」

「え? マスターわかります?」


 今日は久しぶりに、友人が飲みに誘ってくれたのだ。喫茶いしかわは早番で夕方には上がるし、愛する夫の帰宅は今夜も望み薄。

 喫茶いしかわの仕事は大好きなので、繰り返される日常に特に不満はないが、たまのこういった息抜きも必要だ。何よりも友人に会えるのが楽しみだった。

 明日は遅番勤務だから、多少はハメをはずして飲みすぎても大丈夫という状況も、ゆかりを浮かれさせている。


 ただ一つの懸念事項は……既婚の事実を隠していること。結婚の報告をした相手はまだ両親や家族、ごくごく一部の親しい友人のみだった。今夜の相手は、その友人らに含まれない。本当に久しぶりに会う友人なのだった。

 気分は同窓会のようなものだ。きっと会えば近況報告だけで盛り上がることだろう。ただし、ゆかりの場合はどこまで話していいものかという問題がある。


「楽しんでおいで」


 今夜は友人と飲み会、ということだけ伝えれば、マスターは微笑んで送り出してくれた。

 なるようになる。ゆかりは軽く決意を固めた。結婚の話はできないかもしれないが、友人たちの近況を聞くのは楽しみだ。

 念のため、夫には予定が入った段階で今夜は友人と飲み会と伝えてある。万が一彼が帰宅したときにゆかりがいなければ心配するので、こういった外出時は必ず連絡するように言われていた。


(既読がついただけで、返事はなかったけどね)


 多忙を極めているということだろう。そうでなければ「了解」や「わかった」の一言くらいは返事がきている。

 どちらにしても今夜の帰宅は望めなそうで、ほっとした。友人との飲み会も楽しみだが、彼と会える時間は極力減らしたくない。

 彼が帰ってくるならば、友人との飲み会はキャンセルするかも。彼に言えば「行ってきていいよ」といわれるのだろうけれど。

 半ば癖のような形で彼とのメッセージ履歴を眺めていれば、ぽんと肩を叩かれた。


「久しぶり! ゆかり、変わってないね!」


 相手を見てゆかりもぱっと笑顔を向ける。待ち合わせ相手の友人だった。

 彼女も元気そうで、二人で駅前という場所柄もわきまえず抱き合った。


「そっちも変わってなーい! 久しぶり!」

「えへへ、何年ぶり? 卒業以来……とかだよね」

「そうかも? 元気にしてたみたいだね」

「ゆかりもね」


 通り一辺倒の挨拶をすませると、友人は突然両手を合わせて頭を下げた。

 突然の行動にゆかりはきょとんと首をかしげるばかりだ。


「ごめん! 実はゆかりに謝らないといけないことがあって」

「な、なぁに? あらたまって……」

「実は今日の飲み会、合コンなの!」


 彼女の言葉の意味が頭に染み込むまで数秒かかった。合コン、と言われて即座に浮かぶのは夫の顔。あ、やばい。怒ってる。


「え、ええ~~っ! こ、困るよそんな……」

「どーしても人数足りなくて。ほんっとごめん!」

「普通の飲み会のつもりで来たのに~」

「私もそのつもりで呼んだんだけど、事情が変わっちゃって……。私がゆかりと話したかったのは本当だし、なんなら男子そっちのけで私と話していてくれればいいから!」

「そ、そんなこと、急に言われても」

「ゆかり、彼氏とかいたっけ?」


 ぎくり、と一瞬固まった。


「か、彼氏は、いませんけど……」


 夫がいるんです、とは言えなかった。

 数年ぶりに会う友人にいきなり報告できる相手ではない。

 「なら!」とばかりにぱっと顔を輝かせた友人を前に、ゆかりはすっかり諦めることにした。


「絶対、今回だけだからね?」

「ありがとう!」


 もう一度往来で抱きつかれて、ゆかりはため息をつきながら抱きしめ返した。

 ゆかりの脳内ではこの件を即座に夫に報告すべきかどうかの会議が開かれている。

 言えば確実に不機嫌になるだろうし、言わなかったらバレたときが怖い。バレる確率がどのくらいだか皆目見当もつかない。普通なら言わなければバレないと思うところだが、そうはいかないのが石川和樹という男だった。

 ゆかり自身は思いもよらないが、こと妻のことに関してのアンテナ感度は驚くほどに良い。


(やっぱり、伝えた方がいい、よね)


 本当は誰かに相談できれば良いが、かといってそんなこと友人に相談もできないし、ゆかりは頭を抱えたくなった。楽しみにしていた友人との飲み会は、一気に頭痛の種へと早変わりだ。

 結局どうするか答えがでないまま、ゆかりは友人に手をひかれて店へと誘われた。


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