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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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67-2 招かれざる客入るべからず(後編)

 いつもよりちょっと長めです。

 微ホラーテイストなので、苦手な方はリターンでお願いします。

『入っても、いいですか』


 ぞわりと、鳥肌が立つような感覚に身を固まらせた。返事ができない。まして、扉を開けるなんて以ての外だった。


 扉越しの言葉が、閉店間際に聞いたものと重なる。そんなことあるだろうか。ここはゆかりの家で、喫茶いしかわでもなんでもないのに、さっきと同じ言葉が聞こえてくるなんて。


 肌を駆け巡った薄気味悪さに一歩後ずさる。靴を履いたままだとかいうのはどうでもよかった。

 玄関は施錠されている。チェーンだって掛けた。ゆかりが開こうとしない限りは開けないはずだ。そう、理解はしてるというのに。

 心臓が喉にせり上がるように心音を繰り返して、呼吸の仕方がわからない。玄関の光は変わらないはずなのに、視界が明度を下げた気がする。

 玄関先にいる“誰か”への不信感が募っていく。


 ぴんぽーん、とまた聞こえて、ゆかりはケータイを握る手に力を込めた。どうしよう。どうすればいいの。警察や友人に掛けて上手く説明ができるだろうか、そもそも指が震えてしまって、ケータイを思うように操作できるかも定かではないのに。


 ふいにケータイが震えて、悲鳴を飲み込むようにしてゆかりは手の中に視線を落とす。けれど和樹の名前が見えた瞬間、ゆかりの指はぎこちなく通話ボタンを押していた。

「──もしもし、ゆかりさん?」

 状況は何ひとつ変わってないのに、その声を聞いただけで安堵が波のように押し寄せた。呼吸ができて、視界が明るさを取り戻す。張りつめていた神経の糸が、緩やかに解けていく。


「……か、かずきさん」

 まるで泣き出しそうな、思ったよりも頼りない声がこぼれた。電子機器の向こうで小さく息を飲んだような気配があって、次にゆかりの鼓膜を震わせたのはやや硬い声だった。

「どうかしましたか?」

「わ、わからな……入っていいですかって、ドアの向こうから、なんで、わたしの家なのに……っ」

 心配の色を隠さない声を聞いてしまったら、もうだめだった。

 ゆかりの視界がとうとう滲んで、こぼれる内容は要領を得なくなる。説明になっていない声に、しかし和樹はひとつ息を吐くと。

「すぐ行きます。ゆかりさんは家の中なんですよね? むやみに動かずに、その場でじっとしててください」



 永遠に変わらない信号機の前で立ち尽くすような、リビングからかすかに聞こえる時計の進行音に飲み込まれそうな気分だった。

 和樹から通話があったときからチャイムの音は繰り返されていない。それでも、スコープを覗いて確認するような気は到底起きない。時折すきま風に身を震わせながら、ゆかりはただ座り込んでいた。体感的に、一時間も二時間も経ったような気がする。けれど時間にして、きっと数分程度だった。


 駆けるような靴音が耳に届いて、ぴくりと反応する。爪先を眺めていた視線が上がる。

 ゆかりの玄関の前で靴音が止まるのと、「ゆかりさん」と普段よりは音量を上げた声が聞こえたのは同時だった。少しだけ震えながらスコープを覗いて、目の前に佇んでいるのがゆかりのよく知る相手だけだと認めたときには、ゆかりはチェーンと鍵を外して玄関の扉を開けていた。


 返事がないままに扉が開いたことに驚いたのか、和樹の目はかすかに丸みを帯びている。けれどすぐに、ゆかりを見てほっとしたように笑った。

「怪我などは、してないんですね?」

 こくり、とゆかりは頷いた。

「私、何がなんだか……」

 ぽつぽつと、先程の出来事を話す。電話口よりは落ち着いたゆかりの言葉に和樹は丁寧に耳を傾けて、そうして考え込むように顎に指を添えた。

「声は、どんな感じでしたか? お店で聞いたときと似ていました?」

「声……」


 和樹の質問を受けて、ゆかりは両手で身体を抱きしめたまま視線を彷徨わせた。同じ言葉が聞こえた、という事実に意識が縫い付けられて、声色についての印象が思い返せない。喫茶いしかわで聞こえたものと同じだった、といえるかもしれないし、違う、といえばそうかもしれない。


「声については、はっきりと同じ人だとは……すみません」

「いえ、謝らないでください。むしろ僕は、違うんじゃないかと思って聞いたので」

「え? それって……和樹さん何かわかったんですか?」

 ぽかんと口を開けたゆかりに、推測ではあるんですが、と和樹はひとつ前置いた。

「ゆかりさんからの電話の後で、少し引っかかったことがあったんです。というのも、去年に似たような出来事があったのを、知人の警察官から聞いていたもので」


 去年の、同じく十月三十一日の話だと和樹は言った。この近隣の警察署に勤める知人のもとに、類似の通報が十数件あったらしい。夜中にチャイムを数回鳴らされ、「開けてください」というような声を聞いて外にでるとそこには誰もいなかった、という内容の。

