95-3 想定外で予定外(後編)
「……どうして」
「ん?」
ポツリと呟かれた言葉に首を傾げると、和樹さんは「あーもう」とくしゃくしゃと頭を掻き毟る。
「どうして参列する方だと解釈するんですか!?」
「え? 違うん……へっ?」
彼の顔の前で止まったままの私の手を、ガシッと大きな手が握る。
「僕とゆかりさんの結婚式ですよ!」
「和樹さんと私の? ……えっ!? 私たちの結婚式ぃ!?」
「ええ、そうですよ」
握られたまま手が下ろされ、もう片方の手も握られる。
「以前、喫茶いしかわで常連さんが友人の結婚式に参列された時の写真を見せていただいたことがありましたよね?」
「は、はい。幸せそうな新郎新婦の写真を見て私たちが素敵ですねぇって口を揃えたやつでしょ?」
「うん。その時に常連さんから質問されてたよね? 結婚式を挙げるならドレスか白無垢どちらが着たいか、と。そしたらゆかりさんは白無垢が着たいとおっしゃっていましたよね?」
「え、ええ……」
昔家族で神社にお参りに行った時ちょうど結婚式が行われており、真っ白な白無垢を着た素敵な花嫁さんを見て、いつか私もこの花嫁さんのような衣装を着て好きな人と結婚式をしたいって幼心に思ったのだ。
「確かに言ったけど、それがなにか……?」
「僕も日本の伝統的な花嫁衣装である白無垢をぜひともゆかりさんに着てほしくて、そしてその時のヘアースタイル……新日本髪を地毛で結ってほしいんだ」
「……えっ、私の髪で?」
うん、と頷いて和樹さんは片方の手をほどき、空になったその手で私の髪を掬う。
「で、でも……私の髪で結うより、それこそ短く切ってかつらを被った方が綺麗に決まるんじゃないかしら? 私の髪なんて雨の日はうねるしで、特別綺麗な髪ってわけでもないですし……」
「ゆかりさんがそう言っても僕は君の髪は誰よりも綺麗だと思うし、雨の日はうねりやすいのだってそれはそれで可愛いと思ってるよ」
それにね、と優しい眼差しを髪に向けながら彼は続ける。
「ゆかりさんと出逢ってからずっと、この髪には僕ら二人の思い出が刻まれているから、その思い出と共に結婚式を挙げたいんだ」
「……二人の、思い出」
「うん。といっても寂しいとか悲しい思いもたくさんさせてるし、ゆかりさんからしたら良い思い出ばかりとは言えないけどね……」
眉を下げ弱々しく和樹さんは笑う。
デートの日は仕事の都合でドタキャンされることもあれば、待ち合わせ時間を大幅に過ぎてから現れる日もあった。
突然海外に出張していたなんてこともあった。
記念日だって、急な呼び出しの電話が鳴ったため一緒にいられたのは、ほんの少しだけだった。
他にも色々あって、寂しくて悲しくて泣いた日もたくさんあった。……でもね。
空いてる手を伸ばし彼の頬に触れる。
「確かに良い思い出ばかりとは言えないけれど、それでも私にとって和樹さんと出会ったあの日からすべてが大切な思い出ですよ」
「ゆかりさん……」
ぱさりと掬っていた髪を離し、頬に触れている私の手に和樹さんは自身の手を重ねる。瞼を閉じ包み込むようにぎゅっと私の手を握るその姿はまるで、幸せを心から噛み締めているように見える。
ただ長く伸びた髪の毛だと自分では思っていたけれど、そうじゃなかった。大切な思い出が刻まれいることを気付かせてくれた。
だから和樹さんはいつも髪を乾かしてくれる時にあの表情を浮かべていたのかも。……ううん。きっとそれだけじゃない。
もしかしたらきっと……。
「髪を乾かしてくれているとき、いつも、この髪で新日本髪を結った私を想像してました?」
「っ!」
パチッと瞼が開いた和樹さんの目が真ん丸になる。
「え、えへ。なんちゃって……って和樹さん顔が赤いですよ? もしかしてホントにそうだった?」
「……そういうところは鋭いなんてズルい」
口を尖らせ目をそらす和樹さん。顔は赤いし、頬に触れている手のひらからも彼の熱が伝わってくる。
やっぱりそうだったんだ! 和樹さん照れてて可愛いっ!
