92 こたつを巡るエトセトラ
新婚時代のおこた事情。
「はぁぁ~……。おこた温か~い」
ゆかりは今日の家事をすべて終えると、今年になって初めて設置したこたつの中に体を滑り込ませた。つい先ほどまで食器を洗っていた手は指先まで凍るように冷たくなっている。
はぁ……と手に息を吐きかけた後、両手を擦り合わせながらこたつの中に入れた。たったそれだけのことなのに、どうしてこうも幸せを感じてしまうのだろう。
人の心の中までも温かくしてしまうこたつって、なんて素晴らしいんだろう。これを作った人はきっと頭がいいだけじゃなくて、優しくて、思いやりがあって、まるで私の旦那様のような人だったんだろうな。いや、もうこたつそのものかもしれない。一緒にいるだけで幸せな気持ちにさせてくれるんだもの。
そんな誰が効いても惚気にしか聞こえないようなことを思って、ゆかりはフフッと笑いをこぼした。
「ゆかりさん。お風呂準備できましたから、先にどうぞ」
ゆかりは声のした方にチラリと視線を向けると、逡巡したのち「私は後でいいです」と言った。
「……なるほど。こたつに入ったばかりだから出たくないんですね?」
ゆかりは自身の心情を言い当てられて、照れたように頬を染めながらヘラリと笑った。
「ばれちゃいましたか。和樹さんには隠し事できませんね」
そんなゆかりを見て、和樹は優しく微笑んだ。
「僕も隣いいですか?」
「もちろん!」
ゆかりはこたつ布団を軽く持ち上げて、和樹に入るよう促した。
「……ああ、温かくていいですね。日本の冬って感じがして」
こたつに入って溜息まじりにしみじみとそう言った和樹に、ゆかりは笑った。
「こたつって、日本人の特権! って感じがしますよね。海外にはこういうのってないんですかね?」
「海外の多くは部屋全体を温める暖房器具が多くて、こたつみたいなものは日本にしかありませんね。でも、最近はこたつの魅力を知った外国人の一部が実際に使っているみたいですよ」
「へえ、そうなんですね。じゃあ、そのうち『こたつにミカン』も海外で定番になったりして。……うぅん、ミカン食べたくなってきちゃった。明日買って来ようかなぁ」
「明日は休みですし、蜜柑狩りでも行きますか?」
「わぁ! いいですね、蜜柑狩り。行きたいです!」
途端に目をキラキラさせて喜ぶゆかりがまるで子供のようで、和樹は思わず笑った。
「ふふっ。じゃあ、決まりですね。少し遠出になりますし、今日は早めに休みますか」
「そうですね」
満面の笑みで頷いたゆかりに、和樹はにっこりと微笑んだ。
「ということで、ゆかりさん、先にお風呂どうぞ」
「え……いえ、そんな、和樹さんこそ、お仕事で疲れてるんですから、お先にどうぞ」
そう言いながら、ゆかりはこたつに更に潜り込んだ。どうやらまだこたつから出たくないようだ。和樹はそんなゆかりにこっそりと笑いながら言った。
「ゆかりさんも疲れてるでしょう? 今日はたくさんご馳走作ってくれたんですから」
「ご馳走って程のものじゃないですよ。でも、和樹さんが久しぶりに帰って来たから、嬉しくてつい作り過ぎちゃいました。それに、和樹さんが好きな和食のレシピも覚えたから、食べてもらいたいなって…」
途中で恥ずかしくなったのか、エヘへと笑いながら照れ臭そうに頬を染めたゆかりに、和樹は頬が緩んだのを自覚して顔を手で覆った。
夫である自分のために作れる和食のレパートリーを増やしたとか、久しぶりに帰って来て“嬉しくて”作り過ぎてしまったとか、自分から言っておいて途中で恥ずかしくなって照れるとか、いちいち言うことやることが可愛いゆかりに年甲斐もなくときめいてしまった自分を落ち着かせようと、和樹は深く息を吐き出した。
ゆかりさんと結婚できて本当によかった!
