ヴァルプルギスの夜、それは始まりの日
誰が予想できただろう。
紅く燃える炎に身を焼かれる人々が笑い合いながら幸せそうな顔をしているなんて。
◇◇◇
人々は、摩訶不思議な力を操れる“魔女”が悪魔と結託して人間を苦しめていると信じていた。
「おお! 預言者ルナ様! この者は怪しい薬を作って町長様のご病気の娘様に渡そうとしておりました! これはきっと悪魔の薬に――」
「魔女です」
手足を縛られ布を噛まされた女の頭を鷲頭髪にして無理やり下を向かせる男。その男が言い切る前に真っ白な服を着た艶やかな黒髪を持つ12歳ほどの少女が言い放つ。それを聞いた男はにやり。それを聞いた女は瞳に絶望の色を映した。
「やはりそうでしたか! ルナ様のお言葉に従います」
男は気味の悪い薄ら笑いを浮かべながら恭しく黒髪の少女に一礼をして、女を引き吊りながら去っていく。黒髪の少女は世話役の人間に促され神殿から出ていった。
その光景を遠くからじっと見ていた金色の瞳を持つ人物はぽつりとつぶやく。
「あれは……殺した方が良さそうだな」
その瞳に映るのは黒髪の少女。ただ一人。
「それではルナ様、失礼致します」
世話役の若い女はレンガでできた平屋の建物の前で一礼をすると足早に暗闇の中へ消えていった。私は温かいお湯を沸かして大きな木の器に注ぎ入れて、そこに清潔な白い布を浸して体を清めていく。
「今日で149人目」
高低差の激しい山の中にある600人ほどの人間が住むこの町の門の前に捨てられていた私は神殿が営む孤児院で育った。ある時、私と仲の良かったニーニャが高熱を出して寝込んだんだ。そして次の日、ニーニャは死んだと告げられた。驚いたし悲しかった。
それなのに……
10日後の満月の日、預言者ニール様というニーニャと同じ顔をした少女が現れた。神官様たちは悪魔から私たちを守ってくださるお方だと言って崇め始めたんだ。それから皆おかしくなった。
預言者ニール様が明日は男を惑わした魔女が現れる。と言ったら次の日、本当に魔女だと言われて女の人が捕まった。その女の夫は魔女に惑わされた罪で一緒に殺された。二人とも私はよく知っている人物だったから悲しかった。この村で一番大きな商家のおじさんとおばさんだったから。私は悲しかったのに、魔女だと言って突き出してきたこの村で2番目に大きかった商家の若旦那様はにやにやしていたのが印象的だった。
そんなことが1年近く続いたとき、預言者ニール様が地上での役目を終えて神様のもとへ旅立った。神官様や町の人たちは涙しながらニール様を褒め称えていたけど私は知っている。ニール様……いや、ニーニャがスープに入っていた毒草を食べてもがき苦しんで死んだことを。
そのあとは早かった。神官様がまた預言者を立てたんだ。それが私。
「予言の手紙はあるかな」
寝室の窓のそばに小さな箱がある。そこに夜になると”神様からの預言”が書かれた紙が入っていることがある。それを私は次の日の夜、預言の場で言えばいいだけ。
いつも通り窓に近づこうとしたとき、ふいに後ろで床が軋む音がした。
「っ――」
急いで振り返ると、そこにはフードを深く被った人間が立っていた。茶色い長髪が揺れている。
「ほう、勘は鋭いようだな。お前はどんな死に方がいい?」
高すぎず低すぎず、心地よい声が私の耳に届いた。見た目は女性のようなのに、口調や声のトーンは男性のようだ。性別の判断がつかない。
突然のことに対処できずぼけっとしていると目のまえの人間が少し近づく。
「数少ない同胞を殺しておいて逃げ切れると思うなよ?」
目の前の人間は何を言っているのだろう。
同胞?逃げる?
