その愛情は決して、見てはいけない。
手首をきっと痛いくらいに引っ張った。意識して、力を入れた。トイレに押し込んで鍵をかける。
「ねぇ、どうしたの」
思ったより冷静な姉さんは感情の感じ取れない声でそう言った。
トイレの蓋の上に座った姉さんの太ももから痣が見える。いっそ手首に爪を立ててやればよかったと思った。
どんなに嫌っても離れられない。帰る家まで同じだから。
禁断の恋でも相思相愛なら、どれだけよかったか。それでも姉さんにもう人の心は残ってない。想ってくれるならそんなものくらい、いくらだって直した。そんな心が僕に依存して直せるなら、それならどれだけよかったか。
「ねぇ」
何も聞きたくなくて姉さんの唇を無理やりに塞いだ。ついでに首元に手をやる。口の中を舌で撫でまわしてやる。それでも碌に反応のない姉さんに苛立ちが募って、首を絞めてやった。
手を震わせながら姉さんの首を絞める僕を姉さんはじっと見つめた。
何か言えばいい。何か拒めばいい。拒絶されたことは一度もない。何でもいいから言ってほしい。何でもいいから答えてほしい。どんなに傷ついたっていい。傷つけていい。傷つけてほしい、いっそ僕も姉さんの痛みを共有できたならいいと思っている。
そんなに素っ気なくされたら、姉さんの目に映る僕が本当は存在していないみたいじゃないか。
母さんに殴られて父さんに犯された後の姉さんを襲った。それは深夜のことだった。ずっと我慢していて、耐えきれなくなった。母さんにはごめんなさいと喉が枯れるまで謝って、父さんにはやめてと喉が枯れるまで拒絶するのに、やっぱり姉さんは僕には何もしない。
キスをしたら腰に初めて手が回ったから少しだけ嬉しかった。
でも数秒したら、僕はそんな僕に耐えられなくなった。
初めてキスをしたのは姉さんの表情が変わらなくなったのを理解した日だったと思い出しながら、勝手に優しく姉さんを抱いた。
次の日、どんどん歯止めの利かなくなった僕は3年の我慢を溝に捨てたことをきっかけに欲望を野放しに過ごすことになった。
母さんも父さんもいない。休日の昼間に、姉さんの腹を殴ってやった。
姉さんは口から昼飯を吐き出したくらいで、何も言わなかった。
30分後くらいに、姉さんの部屋から嗚咽が聞こえて嬉しくなってしまった。痛みからかそれとも僕への絶望か。それももうどうでもよかった。
もう僕は狂ってしまった。家族としての思いやりも、姉さんへの大事にしていた愛情すら減っていった。
明らかに、欠如していった。僕に向ける感情が欠如した姉さんと同じように、僕もおかしくなるのだろう。そう思うのに、それから少しして僕はベッドの中で泣いた。みっともなく泣いた。姉さんを母さんから守ることも父さんから守ることもできない僕が、僕には許せないのに姉さんにどう接していいかわからない。
1年前、親友に好きな人を聞かれ素直に話したときにこれはおかしいことだと知った。それまでは姉さんが当たり前に大切で、姉さんを守ってこの檻から逃げ出す方法を考えられていた。それは純粋に。
姉さんが犯されているのを見てしまって、僕はそれからおかしくなった。それからすぐに、姉さんにキスを初めてした。男の力で抑えつけて、僕は無理やりそれも父さんと同じような顔をしていたのではないかと怖くなるくらい理性を捨ててキスをした。
姉さんの虚ろな表情を見ると、僕はもう僕を保てなくなる。見ないふりをしている欲望の全てを吐き出してしまいたくなる。僕の望むこと全てを実行したくなる。
姉さんがどうしようもなく好きだ。好きで好きで溜まらなく好きだ。
親友に哂われても、おかしくても、認められなくてもいい。
本当は叶わなくてもいい。相思相愛になれなくたって、姉さんの表情がまた動くならいい。きっとどこかで彼氏なんかができたって、僕はなんとか飲み込める。僕は、不幸な姉さんをまだ理解したくない。姉さんが不幸であることを知りたくない。でも僕は普通のやり方じゃ幸せにできない。どう声をかけたら正解かがわからない。傷つけてしまう。傷つけてしまう、父さんみたいに。傷つけてしまう。
守りたいと思うのに、壊してしまいたい。どうしてそんなに、自分を捨てているのだろう。姉さんが姉さんを優先しないで、あいつらにちゃんと抵抗しないでされるがままで、僕にはもっと抵抗しないから。
姉さんが姉さんを、大切にしないから。
