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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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90 冬至ディスカッション

 半月ほど早いですが、冬至にちなんだゆず湯のお話。

「あ! おふろに、みかんがはいってる!」

「蜜柑じゃなくて柚子な」


 和樹は洗い場で冷えないよう息子の体を手早く洗い、続けてシャンプーをする。ふわふわのマシュマロみたいな泡で髪の毛を洗ってもらっている間も、進の視線は湯船に浮かんでいる五つの柚子に釘付けだ。


「進、泡流すから目つぶって」

「あ、まって」

「お喋りは、いったんおしまい。口もチャックしとこう。泡が入るぞ?」


 お口チャック。

 父親譲りのお喋りな口を受け継いだ石川家の四才児が澄ました顔で静かになる魔法の言葉だ。元々は保育園で担任の先生が使っていた『呪文』らしいが、ゆかりが試しに使ってみたところ、進のお喋りを嘘みたいに封印することに成功した。それ以来、喋ってはいけない場面では、和樹も『お口チャック』の魔法をかけている。指先を唇に持っていき、チャックを閉めるジェスチャーまで付けたらもう完璧だ。


「もう! おとうさん、ながすのはやい! みみのふた、まにあわなかった!」

「あ、すまん……」


 丁寧に泡立てたシャンプーを豪快に流すと、お口をチャックしていたはずの進から「耳を塞げなかった」と、クレームを賜った。和樹のシャワーのタイミングが早急だった。


「おかあさんは、もっとしゃんぷーやさしい。おとうさんは、ざつ」

 放っておくと永遠に文句が飛び出してきそうな気配を察知した和樹が、進の体をもう一度シャワーで軽く洗い流し、柚子がぷかぷか浮かんでいる湯船にそっと入れた。


「みかん!」

「似てるけど、これは柚子」

「ゆず!」


 進の意識が柚子に向かっているうちに、和樹は自分の体を洗う。


「どうしてきょうは、ゆずがはいってるの?」

「今日は冬至だから、風呂に柚子を入れるんだ。そうだな……風邪を引かなくなるおまじない、って説明したらいいかな」

「かぜをひかなくなる……むてき!」


 両手を使って、大事そうに湯船から柚子を掬い上げた進が、まじまじと『無敵の果実』を眺める。


「ゆずのおふろはいったから、ぼく、きょうからむてき?」

「無敵でいてくれ。風邪にもインフルエンザにもノロウィルスにもかからず、無事に春を迎えてくれることを願ってるよ」


 冬場は必ず体調を崩す進に、和樹は切実なお願い事をして、今度は髪の毛をざかざかと洗い始めた。


「……」


 僕は無敵、と繰り返し呟いていた進が急に静かになった。湯船が波打つ水音も聞こえない。幼児が急におとなしくなるのは、何か良からぬことが起きる前触れ……もしくはすでに起こっているとき。嫌な予感に体が冷えつつ、慌ててシャンプーを洗い流した和樹が目を開けると。


「みて、おとうさん! おおきくなった」


 湯船の中で立ち上がった進が、無病息災を願った柚子を二つ、誇らしげに股間に押し当てている。進の股間、子どもらしい控えめな見た目の“持ち物”に後付けされた大ぶりな柚子がご立派だ。


「……静かになったと思えば、ろくなことしてなかった……」


 ポタポタと雫が滴り落ちる前髪を掻き上げた和樹が、物言いたげな目で進の顔と股間を交互に見つめ、大きなため息を吐いた。


「おとうさんよりおおきい」


 四才児はドヤ顔で、湯船に浸かろうと風呂椅子から立ち上がった父親の股間を凝視した。


「体冷えるから肩まで浸かれ」

「やだ!」

「いいから、お父さんの膝の上に座れって」


 心地よい温かな柚子湯に一日の疲れが癒される。足を伸ばし、湯船に浸かった和樹は、自分の太ももに捕獲した進を乗せた。


「あああ……柚子湯、気持ちいい……」


 さっぱりした柑橘の甘酸っぱい香りに包まれたバスルームに和樹の声が反響した。


「ぼくのなのに……」

「生まれ持った自前の玉が二つもあるだろ」


 和樹が進を捕獲した拍子に、進の股間にオプションとして後付けされた立派な二つの柚子は湯船へと放流された。漂う柚子を残念そうな視線で追う進に、和樹が適当すぎる慰めの言葉をかけた。妻に聞かれたら、たぶん、いやきっと、少し怒られる。


