95-2 想定外で予定外(中編)
「……あのね」
コードをドライヤーに巻きつける手の持ち主、和樹さんの横顔を見上げながら口を開くと「うん?」と甘い声が返ってくる。
「近々……髪切ろうかなって思ってるの」
「えっ」
「え?」
洗面所に響いたテノールの声の大きさに驚いて私の肩が小さく跳ねた。
勢いよくこっちを見た和樹さんの目は大きく見開かれ、瞬きひとつしない。おまけに手の動きも止まっている。
そんなに驚くようなことかしら?
不思議に思いつつも手元のタブレットを操作し、固まっている彼に端末を向けて見せる。
画面に映るのは、顎ラインの短いボブにパーマがかかった女性の画像。
「こんなかんじにしようか……」
「だ、だめです!」
「えっ……」
今度は私が固まる番だった。
和樹さんのことだからてっきり「いいですねぇ」なんて言うと思っていたのに、それがまさかの予想外の否定の言葉……。
ついさっきまで驚いていた顔をしていた和樹さんはというと、今度は険しい顔に変わっている。
え、ちょっと待って。今、駄目って言ったの? ……いや、そんなまさか。きっと聞き間違いかもしれないわ。
「えっと……駄目って言いました?」
コクリと頷かれる。
……まさかの聞き間違いじゃなかった。
でも、なんで駄目なんだろう?
あ、もしかして。
「似合わないですかね……?」
思い浮かぶ理由はこれしか見当たらない。
和樹さんは再び手を動かしながら、タブレットと私を交互に見比べる。
“似合わない”って言われるかな?
自分で訊いておきながら、答えを聞くのが怖くなる。大好きなひとにそう言われたら、さすがにちょっとへこむなぁ……。
「……似合うと思います。ゆかりさん可愛いし」
「へ?」
間抜けな声が出てしまった。
バッサリ言われるどころか「似合う」と言われ。それだけじゃなく、なんと「可愛い」と嬉しいお言葉までついて。
やっぱり「可愛い」と言われるのは嬉しい。それも、大好きな和樹さんから言われるとなおさら。……ってそうじゃない!
「それならどうして駄目なんです……?」
雑誌に載っている洋服に一目惚れして買おうか悩んだときは、「いいですねぇ。可愛いゆかりさんに似合いそうだ」って言うのに。
というか、いつだって和樹さんは否定なんかすることなかったのに。
和樹さんはコードを巻きつけたドライヤーをラックに戻し、私が持っているタブレットを取り上げて洗濯機の上に置く。
「……逆に訊くけど、なぜ髪を切ろうと? しかも一気にバッサリと」
「それは……」
正面の鏡に映る自分を見る。
これだけ長さがあると、お洋服に合わせてのヘアアレンジの幅が広がる。巻いたり、結んだり。色々な髪型の私を見て「可愛い」と和樹さんが言ってくれる。
だけど。
「これだけ長いと乾かすのに時間が掛かるから」
一番の理由はこれに限る。
「毎日とは言えないけど、僕がいるときは僕が乾かしますよ」
甘やかしてくれる優しい言葉。だけども私は再び彼を見上げ苦笑いを浮かべる。
「ありがとう。和樹さんに乾かしてもらえるのはとても嬉しくて幸せです。でもね、この長さだと乾かすのは時間がかかるし、ドライヤーを持つ和樹さんの手が疲れちゃうから申し訳なくて」
自分で乾かすときは手が疲れたら休み休みできるし、なんなら半乾きで済ませてしまうときもある。……けど、和樹さんはいつだって休む間もなくドライヤーを持ち、毎回抜かりなく綺麗に仕上げてくれてる。
乾かす間、たとえ会話がなくてもとても幸せな時間だけど、私のために労力を使わせてしまうことが申し訳ないと思っていた。
「別に僕は疲れてないから、そんなこと気にしなくていいのに」
「えー、でもぉ……」
「せっかく綺麗な髪なのに、僕のことを気にして切るのはもったいないですよ」
