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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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91 熱中症のその先に

 更新切れちゃってごめんなさい。

 諸事情あってこの2日近く、通信環境がダメダメだったのです。

 とある日曜日。


 買い物帰りのゆかりと和樹が役所前の広場を通ると、歳末の犯罪防止キャンペーンを開催していた。

 四、五歳くらいの子供たちがゆるキャラに群がっている。


 ゆかりがのんびりと告げる。

「そういえば、もう二十年近く前ですけど、熱中症になりかけてたゆるキャラさんを助けたことあるんですよ」

「……え?」

「あのね……」

 楽しげに話してくれるゆかりのエピソードを聞きながら、和樹はゆかりと出会ったときのことを思い出していた。



 ◇ ◇ ◇



 会社の先輩に連れて来られた喫茶店で、店員さんとはじめましてのご挨拶を交わすと、首を傾げられた。

「あなたとはどこかでお会いしたことがあるような気がするんですけど……うーん、どこだったかしら?」


 そんなはずはない。彼女に気がある先輩の前でなんてことを言ってくれるんだ。

 和樹は自己紹介をすませたばかりの女性を前に、内心非常に焦っていた。接触するようなポイントは一切なかったはずだ。それに和樹自身もまるで記憶がない。

 「どこかで出会った」というのは口説き文句の一種ではあるが、彼女の表情から異性としての好意は一切見当たらなかったので、余計に質が悪い。


「やだなあ。ゆかり、いきなり初対面のお客さんを口説いちゃだめだよ」

 店のマスターが出した当たり障りのない助け船に、ゆかりは素直に反応した。

「口説いてなんていません! うーん、もしかしたら似た人をテレビで見たのかな。ごめんなさい変なこと言って。あ、ご注文お決まりですか?」

「あ、はい。お願いします」

よかった。とりあえず、問題にならずにすみそうだ。

 和樹はほっとして、ゆかりにランチセットを注文した。



 注文品が提供されるまで、和樹はカウンターの隣席に座る先輩の話に相槌を打ちながら、背中で店内の様子を感じていた。

 先ほど口説きすれすれの言葉を発した彼女は、のんびりとした口調だがテキパキとした挙動には無駄がない。評判の良い働き者の店員のようだ。穏やかで心地の良い声が次々と注文を捌く様子が和樹の耳に届く。


