星と空の間に、君の記憶は置いてきた。
3年前の今日、窓の外の夜空を眺めた彼女と再会した。偶然ではあった。魔が差したような感覚と嫌な予感を抱えたままに、僕はこの場所に来た。
3年前付き合っていた彼女とはその1ヵ月後に別れた。思えば深い話をしたことはそんなになかった。不気味なヤツだと思ったことすらあった。それも1回ではなかった。それなのに僕は彼女に執着して、毎日彼女とぬくもりを交換して眠った。
3年前の今日の彼女は、どうしてもいつもとは違って見えた。いつもと違う表情の変わり方をした。階段を降りるとき、少しだけ止まった。寒い日の窓に手を合わせて空を見ていた。そんな後姿を見て、月が見たい時の月にかかる雲を退けられない感覚が僕の心に落ちてきた。その感覚はゆっくりと薄れた、それでも長く残っていたように思う。
結局、僕は雲のかかっていないその月を見ていない。
それから、彼女と別れてしまうまであまりにも綺麗に進んだ。決まった終わりをなぞるようだった。そういえば始まりだってそうだった。そう思ったのは昨日のことだった。
好きだと言った日のことを思い出したのは今日だった。そんなに簡単に終わらせていい恋だったかと思ったからだった。それからした恋愛は、どこにでもあるようなものでそれでも彼女との関係のように繊細で作りこまれたものではなかった。
「久しぶり」
僕が音を出したのは、奇跡だった。それは1度、僕が見たことのある景色だった。風景だった。シーンで、映像で、でもおかしいものではなかった。
「まさか、来るなんて思わなかった」
結局、僕は何も彼女にしていないのだったと彼女の変わらない表情に思い知らされた。
「3年前の今日みたいに、飛び降りるつもりかな」
「ううん」
展望台の手摺りに座る彼女は首を振る。
「そこから落ちると、危ないよって僕は言ったんだっけ」
「そう、だったね。大学は卒業できた?」
「天文学部の卒論はめんどうだね、投げ出したよ」
素知らぬ顔の彼女はやっぱり、あの時死のうとしていたのだと思い出した。
あの日の僕は止めるだけで結局、彼女が何故そんなところに座っていたのかを聞かなかった。聞いたことがなかった。他愛ないことで音を埋める唇で、何度彼女にキスをしただろう。
そして彼女はどう思っただろう。
「やっぱり、3年前の今日も飛び降りるつもりだったんだね」
「うん」
僕はそれを意識しないまま、彼女を引き留めた。
同じゼミで一応面識があっただけの彼女に好きと言った。きっとあの時には彼女は退学を決めていただろう。そもそも、未来も考えていなかっただろう。
それなのに、未来の話だけをした。
「なんで、僕と付き合ったの」
「なんでかなぁ、退学まで時間があったからかな」
「あの日、飛び降りられなかったから?」
「綺麗な星空を、オリオン座とか見ながら落ちてみるのも素敵だけど、夜桜もいいかなぁって」
人間の脳は、考えない。考えることから逃げる。どんどん逃げる。
なぜかと、その原因を突き止めていく思考を、本当の答えにたどり着かないままにやめてしまう。
「僕のこと好きだった?」
「見ないふりじゃなくて、見ないままなところに付け入った。好きだった、かもね」
暇つぶしだよ、と彼女は笑った。酷く、悲し気な顔をして笑った。
「私のどこが好きだった?」
「わからない、でもあなたって生物の全部に夢中になってた気がする」
「ふぅん」
なんだか今も好きみたいな言い方ね、と彼女は小さく言った。
「死にたいの」
「死にたくないよ、消えたいの」
「消えたい?」
「忘れられたい、なかったものにしたい。不可能だけど、そうしたかった」
そんな彼女に僕は、そんなことできないと言いかけた。
言いかけて飲み込んだ。今の僕に彼女を引き留めることはできない。彼女はきっとこの星空に包み込まれるように、もう終わってしまいたいのだろう。
きっと、あの時の僕なら引き留められたのだろう。でも僕は、3年後の僕だ。
「じゃあ、僕は今から君のことを全部忘れるよ。なかったことにするよ」
「そっか、よかった。あなたからは消えられるんだね」
そういって僕の頬に手を添えた、彼女は笑う。
「ごめんね」
ここに居てはいけないと、言われたような気がして僕は家に帰った。すぐに家に帰った。泣きながら真っ暗な夜道を歩いた。暗くて先が見えなかった。
明日、新しい星が増えたらいいと思う。明日、彼女を思い出せなければいいと思う。
きっと彼は彼女を引き留められない。
目標の6話です。UPできてよかった。
これで一度このシリーズを終わりにしようと思います。胸がぎゅっとなってもらえればうれしいです。




