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恋愛短編集:君に届く歌が歌えない。  作者: 甘宮るい
それでもぼくは、この水槽を出ていかない。
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それでもぼくは、この水槽を出ていかない。





 同棲を初めて2ヵ月、少し伸ばした襟足が鬱陶しくなる季節が顔を出し始めた。

 年上の彼女は今日も仕事、自由な休日を過ごす僕は申し訳程度の風を送る扇風機と自堕落な時間と気分を分け合っている。バイトもせず遊びに出かけるわけでもない大学生の休日は、きっと社会に出ている彼女からすれば情けないものだろう。

 この部屋から出る気はしない。それでも。

 そもそも僕が出て行ってしまえば、すぐ終わりそうな関係だった。最初から今までずっと。こんな狭い部屋で僕をいつまであの人は飼うつもりなんだろう。

 連れて歩いてほしいなんてわがままは、言えない。けれど、やっぱり出ていくほどの勇気もない。

 失ってから大切なものに気づくなんてそういうのは、気づいてほしい僕からすればくじ引きのようなものだった。もしかしたら、気づかないかもしれないしそもそも屋台のあのくじ引きのように当たりが入っていないかもしれない。確認するすべもない僕が、そのくじを引く勇気がないことくらいわかってほしい。

 水面に餌が降るのを待つ鑑賞魚みたいな僕。

「哀れだなぁ」

 何もできない、不甲斐ない。

 昨日は10時になっても帰ってこなかった。せっかくパスタ作って待ってたのに。茹でてソースかけるだけでも。僕はそれでも、待っていたのに。この部屋を出て行った時よりも赤いリップを目立たせて、仕事終わりのはずなのにしっかり巻かれた髪を揺らして。

 嫌いには、なれない。

 もういっそ言ってくれればいいのに、とも思えない。僕は彼女に飼われている。この狭い、何もない部屋で。

 本当は大きな水槽で飼った方がいいんですよ、とあの店員は言った。盛り上がっていた彼女のその熱が面倒くさいと冷めていったのを僕は隣で見ていた。世話がしやすいとか綺麗とか、ネットでは言われていたから彼女は飼おうと思ったのだろうが、そもそも生き物なんてある程度の世話が必要なものばかりだ。餌やりも掃除も、スキンシップとか温度管理とか……。

 彼女にとって、ぼくは。

 あのドアから出ていこうとは思わない。出て行っても僕はそもそも生きていけないし、そういう風になっちゃったんだ。

 狭い場所に都合を押し付けられて、そうやって無理やり詰められて餌ももらえず、こんな日に独りぼっち。きっといつか水の温度が上がって、鰭なんて汚れて、おかしくなって。綺麗じゃなくなって。

 そしたらきっと、そしたらぼくは。

「あの人はやっぱりベタなんて飼えないよな」




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