「……同胞って一体何のことですか?」
は?という小さな呟きが聞こえた気がした。
「お前、まさか何も知らずにやってるのか? 自分が他の人間たちと違うってこともわかってないのか?」
先ほどまでのピリピリした空気が幾分か和らいだのを感じる。
「お前が2ヶ月前に魔女だと言って殺された女、あれは俺たちの同胞だ。分かっててやったんじゃないのか」
「同胞の意味はよくわかりませんが、神様からの預言に従って私は告げただけです」
それを聞いたフードを被った人間ははあっと大きなため息をついて無断でベッドに腰かける。そして流れるような動作で自然にフードをとると、とても綺麗な金色の瞳が現れた。夜の空に君臨する月の光も星の瞬きもこの瞳の輝きには負けてしまうだろう。
「……なんだ、金色なんてそんなに珍しくもないだろう」
私はその言葉にふるふると頭を横に振った。思ったままを口にすると、金色の瞳を持つ人間はぽかんとしてから渋い顔をしたが、その表情の意味はよくわからなかった。
それから、その人間は”同胞”について教えてくれた。
「生まれつき不思議な力で炎や風を操れたり、人ならざる者と交流ができたりする人間のことだ。力をもたない人間よりも傷の治りが早かったりするから便利ではあるが、気味悪がられて殺されそうになるのが厄介だな」
私は炎や風なんて操ることはできない。傷の治りが早いということは今まで特に気にしたことがなかったからよく覚えていない。それに、だ。この人が言っていることはまさに”魔女”の力ではないだろうか。つまり、魔女は本当にいる存在。町の人たちが考えていた想像上の生き物ではないということなのかもしれない。
そして、この人が言うには私もその”同胞”つまり魔女らしい。
「そんなことわからない! 知らない!」
いきなり現れた人間にお前は魔女だなんて言われてもすぐに受け入れられるわけがない。この人の言う通りなら私が今まで預言で魔女だと告げた人間の中に本当の魔女がいたらしい。だから同胞を殺した私に復讐しに来たということなんだろう。
「外の世界を知らなすぎだ、小娘。ここを出てみたくはないか?」
「……え?」
この場でこの人に殺されるのかな、と思っていたら意外な方向に話が進み私は戸惑った。
それから毎晩、世話役の人がいなくなってから金色の瞳の人間が家に来るようになった。名前はゼオセァルヴィというらしいが、言いづらいのでゼオと呼ぶことにした。ゼオが言うには、魔女という言い方はこの町独特な呼び方らしく、実際には女だけでなく男もいるのでゼオはこの魔女という言葉があまり好きではないらしい。
「それじゃあ……魔法使いはどう?」
魔女が嫌いならと、違う呼び方を提案してみた。魔を操る者という意味で魔法使い。私の提案を聞いたゼオはくっくっくっと笑った。
「だとすると、この不思議な力は魔法使いが操る力という意味で”魔力”か」
「魔力……」
ゼオはこの町にくる前の話をしてくれた。
自分がなぜこの力を持って生まれたのか、自分は一体何なのか、その答えを探すために旅をしているらしい。その中で、初めて自分と同じような人間がいることを知った。お互いとても驚いたそうだがどこかしっくりもきたそうだ。
だが、同胞を各地で見つけるうちにあることを発見した。それは、瞳の色が変わる瞬間があるということ。炎や風、氷を作り出したときに瞳の色が変わる者がいるらしい。だからこそ他の人間に気味悪がられて迫害の対象となりつつある。そんなときにこの町と私の存在を知った。
「自分の特異性を上手く隠して、いやむしろそんな自分を利用して他の人間たちの頂点に立って独裁でもしてるのかと思った。そんな生き方も確かに悪くはないと思ったんだがお前、違うよな。わかってんだろう? ただ利用されてるだけだって」
「……」
「この町の人間も滑稽だよな。自分たちの崇め祭ってる預言者がまさか恐れていた魔女だとは」
私は短く息を吸って震える声で自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「わた……しは、ここ以外で生きる術を知りません。ここで必要とされているならここで生きていくのが運命です」
「……一人じゃなければいいのか?」
“一緒に来い”
そう言っている気がした。この人はたぶん、孤独なんだろう。いや、この人だけじゃない。魔法使いと呼ばれる人たちは常に孤独と疎外感を感じて生きているはずだ。ずっと心の中で満たされない空洞のようなものを感じていた。ゼオと出会ったことでそれが、孤独や疎外感であったことに気づいたんだ。
でも、この人が私をいらないと言う日が来たら?
私よりも興味の惹かれるものができたら?
また一人になったら?
一度縋ってしまったら、失ったときの絶望感に私は耐えられないだろう。
だから……
「いけ……ません」
両手をぎゅっと握って俯きながら消え入るような声で答えた。
「あっそ。じゃあ、お別れだな」
「え」
空気が揺れた気がした。
はっとして顔を上げるともうそこにゼオの姿はなかった。
悲しくはなかった。
ただ、なんだか虚しかっただけ。
次の日の朝方、まだ日が昇り切っていない時間。
私は何の前触れもなく起こされた。
「おはよう。アルルナ」
目の前には透明で小さな羽を持つ小人がくるくると飛んでいた。瞳の中には一体何が入っているのだろうと思うぐらいつやつや、きらきらしている。これはきっと、ゼオが言っていた人ならざる者だ。
「お、はよう」
ちなみに、アルルナとは預言者になる前の本当の私の名前。
「はじめまして。私はね、フィーリル! 森の妖精よ!」