貴重な照れ姿に頬を緩ませていると、逸らされていた視線が再び交わった。
彼の瞳が真剣な色をしている。
「ゆかりさん」
「は、はい!」
私の名前を呼ぶ声はいつもの柔らかな声と違って固く、なぜだか緊張して声が上ずってしまった。
頬に触れている手が下ろされ、私たちは先ほどと同じように両手を握り合う。
ぎゅっと優しく、だけども力強く手を握られて。触れ合っている部分がまるで火傷を負ったかのようにとても熱い。
「僕と結婚してください。そして、その日が来るまで長い髪を乾かすのが大変になってしまうけど、結婚式には白無垢を着てゆかりさんのこの髪で新日本髪を結っていただけませんか?」
「~っ! はいっ! ……ってあれ?」
「どうしました?」
「そういえば、和樹さん結婚式挙げられるの……?」
「挙げられるよ。といっても本当に二人だけで挙げる式をお願いするけどね」
ごめんね。そう言ってまた弱々しく笑う。……そんな切ない顔しないで。
「もうっ! 私は結婚式を挙げられるのなら和樹さんと二人だけでも全然幸せなの! だから謝るとかそういうのは一切なしです!」
精一杯の力を込めて手を握りながら笑顔を向けると、私の広いおでこに彼のおでこがコツンと重なった。
「ありがとう、ゆかりさん」
「ふふっ。お礼なんていいですよ」
「うん。でも本当にありがとう」
愛してる
そう言った和樹さんの瞳は潤んでいて、なんだか私まで泣きそうになってしまう。
「私も。私も愛してますよ、和樹さん」
お互いに瞳を潤ませながら私たちは小さく笑いあった。
「あっ……フフッ」
そう小さく声をあげてクスクスと私が笑ったのは、洗面台前のカウンターチェアを折り畳もうとしたときだった。
「うん?」
和樹さんは小首を傾げながら、ロールブラシをしまった引き出しを閉める。
「だってぇ……フフッ」
「ゆかりさん?」
鏡の方を向いたまま私の隣に彼がやってくる。
洗面台前に並んで立ち、鏡越しで目と目が合わさる。
「どうしたの?」
「せっかくプロポーズしてもらえたのに、そういえばすっぴんにパジャマだったなぁって。フフフ」
「あぁ……本当はさ、次のデートでプロポーズする予定だったんだ」
「えっ!? そうだったの?」
目を丸くして和樹さんを見上げる私を見て、彼は苦笑いを浮かべる。
「うん。ゆかりさんが一度でいいから行ってみたいって言っていたレストランに行って、そこでプロポーズとともに婚約指輪を渡して、それから結婚式の話をして髪のこともお願いしようと思っていたんだけど……まさか急に髪を切るだなんて想定外のことを言い出すから、これはもう今言うしかないって思って……」
「あぁぁ……なんかごめんなさい。せっかく予定を立てていたのに台無しにしちゃって……」
「いやいや、ゆかりさんが謝る必要ないから。僕もスウェットだし場所は洗面所だしで、むしろムードの欠片もないプロポーズでごめん」
「ううん、謝らなくていいですよ。プロポーズをされたってだけで嬉しくてたまらないんですから。それにプロポーズがお互いパジャマにスウェットで場所が洗面所だなんて、きっとどこを探しても私たちだけですよ? それって凄くないです?」
「……ホント、ゆかりさんはいいなぁ」
え? と首をかしげた瞬間、ぐいっと彼の胸に引き寄せられ腕の中に閉じこめられた。
「キラキラした笑顔でそんな風に捉えてくれて……心を軽やかにしてくれる。あぁ、ホントに好きになってよかった。好きになってもらえてよかった」
耳元で響く甘い声に心臓を高鳴らせながら、両手を大きな背中にまわす。
「でもさ、今度のデートでもう一度プロポーズしてもいい?」
「へっ!?」
間抜けな声をだして顔を上げる。
「も、もう一度プロポーズだなんて……そんな贅沢いいんでしょうか……?」
一生に一度しかないプロポーズを二回もしてもらえるなんて贅沢すぎるでしょ!
「ハハッ。贅沢なんかじゃないから。というか、予定外のプロポーズで格好もつけられなかったから、しっかりと格好つけたい気持ちがあるからだよ。君が行ってみたいと言ったレストランに連れて行って、ありふれたことしか言えないだろうけどプロポーズをして、それと共に、悩みに悩んで決めた婚約指輪を渡したいんだ」
だからお願い。もう一度プロポーズをさせて! とどこか申し訳なさそうに笑う和樹さん。
ああ、もう。こんな素敵なお願い断るわけがないじゃない。
「はい! ぜひよろしくお願いします!」
満面の笑みで答えると彼は顔をくしゃっと、少年のような無邪気な顔で笑って。
どちらともなく私たちは唇を重ねた。
◇ ◇ ◇
「よしっ! 乾かそう!」
予定外のプロポーズをされた次の日から私は変わった。
和樹さんがいないときは特に乾かすまでに時間がかかっていたのに、お風呂から上がってすぐに髪を乾かすようになった。しかも休み休みでも半乾きでもなく、時間がかかっても丁寧に仕上げるようになったのだ。
“その日が来るまで”
彼が言った“その日”が来たとき、少しでも綺麗な髪の自分でありたい。そう思うと、あんなに億劫だった気持ちは消え去り、ドライヤーで髪を乾かす時間が楽しく思えるようになった。
そして。
「一生をかけて君を幸せにします。僕と結婚してください」
「はい。よろしくお願いします」
夜景が一望できるレストランで二度目のプロポーズをされた私の左手薬指に、眩しいほど煌めくダイヤモンドが付いた婚約指輪が嵌められた。
ゆかりさんてば、お付き合いするときに結婚迫られてるのに、忘れてる? あれはプロポーズにカウントされないんですか?(笑)
和樹さん、ゆかりさんにどれだけプロポーズしたら気が済むのかしらと思ったけど、よくよく思い出すと、結婚してからも何回もプロポーズしてますよね……気が済むわけがなかった!