 これが、ゆかりと和樹の出逢い。



 そう思っていたが、どうやら情報を修正せねばならないようだ。



 ◇ ◇ ◇



 和樹がゆかりと喫茶いしかわで出会う5年ほど前。


 和樹はバイトに指示を出す職員に呼び出された。

「今総務課から連絡があってな。暇でそれなりにガタイのいい若者がいれば寄越してくれと言われた」

「そちらへ行けばいいということですね?」

「ああ、5分後に、総務課の西原のところへ行け。何でも重要な任務があるそうだ」

 吉本がにやりとする。

「分かりました」

 いずれにせよ抵抗する余地はない。


「では、行ってきます」

「おう。西原に次の飲み会はお前の奢りだって伝えておけ」

 どうやら自分は酒代として売り飛ばされたらしい。

「承知しました。お伝えします」

 脳内BGMにドナドナを流しつつ、言われた場所へ向かう。



「ほお。君が噂の和樹くんか」

 西原は、物珍しそうに和樹を見た。話を聞くとどうやら西原と吉本は元々高校の同級生だったらしい。和樹は、自らの友人達を思い出してさもありなんと思った。


「悪いね。君みたいなイケメンに頼む仕事じゃないんだけど」

 ちっとも悪いと思っていない口調でそう言って彼が指さしたのは、黄色い巨大な物体。頭と胴体部分が分裂しているが、その顔には見覚えがあった。

「ああ、ゆるキャラの……」

「そう、我らが名物キャラクターだよ。毎年参加しているイベントがあってね。で、その中の人になるヤツも決まっていたんだけどねぇ」

 西原はそこでチラリと視線を近くにいる、いかにも若い青年に移した。


「原田、ちょっと来い」

「は、はい」

 おそらく同じ年ごろであろう原田が、青い顔でおっかなびっくりやってきた。

「彼は原田。本当なら今回は彼の担当だったんだ。が、ね。原田。もう一回コイツに入ってみせろ」

「いや、それは……」

「いいから、そうじゃなきゃ説明がつかんだろう」

「……はい」


 いったい、このゆるキャラに何があるのか。内側に毒でも塗ってあるのかというほど怯えきっている原田だが、しかし先輩命令に逆らえるはずがない。

 見ているこちらが気の毒になるほど体を震わせて、ゆるキャラに体を埋めていった。

「和樹くん、悪いけど、コイツの頭を原田に被せてやってくれないか」

「あ、はい」

 確かにこのゆるキャラの頭は巨大で、自力で被れる代物ではない。一体何が起こるというのだ? と疑問に思いながら、和樹は慎重に原田にゆるキャラの頭を被せきる。

 と、そのときすべてが判明した。


「わああああああ」

 突然原田が奇声を上げたのだ。

「くらいよーせまいよーこわいよー」

「え? ……あの、これは……?」

「くらいよーせまいよーこわいよー」

 どこかの漫画のキャラクターの如く叫び倒す様子に、西原は深いため息をつく。


「聞いての通り重度の暗所・閉所恐怖症でね……車とか倉庫の荷運びは問題なかったようなのだが、ゆるキャラの中の人になるのは駄目だったようだ。それで君をね」

「くらいよーせまいよーこわいよー」

「あ、あのとりあえず、外してあげていいですか」

「ああ、そうだ。うん、お願いするよ」


 これ以上壊れたテープレコーダーのような声を聞いていたら、夜うなされそうだ。和樹が慌ててゆるキャラの頭を取り上げると、中から涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった原田が顔をのぞかせた。

「……すみません。どうしても正気になれなくて」

「いえ……誰にでも苦手なものはありますから」

 正直病院に行ったほうがいいと思う……という言葉を呑み込んで、ゆるキャラの頭をどさりと床に放る。


「という事情でね、悪いが君に入ってもらうことにした。今日の午前10時から休憩をはさみつつ2時間。イベントに参加するんで、よろしく頼むよ!」

「お任せください」

 幸いにして、暗所恐怖症でも閉所恐怖症でもない。だが、今日の外の気温は確か最高気温が29度のはずだ。秋とは言えまだまだ陽射しも強い。

 言うまでもなく、着ぐるみを着るには最悪のコンデションであった。



 着ぐるみの中は最悪だった。

 年季が入った着ぐるみは、毎回若い男性が身に着けている上に、洗濯ができない代物なので、臭い。常時靴下の裏を鼻の先に突き付けられているかのように臭い。

 しかも暑い。体感で外気より5~8度ぐらい高い気がする。

「気分はどうですか?」

 とイベントを仕切る広報担当者に言われても、最悪です、以外に言葉がなかった。

 もちろん、言ったのは心の中だけだが。


「前が見えません」

「ああ、それは大丈夫です。方向はこちらで随時案内しますから。じゃあ、行きましょうね」

 前どころか自分がどちらに立っているかすら分からなくなるのが着ぐるみの恐ろしいところだ。

 閉所恐怖症を装ってでも逃げたやつが正解かもしれない。

 そんなことを思いながら、和樹は係の人に手を引かれイベント会場に足を踏み入れた。


「うわーい!」

 イベント会場となった広場は、意外にも(といったら怒られるだろうが)盛況な様子だった。

 地域の学校施設に呼びかけがいっているのか、幼稚園か小学生と思われる子供の声が大きく広場にこだまする。

 子供たちは着ぐるみが大好きだ。多少デザインが古かろうが、古びて若干汚れていようが気にせず着ぐるみに寄ってくる。


「握手してください!」

 中の人が存在を主張してはいけないということになっているので声は出せないが、ジェスチャーは好きにしていいらしい。

 ゆるキャラになり切った和樹は、子供のいささか乱暴な愛情に、丁寧に応えていった。たとえ、子供にタックルをくらっても、蹴られても「このヤロウ!」などとは叫ばない。

 つまり、えらく気が短い本来の和樹を封印して、精いっぱい愛想よく振舞って見せたのだ。


 おかげで和樹は休憩中広報担当者から絶賛された。

「すごいわね、和樹くん。前回のバイトくんなんて、ぜんぜん手を振らなくて、ぼーっとつっ立ってるだけだったから、子供が怖いって泣き出したんですよ」

 それは、おそらくどう動いていいか説明しないからだろう。和樹はうんざりした気分になって水を呷る。まったく説明せず、そのバイトくんを極端な説明不足のまま混乱させたに違いない。


「じゃあ時間だから行きましょう」

 着ぐるみの頭だけ取った和樹は、バケツをかぶったような汗をタオルで拭って頭をかぶり直す。先ほどから大量の汗が止まらず頭痛や吐き気がする。おそらく熱中症になりかけているようだ。

 スポーツドリンクが用意されていたが、実のところ飲む時間がほとんどない。


「あと、30分だから頑張って」

 制服だけなら気楽なものだ。

 立場の弱い新人バイトでは、気分が悪いと告げることすら憚られる。内心であらゆる怨嗟の言葉を述べながらも、子供の相手をしていると、方向の案内をしてくれていた広報担当者がふいにその手を離した。

