66-2 在庫問い合わせ先はお父さまです(中編)
そう決意するも束の間、
「おやつえらんだら、やおやさんいくの」
「八百屋さん?」
あいにく当店はホームセンターだ。生鮮食品は取り扱っていない。
「おとうさんが、べらんだで、やさいそだてる。きょうは、やさいのたね、かいにきた」
「あー。家庭菜園かぁ」
「ぼく、おやつえらぶのあきたから、さきにやおやさん、いこうとした」
だからキミは園芸コーナーに向かって、日本新記録を叩き出しそうな勢いでダッシュをしていたんだね。
「うーん……気持ちはわかるんだけどね……」
「?」
「園芸……野菜の苗売ってるところに行くって、お父さんとお母さんに言ってから来た?」
「……いってない」
「やっぱり言ってないかぁ……」
お父さんもお母さんも心配してるよ。
「でも、だいじょうぶ」
何が大丈夫なんだろう。男の子は一応『迷子』というカテゴリに分類されるはずなのに、まったく動じていない。むしろ自信満々だ。
「おとうさんは、ぼくをさがす『ぷろ』」
ということは、必然的にキミは迷子常習犯なんだね。
「お姉さんがペット売り場までついて行ってあげるから、お父さんたちのところへ戻ろうよ?」
説得を試みたものの、幼い大物は自分のペースで話を続ける。
「おとうさんが、ほーむせんたーには、いろんなたねがうってる、っていってた」
「うん、売ってるよ。野菜の種だけじゃなくて、苗も売ってるし、あ、お花も。時期によっては果物の苗木も取り扱ってるよ」
「どんなたねもある?」
「大体のものは揃ってるかな」
「まほうのおみせ!」
当店の品揃えの豊富さが、彼の子どもらしい反応を引き出した。コンクリート製の通路で、男の子は興奮した様子でぴょんぴょん飛び跳ねる。
「おとうさんがね、ぼくのすきなたね、かってくれるって、きのういってた」
「そっかぁ、いいね。お父さんと一緒に家庭菜園するの、楽しみだね」
「ぼく、ほしいたね、ある」
そう言い残した男の子は、コンクリート製の連絡通路を鉄砲玉よろしく再びダッシュし、園芸コーナーまで駆けて行った。
「お店の中で走らないで……っ」
短距離ながら息も絶え絶えで男の子に注意をする。園芸コーナーまでの僅かな距離だが、自分の圧倒的運動不足を感じた。齢一桁(推定)と二十代の私じゃ瞬発力が違うのか。幸い、他のお客様と出くわさなかったから、良しとしよう。でもお店の中で走ると危ないから、次は気をつけようね。
「おねえさん、ない」
「? 何を探してるの? ……種?」
こくり、男の子が頷く。
トマト、ナス、きゅうり、えだまめ、ピーマン。太陽に向かってぐんぐん成長しようとしている夏野菜の苗には目もくれず、苗コーナー横、野菜の種をずらり網羅したラックを、男の子は真剣に物色していた。
「どんなたねもあるんでしょ?」
「うーん……大体は」
この周辺にある店の中では、当店の品揃えはいちばんだ、と自負している。
「トマトやきゅうりなら、種から育てるより、こっちの苗を植えたほうが早く収穫できるよ?」
購入される時を「今か今か」と待ち侘びる当店自慢の苗を紹介しても、男の子はふるふると首を横に振るだけ。
「たねがほしい」
「分かった。お姉さんも探してあげる」
男の子の横に並べば、「ほんと?」彼はぱあっと花が咲いたように笑った。
よっぽど欲しい種なのか。お父さんと家庭菜園をすることを楽しみにしているようだし、よし。キッズお目当ての種を一緒に探してあげよう。
このホームセンター店員にどーんと任せんしゃい!
