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徒然とはいかない喫茶いしかわの日常  作者: 多部 好香


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65 もうちょっと抑えてください

 数年後の進くん目線エピソードです。

 俺は最近、両親のことがあまり好きじゃない。


 母さんのごはんは、さすが管理栄養士資格持ち喫茶店員、弁当ひとつとっても友達みんなが羨ましがる美味しさだし、父さんの勉強の教え方はそんじゃそこらの家庭教師なんかへじゃないくらいに分かりやすいし。

 そして二人とも、俺たち兄弟にも適度に厳しく適度に優しい。正しいことをした時は目一杯褒めてくれて、でも間違ったことをした時にはがつんと叱ってくれる大人がこの世にそんなにはいないことを、俺はちゃんと知ってる。

 こういうのを『愛されてる』って言うんだって、おじさんにいつだか――多分父さんがいない時に母さんと喧嘩して、それで母さんを泣かせちゃった時だと思う――教えてくれた。

 俺も、そうなんだろうって分かってる。それはやっぱ嬉しい。ないがしろにされてる方が充実してるなんて思うほど俺は捻くれた中学生じゃない。


 じゃあ何が不満なんだってなると――これだ。

「ゆかり」

 母さん曰く『これでも随分おうちに帰ってこられるようになったんだよ』らしい、父さんの丸一日の休み。そこで父さんが、耳にたこができた上に更にかさぶたができて、なのにぼっこり腫れてるってくらいに聞き慣れ過ぎた、とんでもなく甘ったるい声で母さんを呼ぶこれが、俺は最近気になって仕方ない。


 俺は中学生で、自分で言うのもアレだけどいわゆる思春期ってやつなのに、父さんはそこらへんに全く配慮してくれない。

 しかも、父さんは普段母さんを“さん付け”で呼んでる。俺や姉さんに話しかける時なんて、互いに『お父さんの言うこと聞きなさい』とか『今日お母さんはお出かけの準備で忙しいから、父さんが弁当作っておいたから』とか、自分らの名前を呼ぶことすらない。


 なのにわざとそれを取っ払う時は……ああもう、ほらっ!

「……? なんですか、和樹さん」

 鈍いのか天然なのか、俗に言う小悪魔ってやつなのか――いや小悪魔はない、母さんに小悪魔が務まるわけがない――父さんがこの呼び方をする時に起きることなんてたいてい同じなのに、毎度毎度律儀なくらいに呆けた声で母さんはこんな返事をする。


 そのあとに、ふぅと幸せそうに息を吐きながら。

「おいで」

 この、本日二度目のくどっくどの色男ボイスで母さんを手招きするんだ、父さん。

 なんか悔しい事実なんだけど、父さんの声は俺の十万倍声からイケメンの匂いがする。


 ソファで寝落ち、そのあと今さっき偶然起きた俺だから、目はうっすらとしか開けてない……父さんの顔がどんなのになってるかはほとんどど見えないけど、きっと、表情もこの声にぴったりのいい男の顔をしてるんだろう。分かる。知ってる。何回も見てきた。

 だから母さんがころっと落ちて父さんの傍に寄ってく……なら、まだ分かるんだけど。


「あとでね。今洗濯物干してるんです」

 母さんは結構リアリストで、時々こうやって父さんの熱い想い的なものを袖に振る。素直に寄っていくときもあるけど、父さんからの愛を受けることより家のことを優先することがしばしばあった。


 とにかくこうして母さんが父さんに素っ気ない態度をとる事態は、最近この一連に目が当てられなくなっている俺にはきつい展開が待ってるってことなわけで。

 俺のこれは予想じゃない。未来だ。


 証明は、頼んでないのに父さんがやってくれる。

「じゃあ僕も手伝うよ」

 推測、母さんの負担を減らしてあげたい気持ち半分、早く終わらせて自分の望みを叶えたい思惑半分でそそくさ母さんと洗濯を干し始めた父さんの。

「ゆかりさん、この下着可愛い」

「ん? ……って! そのネットの中のはいいですから~~っ」

「ゆかりさんの下着、僕人生で相当数見てきたけど」

「それとこれとは別なんです!」

「うーん……『別』なら、まぁいいよ。もうゆかりさんの下着を見せてもらえないってわけじゃないなら」

 そんな安っぽい言葉の誘導に、まんまと引っかかった母さんを。


「ゆかり」

 泣きの一回と言わんばかりに、また名前だけで呼ぶ。

 そうやって母さんを呼ぶ父さんの声は“父”の声じゃないし、名前言われて「和樹さん」なんてか細く返す母さんの声も“母”のそれじゃない。


 あーもう、やだやだ。

 母さんが従順一途に父さんをかまってやるときは、せいぜい父さんが母さんを抱き締めるくらいで事が済むっていうのに、母さんどうしてあそこで延期を申し出ちゃったんだよ……ここまでテンプレじゃん……。