「僕たちが出たあと、お母さんも柚子湯に入るんだぞ? そこに密着してた柚子は嫌だろ?」

「でも、ぼく、からだあらってるよ? きたなくないよ?」

「気分の問題だ、気分の」


 そして、キミの柔肌をピカピカに磨き上げたのはお父さんな。和樹はしっかり訂正することも忘れなかった。


「みて、おとうさん」


 進がこう言う時は、だいたい良い予感はしない。父親の太ももから立ち上がった石川家の四才児は、先ほどの柚子とは別の二つを掴んでいる。


「おかあさんのおっぱい」


 今度は自身のぺったんこな胸に、上機嫌で押し付けた。狙っているのかいないのか、柚子のヘタは二つとも和樹のほうに向いている。


「……進」

「う?」

「お母さんのおっぱいは、もっと大きい」


 大きくて、ふんわりやわらかで形も良くて云々……妻の胸について力説したい衝動を、和樹は何とか理性で抑え込んだ。しかし大事なことなので、要点だけしっかりと修正した。


「ゆずもおおきいよ?」

「進の手には大きいかもしれないけど、お父さんの手にはその柚子はそれほど大きくないんだ」


 こう、ゆかりさんのおっぱいは、もう少し直径があって、でも感触はやわらかくて。

 五本の指を動かし、頭の中で妻の胸を思い浮かべる和樹は心底真面目な表情で眉間にしわを寄せているが、鼻の下は微妙に伸びていた。端正な顔立ちが台無しである。


「すいか?」

「スイカよりは少し小さい、かな」


 夏の風物詩、スイカ割りで使う大玉スイカを思い浮かべたが、和樹のイメージとは若干のズレがあった。ゆかりの胸はもう少し控えめだ。


「めろん?」


 化粧箱入りご贈答用高級メロン。惜しい。和樹の中でゆかりの胸の高級感はメロン級だが、残念ながらサイズ感はメロンより僅かにコンパクトだった。


「もうちょっとだけ小さい果物かな」

「……さくらんぼ?」

「小さすぎだ」


 息子に下方修正された妻の胸。納得できず即座に突っ込み、和樹は思案を続ける。僕のお嫁さんのおっぱいは、大きくて、形も良くて、やわらかくて、みずみずしい……


「梨だ! 大きな品種の梨! ゆかりさんのおっぱいは梨!」


 手のひらにゆかりの胸もとい梨が乗っているイメージで指をやわやわと動かしてみる。うん、しっくりくる。ようやく正解を導き出した和樹は達成感で満たされたが、父とは反対に、進はぽとりぽとり、と、粛然として柚子を湯船に戻した。


「どうした、進。急に静かになって。お母さんのおっぱいは柚子より大きい、ってことが分かったのか?」

「……何の話をしてるんですか……」

「! ゆかりさん……」


 進の視線の先、バスルームの磨りガラスの隙間からジト目で覗き込むゆかりがいた。


「冬至の柚子湯ではしゃいでるにしても、出てくるのが遅いからのぼせてるんじゃないかって心配になって覗いてみれば……和樹さん、進くんに変なこと吹き込まないでください!」

「違う、僕じゃない。最初は進がやり始めて……」

「だとしても、大人の和樹さんが一緒に悪ノリしちゃいけません」

「……すみません」


 ぐうの音も出ない。


「何してるんですか、もう」

「……ゆかりさん、どこから聞いてました?」


 ばつが悪そうに目を泳がせた和樹が、念のため恐るおそる訊ねた。


「メロン、の辺りからです」


 けっこう聞かれていた。男二人、風呂の中で繰り広げていた偏差値の低い会話が、愛する奥さんに筒抜けになっていた。


「おかあさんのおっぱいは『なし』って、おとうさんいってた。おおきな、なし」

「最初に『お母さんのおっぱいは柚子』って言い出したのは進だからな?!」


 父と子で主犯をなすりつけ合っている。


「進くん、のぼせる前にとりあえずお風呂から上がろうか? お父さんのおしゃべりなお口にチャックしてきて」

「ゆかりさん!」


 年下のお嫁さんが下した審判で、主犯は和樹で確定した。一緒に悪ノリした罪は重い。歩くスピーカーの進に変なことを教えてしまったことは重罪だ。


「ゆかりさん! 弁解! 弁解させて!」


 両親や保育園の先生がやる『お口チャック』と同じように、進も指先を父の唇に持っていった。チャックをするジェスチャーをするかと思いきや、


「……おとうさん、おくち、ちゃっく」

「んぐっ」


 かつて自分の股間に引っ付けていた柚子を手に取った進はそれを父の唇に押し当て、ゆかりと共にバスルームを後にした。



 石川家の冬至は、ほろにがい柚子の味がした。


 おふざけがすぎました。ごめんなさい。


 冬場の定番の病気に新型コロナを入れるか迷ってやめちゃいました。

 どれに罹患しても大変なので、お互い気を付けましょうね。

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― 新着の感想 ―
[一言] これぞ男同士の会話ですね(笑)
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