和樹が心底そう思っていると、ゆかりが心配そうに顔を覗き込んできた。
「……和樹さん? どうしました?」
「いえ、なんでも。すごく美味しかったですよ。ありがとう」
先ほどまでだらしなく緩みきっていた顔面を何とか整えると、和樹は覆っていた手を下ろしながらニコリと微笑んだ。すると、途端にゆかりの顔はパッと明るくなった。
「本当? 良かった。じゃあ、また明日も頑張って作りますね」
まだ食べさせたいものがたくさんあるんですよーと笑うゆかりに目を細めると、こたつの中にあるゆかりの手に触れた。
ピクリと体を小さく揺らすと、ゆかりはおずおずとした様子で和樹を見た。互いに視線が合わさり、目が離せなくなる。自然、触れた手は互いの指を絡ませるように握り合っていた。
徐々に近づいて来る和樹の顔を見つめながら、いつ見ても格好いいなぁ……と心の中だけでそう呟いて、ゆかりはそっと目を閉じた。
触れ合った唇は本当にただ触れるだけのものだったけれど、互いの気持ちが十分に伝わってくるようだった。触れられた手も唇も、そこからじんわりと温かくなっていくのを感じて、ゆかりは『やっぱり和樹さんはこたつみたいな人だ』とこっそりと笑った。
チュッというリップ音を残して離れた唇は、すぐに弧を描いた。互いの顔を見て照れ臭そうに笑い合うと、こつんと額を合わせた。
「……ねえ、ゆかりさん」
「はい、何ですか?」
「お風呂、もうちょっと後にしましょうか」
「……はい」
フッと笑んだ優しい瞳に誘われるようにゆかりも微笑んだ。
再び唇を何度も重ね合わせると、和樹はゆかりの背中に手を回しつつゆっくりと押し倒した。こたつに入っていたためか、するりと服の下から忍び込ませた手に触れた肌は火照っているように熱かった。その滑らかな肌を堪能するようにするすると撫でまわすと、ゆかりが擽ったそうに体を捩った。
「や……っ。んもう、和樹さん、くすぐったい」
そう言ったゆかりの声は、欲情を煽るように甘く切なげなものだった。思わず、和樹の喉がゴクリと鳴った。
たったそれだけのことなのにと思われるかもしれないが、こちとら新婚でありながら、とある仕事のせいで一ヶ月近く家に帰れなかったのだ。
こんなにも可愛い妻が家で帰りを待っていると知っていながら帰れなかった辛い日々を思い返せば、十代の若造のようにイチイチ反応しても仕方がないだろう。
おまけに、目を潤ませて顔を赤らめ、恥ずかしさからかもじもじと体を捩る新妻が目の前にいる、そんな状況で冷静になれるわけもない。すぐにでも着ているものを全て引っぺがして行為に及びたいと思うのが男の性というものだ。
そんなことを三秒ほどで考え、それを実行に移そうと和樹が手を動かそうとした時。
「……やっ。くすぐった……ッ」
まだ何もしていないのに、ゆかりがそう言って体を大きく震わせた。
「和樹さん、ちょっと、くすぐったいですってば」
くすぐり過ぎですと、眉間に皺を寄せて抗議するゆかりに、和樹は首を傾げた。
「え? 僕、何もしてませんよ?」
そう言った瞬間、こたつから勢いよく白いものが飛び出してきた。
「ブラン……ッ」
「やだ、ブランくん。おこたに入ってたの?」
寝転ぶ二人の前にシュタッと勢いよく現れたブランは、白くてふわふわの尻尾をブンブン振って「アンッ」と元気よく鳴いた。
それを見て和樹は一気に脱力した。
「なんだ、ブランくんが先におこたを堪能してたのね。今年初のこたつは私が最初だと思ってたのに」
油断も隙も無いわねー、そう言ってブランの方にゆかりが手を差し伸べると、ブランは甘えるように擦り寄ってきた。ゆかりはもう一方の手でブランをなで回す。
「……ハッ。すごい。和樹さん、ブランくんてば、温かい上にモフモフ具合が増してます。こたつすごいっ!」
そう言ってブランを満面の笑みでなで回すゆかりを見て、和樹は深々と溜息を吐いた。せっかくのいい雰囲気だったのに……と、ガクリと肩を落とす和樹の横で、ゆかりは「ねえ、和樹さん。触ってみて。すっごいモフモフ」と興奮気味に言っている。
こちらの気も知らないで……と思いつつブランを撫でながら、つい恨めし気にゆかりを見れば気付いてくれたのか、ハッと我に返ったような顔をした。
「もうこんな時間。明日の蜜柑狩りを楽しむためにも早くお風呂入らなきゃ」
明日の蜜柑狩りを楽しみにしてくれるのは嬉しいが、少しはこちらの事情も察してほしい。そう思っていた和樹だったが、ふと浮かんだ妙案にニヤリと口元を緩ませた。
「そうですね。明日のためにも早く休みましょう。……ということで、ゆかりさん。お風呂は一緒に……」
「和樹さん。私、先にお風呂いただきますね」
和樹の妙案はゆかりに届く前に儚くも消え去った。
「すぐに出ますから、和樹さんも続けて入ってくださいね」
ゆかりはそう言いながら立つと、和樹が止める間もなく風呂場へと行ってしまった。
すでに見えなくなってしまったゆかりに向かって、和樹は「ごゆっくり……」と力なく呟いた。
そんな和樹を慰めるようにブランは「アンアンッ」と鳴いた。そんな優しい愛犬を撫でながら、和樹は大袈裟に溜息を零した。
諦め悪くチラと浴室の方へと目をやると、ブランはトトトッ……と移動し、浴室へと続くドアとの間に立ち塞がり、ブンブンと尻尾を振った。
和樹は「寒い……」とポツリと零して大人しくこたつに潜り込んだのだった。
ビバこたつ!(笑)
和樹さんは和樹さんで、こたつってゆかりさんみたいと思ってそうです。
海外には、新型コロナの影響で、こたつを大量に用意して冬でも野外で食べられるようにしたレストランとかもあるそうですね。