 心でぼやく。


 それを実際口にする勇気がない俺に、どうやら慈悲はないらしい。

「     」

 すっと母さんの後ろに回った父さんが、母さんを心底愛おしそうに抱き締めながら何か耳打ちする。

 母さんは、小さい頃の俺の大好物、たこさんウィンナーばりに顔を真っ赤っかにしていた。怒り顔じゃないけどそっくりだ。

 その赤い顔で、母さんが父さんを仰ぎ見る。

 それから、えっと、あー……、はい。はいはいはい。うん。……うん。

 知ってました。分かってました。

 いいですよ、夫婦だもん、キスのひとつくらいなら。仲悪い両親よりはいいと思うし。

 でもさすがに何度もするのは止めて欲しい。音立てんのも勘弁して。


 つか、母さんソファで寝てる――母さんは起きてるのに気づいてないらしい。相変わらず鈍い――俺に気遣って「起きちゃう」って言ってるじゃん。父さん自重して。母さんのことめっちゃくちゃ好きなの知ってるから。むしろ知らない人いないから誰も母さん取ろうとかしないから。だから二人っきりの時にして俺ここにいるの!


 ……って言いたいけど、言えなかった。言えるわけがなかった。


 単刀直入オブラートなしで言うなら、言っちゃったあとの父さんが怖い。


 上手く言えないけど、父さんは悪いやつらに俺が苦しめられてたとしたら、俺と一緒に戦ってくれるタイプの父親で。そういう愛し方をしてくれてる。

 だけど父さんの母さんの愛し方は、悪いやつらに母さんが苦しめられてたら、問答無用無言のままにざっくざっく切り捨ててく感じで。

 そんな父さんの、母さんを愛でるひとときの邪魔をしようものなら、俺は悪いやつらじゃないからやられちゃうことはないけど、父さんの不機嫌が招く事態と戦わなきゃならなくなる。


 当たり散らかされるわけじゃない。怒られたりすることもない。

 ていうか、最高に優しい。気持ち悪いくらいに優しくなる。


 そうやって『子供はもう寝る時間だぞ』を強制された日の翌日母さんはだいたいお疲れモードで、そこでかかる負荷が割と大きい。

 通常営業な家のことだけなら、ギリ俺たちだけでもなんとかなるけど『大変だから、大物の洗濯はお母さんがやるね』って言う母さんが、シーツから何から家中の大掃除をし始めるから手が追い着かない。

 そしてそんな俺たちのくたびれきった有様を、数日後――父さんは本当によく家を空ける――に知ることとなる父さんが、絶望しまくった顔で俺たち、特に母さんを過剰に労ってくる……それが俺には怖かった。綺麗な生き物が失意全開黙々迅速家事をぶん回してやる様相は、年齢指定が入る血が流れるようなドラマの修羅場を見てるような気持ちになるから怖い。


 でも、だからって!

「か……っきさん、息、でき……っ」

「しながらの呼吸、いつまでたってもゆかりは下手だね」

 息子がいる場所で! いちゃつく両親を好ましく思えるわけが! ないんですっ!

 俺、思春期なのに……。父さん思春期って知ってる? こういう刺激困るんだよ……。ていうか親だからこそ余計複雑なんだって余所様のはまだいいけどさ……。


 それだけでもどうかと思うのに、母さんはこんな状況でもまだ俺が寝てると思ってるっぽい――しつこいけど鈍い――けど、父さんこれ絶対気づいてんだろ。なんだその『おっと』みたいな横目! 分かってるなら止めろっての! 洗濯物でさりげなく隠してるんじゃねーよ! それならやめてよ、ねぇ!? 息子の精神衛生考えて! お願いっ! あーも~~……ちくしょう……。


 ……その声だって、俺は出す勇気を持ってないから。

「ん~~! よく寝たぁーっ!」

 もぞもぞしてる物音が止んだタイミングで、盛大にそれを叫ぶ。


 そうして俺の、久しぶりに喰らわされた憂鬱なひとときは終わりを迎えた。


 言葉のやりとりだけならまだしも、こんなの見せつけられすぎるのは、辛いというか気まずいよね。

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― 新着の感想 ―
[一言] イロイロと興味のあるお年頃ですが、自分の両親というのは……キツイ
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