「ところで、キミの探してる種はどんな種かな? 野菜の名前、分かる?」
幼児が欲しがる種とはいったいどんな物なのか。種蒔きのシーズンが過ぎていないこと祈る。
在庫を確認するためエプロンから端末を取り出し、男の子の言葉を待っていれば。
「あかちゃん!」
彼は高らかに叫んだ。残念ながら、園芸コーナーに赤ちゃんを連れたお客様はいらっしゃらない。
「赤ちゃん……? いないよ?」
まさか男の子には、見えたらいけない何かが見えているというのか。辺りを素早く見回したが、ありがたくも私の瞳には何も映らない。
「ちがう、あかちゃんはいない。たねがほしい」
「?」
「あかちゃんのたね、ほしい」
お客様……今、何と仰いましたか……。
「赤ちゃんの……種……?」
「うん。ぼく、おとうとかいもうとがほしいから、あかちゃんのたね、べらんだでそだてる」
赤ちゃんの種を蒔いて、ベランダでプランター栽培するつもりらしい。どうやら男の子は本気のようだ。
「ねぇ、おねえさん。あかちゃんのたね、どこにあるの?」
「うっ……どこにあるか聞かれても……」
いくら在庫検索をしようとも、お取り寄せを試みようとも、ホームセンターでは『赤ちゃんの種』は売っていない。非売品。品揃えが自慢の当店も、キミに『きょうだい』を売ってあげることはできない。
「あかちゃんのたね、うりきれ?」
在庫の有無はキミのお父さんに聞いてください。
困った。本当に困った。
一緒に探してあげると言った手前、無下にすることもできない。
そして、『赤ちゃんは種蒔きしたプランターで育つ』と、何ともメルヘンな現象を信じている幼児に真実は告げられない。言えるわけがない……!
「よし、赤ちゃんの種はお父さんとお母さんと探して」
私は早々に賢明な判断を下した。
「さっきおねえさん、さがしてくれるっていった。おねえさん、うそついた?」
男の子が唇を尖らせた。
絵に描いたような不満顔でそっぽを向いているが、よくよく見れば、男の子は目鼻立ちの整った可愛らしい顔をしていた。垂れ目がちの大きな目、ハーフを彷彿とさせる色素の薄い髪の毛、子ども特有のぷにぷにした輪郭も、成長ともにシャープな線に変わっていくだろう。思わず、某男性アイドル事務所に履歴書を送りたい衝動に駆られる。
「ぐっ……ごめん、言った。種を探すって言ったけどね、お姉さんには探せない種だったんだ……」
「おみせのひとなのに?」
お店の人だからです!
「や、やっぱり、先にお父さんたちと合流してほしいの。キミがいなくなって、きっと心配してると思うから」
「……」
疑ってる。男の子は怪しんでいる。
最初にエンカウントした時の、誘拐犯を見つめるような眼差し再び。男の子の視線が突き刺さる。苦し紛れの本心を打ち明けていると、
「……すすむ? 進くん? いた! 和樹さん! 進くんいました!」
園芸コーナーへ繋がるコンクリート製の連絡通路を、女性が手を振りながら全速力で走ってくる。
トップスは白地に紺のボーダー、イエローのロングスカートを合わせて、足元は動きやすさを重視したシンプルな黒いスニーカー。女性らしい華奢な両肩には靴と同じく黒のリュックサックを背負っている。女性が足を前へ進めるたびに、ふわり、ふわり、とロングスカートの裾が舞った。
「おかあさんっ!」
種の欠品で、私にクレームを寄せていた男の子は『すすむくん』という名前らしい。そして察するに、この一見おとなしそうに見えるけれど陸上部顔負けのナイスランを披露した女性が、すすむくんの母親というわけだ。
「どこ行ってたの、進くん! 心配したんだよ!」
すすむくんのお母さんは愛する我が子を抱きしめる。
「勝手にいなくなっちゃいけません!」
すすむくんがおしゃべりしてくれたとおりの「いけません」をしていた。すすむくんの言っていたことは本当だった。
すすむくんのお母さんは、派手な装いではなく、見た目も含め、どこまでも自然体な印象の女性だった。例えるなら、『いいお嫁さん』になりそうな。そんなやわらかな女性だ。
「おかあさん、いなくなって、ごめんね」
ぎゅうぎゅうハグされているすすむくんは、やっぱりお母さんの腕の中が心地良いらしい。安心しきった笑顔を浮かべている。