「ピンポンダッシュに近いと言えばわかりやすいでしょうか? 聞いた声はどれも若かったらしく、おそらくイベントの日ということで羽目を外した大学生集団などが悪ふざけを行ったんじゃないかと」

 和樹の言葉を聞いて、ゆかりは目をぱちぱちと瞬かせた。確かに似ている。扉越しに声を聞いた瞬間に頭をよぎった、喫茶いしかわで見かけた人物がゆかりの家へやってきたのではという想像よりもよっぽど現実的だった。


「推測に近い結論なのは、通報後に近隣を見回ってもそれらしい集団が見つからなかったからですね。だから今年に関しては、見回りを強化すると──」

 言葉を続けていた声がふと途切れて、和樹は視線を少し下げるとポケットから携帯を取り出した。そのタイミングで振動音がふつりと止む。

「すみません、メールが来たようで……あ」

 ゆかりに断りながら携帯を操作した和樹が、指を滑らせた後、声をこぼす。次に、携帯を閉じてゆかりの方を向いた和樹は、思った通りでした、と言って口元を緩めた。


「ゆかりさんの話を、来る途中で知人に連絡しておいたんですが。今、その警察署にいる別の知人から連絡があって、大学生集団が補導されたようです。この辺りで、他人の家のチャイムを悪戯目的で鳴らすという行為をしていたという理由で」

 このマンションにも来ていたようですよ、と和樹が続けた言葉を聞いた瞬間、ゆかりは座り込みたいような気持ちで「なんだ……」と息を吐き出した。


「じゃ、じゃあ喫茶いしかわでの一件は何も関係ないんですね」

「そうですね。偶然にも同じような言葉を聞いたことで、ゆかりさんの中で恐怖感が募ったんでしょう。どのみち、悪ふざけをするような相手です。開けなくてよかったことに変わりませんよ」

 固く断言してから、もう平気ですか? とゆかりを気遣うような柔らかい口調が耳に届く。


 随分取り乱してしまった電話口を思い出して、浮かんだ恥ずかしさと気まずさを隠すようにゆかりは眉を下げて笑った。

「ええと、まあ……。喫茶いしかわの一件もそうなんですけど、和樹さんの話が浮かんで、もし幽霊だとかの類だったらどうしようかと本気で考えちゃったんですよね。そんなわけないのに恥ずかしい……」

 あはは、と取り繕うように笑みをこぼしたゆかりに、和樹の心配そうな表情が解けるように和らいだ。

「ゆかりさん信じてなかったんじゃ?」

「だって状況が状況ですよ!」

 叫んだところで、少しゆかりは冷静になった。


 今になって現状を眺めてみる。

 ゆかりの家、玄関先。玄関と外との境界を隔てて、二の腕をさすりながら抱えているゆかりと、別れたときと変わらない和樹が向き合っている。何か、何か大事なことを忘れている気がする、とゆかりは思って、そしてはっと目を見開いた。


「あの、和樹さん、どうしてそもそも私に電話を?」

「あー……喫茶いしかわの鍵、ゆかりさんが持ってますよね」

「わー! やっぱりそのことですよね!! ごめんなさい! すぐ渡すから! ついでにお茶くらい出させてください!」

 どうりで電話の後からここに着くまで数分程度しかかからなかったわけだ。ゆかりはわたわたと靴を脱ぐ。お茶を用意するためだ。

「和樹さんお茶でいいですか? それともコーヒーにします?」

 靴を脱いでから、ゆかりはぱっと和樹の方を振り返った。和樹は未だに、玄関の外に立っている。


「和樹さん?」

「ゆかりさんはもう少し警戒心を持った方がいいですよ……それに、僕は入れないです」

 呆れに近い声が聞こえて、ゆかりは首を傾げた。

「もしかして、用事があるんですか?」

 だからお茶を飲む時間がないのだろうかと慌てて和樹を見ると、ゆかりの言葉を聞いた和樹はおかしそうに首を振った。

「そういうわけじゃないですよ。せっかくですしお茶は頂きます」

「……? それなら、中の方が肌寒くないですよ」


 落ちた声が不可解そうな響きを纏ったとは自覚している。和樹が緩やかに瞬いて、それから目が合った。

「いえ、入れないってだけです」

 深い深い、夜空を映したような瞳に不思議な熱を宿しながら、夜を背負った和樹が口角を上げた。


「まだちゃんと、招かれていないので」


 ということで、微ホラーテイストな和樹さんの言動でした。

 冗談で怖がらせようとしただけなのか、それとも……?

 喫茶いしかわの世界観なら、どっちでもアリだとは思ってます。ふふふ。


 明日はハロウィンを口実におうちデートで恋人としていちゃつく和樹さんとゆかりさんをお楽しみくださいませ。

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