姉さんが好きだ。血がつながっていても好きだ、愛おしい。笑ってほしい。そのために僕はどうしていいかわからない。もうわからない、こんなところまでおかしくなってしまった。
学校をサボって、リビングでゲームをしながら過ごした。朝は体調が悪いふりをしておいたから言いつけられた姉さんが卵粥を作って僕に持ってきた。言いつけられたからだと知っていたから、おいしくなんてなかった。
そのままソファで寝た。母親が帰ってきた音で起きると、毛布が掛かっていた。それが姉さんの意志なのかどうかは確認しようがなかった。
姉さんを襲って3日後の夜、久しぶりにリビングで有り得ない音と姉さんの叫び声を聞いた。姉さんの表情が変わることに期待して、リビングをこっそり覗きに行った。
姉さんは、僕が見る中で一番悲痛な顔をしながら返してと母さんに訴えていた。
母さんはそれに、私の旦那を返してよと言った。姉さんが奪ったわけでもないのにと僕は思った。
覗いているだけじゃ母さんが姉さんから何を取り上げたのかわからなかった。影からして、大きなもののように見えた。母さんはそれを高く持ち上げていたから重い物ではないのだろうけれど、姉さんがそれだけ感情を動かされるものが何か知りたくてたまらなくなった。仕方ないので、部屋に戻らず息をひそめてそのまま見ていることにした。
「返して、お母さん。返して」
姉さんは手を伸ばすのを諦めると、土下座をしながらそう言った。
じゃあ、あなたの大事なあの子に手を出すけどいいのね、と母さんは言った。
「私はどうなってもいいからやめて」
消え入りそうな声で姉さんが言った。
自分勝手ね、そうやって悠人さんのことも誘惑したんでしょ、と母さんは言うと姉さんの顔に蹴りを入れた。
声を出しそうになった。
「一夜にはなにもしないで」
声を出しそうに、なった。耳を疑った。一夜くんにあなたがお父さんを誘惑した事でも言おうかしら、と母さんが姉さんを脅す。もう風俗ででも働きながら一人で暮らしなさい、さっさと出ていきなさい。もう18歳だからそれくらいはできるでしょう、と母さんが言う。そして母さんが大きなテディベアのぬいぐるみを姉さんに投げた。
それはずっと昔、僕がまだ小さいころに姉さんとユーフォ―キャッチャーで取って、僕が姉さんにプレゼントしたぬいぐるみだった。綿が少し出たテディベアが僕の方を見ていた。姉さんはテディベアに手を伸ばして、その瞬間母さんがその手を踏みつけて笑う。
ドアを思いっきり開けた。
母さんを今までで一番強く殴った。殺す気で殴った。殺す気で首を絞めて、殺した。寝ている父さんの頭を灰皿で殴った。ロープで首を絞めてから体をずたずたに刺してやった。
テディベアを抱いて泣きながら僕の名前を呼ぶ、目が虚ろな姉さんを抱きしめる。血の付いた、汚い手で抱きしめる。強く抱きしめる。
覗いてしまったことを後悔した。禁断の恋に気づいてしまった時にも後悔した。姉さんの表情が変わらなくなって姉さんがまるで人形みたいになっていく中で僕の声はどんなに叫んでも届かないから、辛くてたまらなかった。
シャツで血を拭く。姉さんの手を取って、握る。
どうしていいかわからずに、いやどうしようもなくてキスをした。
そのまま僕は姉さんと朝まで愛し合った。まるで好きな人を見るような表情を、太陽が昇るころに姉さんはやっと見せた。分かり合えた、一つになれた。
やっと、姉さんが笑った。
そう思った時、下腹部に違和感を僕は……。
その現場を見た新人警察官は、嘔吐した。隣人からの通報、わかり切った異臭。突入を実行した。息の浅い少年を保護、それに覆いかぶさっていた血塗れの少女が自首。高級マンションの1室からは彼女の両親と思われる男性と女性が遺体で発見された。
少女は連行する途中逃走、ベランダから飛び降りて自殺。事件は少年が目覚めるまで迷宮入りとなった。
発見された遺体は、すべて風呂で見つかった。浴槽に水が溜められ、ずたずたに切り刻まれた男女の死体が沈められていた。
それから数か月後、やっと少年が意識不明の状態から奇跡的に回復。1度、事情聴取を行うが事件は明らかにならず、それから1ヵ月後、何と自分で首を絞めて少年は自殺した。
お母さんの発言は意図的に鍵かっこにしてません。主人公が人間と認めていないことを示してます。
虚ろで感情がない姉さんに、どんな行動も映らないね。それでも愛情はやっぱり捨てられないね。仕方ないからこうなるけど、人が見たら理解はできないね。
他人に理解されない恋愛が、好きです。