「うーんでもまぁ、でも、思いきってイメチェンもいいかなぁって」
二番目の理由はこれである。
雑誌やテレビ。それに喫茶いしかわに来てくださるお客様。そこで髪が短い女性を見ると、短いのもいいなぁって思いが芽生えてきたのだ。それにパーマをかければ、童顔でも少しは大人っぽくなれるし、うねるのも気にしなくていい。
イメチェンが理由ならば否定されないはず! と思ったのに、和樹さんは首を横に振る。
「だ、だめなんです……?」
「……うん」
「イメチェンも駄目ですか?」
「さっきも言ったけど、綺麗な髪がもったいないですよ」
言いながら和樹さんは私の髪を一束掬い上げる。
「でもっ! 短くなったって私の髪には変わりないですよ……?」
にこりと笑ってみせるも、和樹さんは掬い上げた髪に視線を落とし……またしても首を横に振る。
「髪、切っちゃ駄目なの?」
「……うん」
「短くなれば乾かす時間も短くなって、和樹さんの手が疲れなくなるのに?」
「言ったでしょう? 僕は疲れてないから気にしなくていいって」
「イメチェンも駄目?」
「……うん」
「さっきの髪形似合うって思ってくれているでしょう?」
「うん。確実に似合いますよ」
「じゃあ、あの髪型にした私を見たいと思いません?」
「うっ……それは見たいですけど……」
「っ! それなら」
「でも駄目です」
「えぇ……駄目なの……?」
「うん」
「どうしても?」
「どうしても」
だ、駄目だ。断固として譲らない。この人がここまで頑固なことがあっただろうか? ……いや、なかった。今回が初めてだ。
ということは、ここまで和樹さんが否定するのには何か理由があるってことよね?
「……わかりました」
私がそう言うと和樹さんはなぜか安心したような表情に変わり、洗濯機の上に置いたブラシ等の後片付けを始めようとする。
「それでは、なぜ髪を切ったら駄目なのか理由をお聞かせ願えますか?」
ピタッと和樹さんの動きが止まる。
別に彼の意見を無視して髪の毛なんて切れるけど、理由を聞かないままだとモヤモヤが残る。だからといって、理由を聞かずに「はい、わかりました」なんて言えない!
「はっきりと理由を教えてくれたら髪は切りません。しかし! 教えてくれないというのなら、今度のお休みにでも美容室に行き、バッサリ切ってイメチェンします!」
立ち上がって彼に詰め寄り、じーっと横顔を見つめる。
和樹さんは時々横目で私を見るが、黙ったまま中々口を開こうとしない。
さぁ、和樹さん。究極の選択をどうしますか!?
一分が経とうとした頃。沈黙のなか視線をそらすことなく見つめる私に観念したのか、和樹さんは小さく息を吐き身体をこちらに向け、私たちは向かい合わせになった。
早く理由が聞きたくてウズウズしながら彼を見上げる。
あれ? 気のせいかな? 和樹さんの頬が少し赤いような……。
「結婚式があるから」
「……けっこんしき?」
復唱しながら首を傾げると、彼は小さく頷く。
ん? “結婚式”と“髪の毛”って何か関係あるかしら? ……あっ、 そっか! 結婚式にお呼ばれされたらドレスコードもあるし、それに合わせて髪も纏めなきゃならないもんね!
そうなると確かに長い方が纏めやすくていいのかも。そっか、そっか。そういうことか!
……でも、ちょっと待って。
恋人がいる友人達もいるけど、まだ結婚の話は聞いてないし。お兄ちゃんや親戚の人にもそういった話はないんだけど……。
和樹さん、何か勘違いしてるのかしら?
「えっと、特に結婚式に参列する予定はないですよ?」
「……は?」
和樹さんの目が点になり、ポカンと固まる。
「和樹さん?」
おーい、と彼の顔の前で手を振ってみる。