そして、何かしら他の人と慌ただしく話している。


「ごめんなさい、和樹くん」

 しばらく話した後、広報担当者は和樹にだけ聞こえるように耳打ちした。

「ちょっとトラブルがあるみたい。ここにいてください。動かなければ方向に問題ないですよね」

 問題大ありだ。正直なところ和樹は吐く寸前なほど気分がよろしくないのだ。これで広報担当者がいなくなったら、いざというときに方向が分からずいきなり倒れてしまうかもしれない。

 愉快なはずのゆるキャラが突然倒れたら、子供のトラウマになりそうだ。


 だが、和樹の回答は特に求められていなかったのか、あっという間に広報担当者の気配が消えた。

 まじか。

 和樹はぐらりとなったが、子供たちは相変わらず握手を求めてくる。プライドでなんとか応えてみたものの、やはり体には限界というものがあった。

 意識が混濁してきた。これ以上はまずい、そろそろ倒れる。そう自覚したとき。


「あの……」

 と、和樹に誰か話しかけてきた。広報担当者の声ではない。

「大丈夫ですか。足元がふらふらしてて具合が悪そう」

 ちびっこたちに気を使ったのか、和樹にだけ聞こえるような小さな声である。あの広報担当者が別の人を寄越したのか。

 広報担当者よりずっと優しい気遣いの声にほっとした和樹は、思わず本音を言った。

「実は熱中症で……全然方向感覚がないんですが……」

「じゃあ、とりあえず子供にバイバイしてください。日陰まで案内します」

「わかりました」


 右手を支えられた感触にほっとしながら、和樹はなんとか渾身のバイバイをする。

 すると子供たちはいっせいに「えーーーーっ!」と言ったが、もう構ってはいられなかった。これ以上この場にいると、ゆるキャラのイメージが、キャラクターが危ない。


「すぐ近くに木陰がありますから、とりあえずそこに行きましょう」

 おそらく百歩も歩かなかったはずだが、酷く長く感じる道のりだった。だが、なんとか座らせてもらうところまできて、和樹は長い息を吐いた。

もう、目がかすんでいる。


「ここ、子供たちから死角になってますから、頭とっちゃいますね」

 そう言われて、勝手に頭を取られたが、反応することすらできなかった。が、視界に僅かに入る服装が明らかにイベント関係者のものではないことに気が付く。


「きみ……」

「きゃー顔真っ赤! スポドリ飲んでください。スポドリ! それからあとえーっと……あった冷却スプレー! 効果あるか分からないけど、ないよりましだと思います」

 和樹のかすれ声は無視され、無理やり蓋を開けたスポーツドリンクを押し付けられた上に頭から冷たいスプレーを振りかけられる。


「あ、きみは…」

 なんとかスポーツドリンクを嚥下して、先ほどより少し大きな声で再び尋ねると、その女─というよりおそらくまだ少女だ─は、ふふっと柔らかく笑った。何しろ目がかすんで顔が見えないが、明るい可愛らしい人なのだろう。


「私は近くの高校に通う高校生です。あ、でもお任せください。これでも私、保健委員なんです。この間勉強したことがしっかり役に立っちゃいました」

「そうですか。あの……人を、呼んでもらえますか? ちょっと立てないので」

「もちろんです。すぐ呼んできますから待っててくださいね」

 少女は、そういうとスポーツドリンクをもう一度和樹に飲むように言い置いて、そばを離れていった。


 傍を離れられた途端に心細くなるなんて。

 和樹は消え行く意識の中で自嘲した。

 見知らぬ人にいきなり手当をしてもらうなんて、園児の頃以来だ。

 せめて名前を聞いておけばよかったなぁ。


 和樹は、そこで意識を手放してしまった。



 ◇ ◇ ◇



 そうか。ゆかりさんがあのときの女子高生だったのか。

 本当に昔から変わらないんだな。


 ほぼ二十年ごしで辿り着いた答えに、これが運命の再会というやつか、と妙な納得をしてしまった。


 ゆるキャラの中にいたときは前髪がやや長めでべったりと顔に張り付いていたから表情は見えにくかっただろうし、顔色も普段とは違っただろう。

 それでも、あの一瞬の邂逅を、ゆかりさんは5年経っても、なんとなくでも覚えてくれていたのに……仕方がないこととはいえ、自分に女子高生のゆかりさんのはっきりした記憶がないことが、たまらなく残念で悔しかった。

 はい! ということで、ゆかりさんと和樹さんの出逢い篇でした。


 お互い気付かないところで実は接点を持っていたふたり。テーマはある意味ベタですけど、これならまぁ、再会時に気付かなくてもやむなしかなぁと。

 和樹さん、スポドリですでに心鷲掴みにされていたのかもしれませんね。


 和樹さんは「実はそれ、僕です」って言わない……というか言えないタイプな気がするんですよね。

 ゆかりさんが事実を知る日は来るんでしょうか。

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