「よう、せい?」
「ねえ、アルルナ。楽しいことしない?」
よくわからないうちに、森の妖精だというフィーリルに連れられ町を出てすぐの森の中で色々な薬草を摘んだ。綺麗な花を見つけては花冠というものを作った。町の外に出るのは初めてだったから何もかもが新鮮で楽しかった。薬草は薬だけでなく、料理にも使えるそうだ。だから私はたくさん積んで家に持って帰った。
「アルルナ。薬草はね、毒を持つものもあるのよ。今あなたが持っているものも摂取しすぎると死んじゃうわ。だから、使い方はしっかり考えてね。私たちはあなたが何をしても大好きよ」
そう言ってフィーリルは私の頬にキスを一つ落として去っていった。
それから、私は日頃の感謝の気持ちを込めて神官様や町の人たちにスープを作った。食べれない人がいたら可哀そうだと思って何時間もかけて数百人分のスープを用意した。いつもならお部屋の掃除はしっかりするのだけど、今日はそんな暇がないくらいに忙しかった。それにもう掃除をする必要もないだろう。
その日の夜、預言の場。
私は集まった人たちにスープを配った。ここに来れなかった人たちがスープを飲めないと可哀そうだから孤児院の子供たちと世話役の女の人たちにも手伝ってもらって誰一人欠けることなく配った。
「今日の預言を告げる前に、私が作ったスープをお飲みください。これは天の意志です」
町の人たちはありがたいありがたいと言って飲み干した。神官様たちは少し戸惑っていたけど預言者である私が言ったことをみんなの前で否定できないらしく大人しく全て飲み干した。
「な、なんだこれ」
「おお! 素晴らしいです! ルナ様! まるで空を飛んでいるよう」
「ふふっうふふふふ」
スープを飲んだ人たちは焦点の合わない目で何もない宙を見つめ始める。笑い声をあげてステップを踏む。うっとりとしたまま木に登り始める。
「今日の預言です」
私の言葉が聞こえている人はどのくらいいるだろう。次の言葉にどれくらいの人間が反応できるのだろう。
「私が魔女です」
ある神官様が動いた。私の方へずんずんと歩いてきて、私の横を素通りした。涎を垂らしながら背の低い家の屋根に上って鳥のように両手を広げる。そこまで見て私は正面に向き直る。奇妙な笑い声も聞こえる。そして、私の後ろで硬いけどどこか弾力があるようなものが地面に落ちた音がした。
狂っている。
今のこの町の状況はその言葉以外で表せないだろう。
もちろん私も含めて。
私はすとんとその場に座り込んだ。手に持ったスープの器にはたっぷりとスープが入っている。
「飲みたければ飲めばいいし、飲みたくなければ飲まなければいい。ただ、それだけだ」
いつの間にか隣にゼオが立っていた。
「これだけのことをしでかして、罰がないなんておかしいです。だから、飲みます」
「死ぬことが罰になるのか? 全て忘れて自分が何者かもわからなくなって、それが本当に罰になると思うのか? ……一人じゃなければいいんだろ」
そう言うと、ゼオは指を鳴らした。するとまず目のまえで笑いながらステップを踏んでいた人が紅い炎を身にまとった。次に泡を吹いてぐったりした子供とその母親も紅い炎に包まれた。そして、あっという間に町全体が火の海と化した。
「なん、てことを……」
「どうせあいつらは死ぬ。何も残さず終わらせよう。ああ、それもな」
もう一度ゼオが指を鳴らすと器に入っていたスープが蒸発してしまった。
「あっ、はは……。あはははははは!」
何がなんだかよくわからなくなってしまった。全部、全部消してしまいたかった。ゼオと出会って私の生き方がとても滑稽で卑怯なものに思えてしまった。与えられるだけ、何も考えない。流されるままに生きる。自由に旅をするゼオの目にも醜く映っただろう。
「……ねえ、ゼオ。私は今、どんな風に見える?」
「ここ数ヶ月の中で1番すっきりした顔してる」
ゼオが私の脇に手を差し入れて座り込んだ私を立たせた。そして目の前で茶髪の長髪に手をかけて、とる。
「綺麗だね、ゼオ。あなたの全部が綺麗だよ」
本当の髪の毛は真っ白で少しくるくるしていた。もちろん吸い込まれそうなほどに輝く金色の瞳もそこにある。
「……なんだそれ、口説いてるのか」
ゼオはとても嫌な顔をしたがすぐに目を逸らした。
◇◇◇
後に、この夜のことは”ヴァルプルギスの夜”と呼ばれることになる。
魔女たちが悪魔と踊ったり飛んだりして宴をする日。宴で振る舞われるスープにはヒヨスという毒草が使われるという。なぜなら、魔女が好んで使う魔力のこもった薬草だからだ。
住人が600人ほどいた町はヴァルプルギスの夜の宴で魔女たちがはしゃぎすぎたせいで起きた山火事により跡形もなくなった。しかし、不思議なことにその跡地には一面、毒草ヒヨスが咲き続けたのだ。
◇
「名前、新しく付けて欲しいな」
山を降りている最中、私は突拍子もなくゼオにねだった。
「……ある地方で奇跡を意味する言葉がある」
「へえ、それはなに?」
私には勿体ないほどの意味だ。少し胸を躍らせながら続きを催促した。
「この山を下りきったら教える」
「えー」
少し不貞腐れながら、でもどこかくすぐったい気持ちになってゼオのあとを必死に追いかけた。
お読みいただきありがとうございます。
この短編は連載長編作品『The last witch ~魔法使いたちの秘密~』と通ずる部分があります。もし気になる方がいらっしゃいましたらそちらもぜひ読んでみてください。
※もちろんこの短編だけ、もしくは連載長編作品だけでも完結する内容となっています。