心臓だけがずっと君を忘れられない。
心拍があの日の情景を訴える。春が過ぎて夏が顔を出す季節だ。
今にしてこれじゃ生温いほどの優しい感覚と現実味のない脳みそ、心臓だけが君の死を覚えている。
息をすることは当たり前だ。生きていることは当たり前だ。俺だってそう思う。
「嘘、だろ」
そう伝えておけばよかったのに伝えておかなかった手遅れなはずの俺が、あの日から着ていないはずの服を着て、忘れかけた田舎の寂れたバス停の前に立っていた。創作の中の世界か、さっきまで何をしていたか思い出せない。
ついに頭でもおかしくなったか。
昨日まで会社のポンコツパソコンの前でキーボードに操られていた手が少しだけ皺をなくして体にぶら下がっている。
顔を上げると、坂の向こうから彼女が手を振りながらやってくる。
学生の頃、クラスの中心に居た俺はクラスの中心の女の押しに負けて初めての恋愛に踏み切った。その裏でこの時のゴールデンウィーク、クラスの隅っこで本を読んでいるような幼馴染の誘いを断れなかった。
誘われたのは、初めてだったから。
「待った?」
「いや、今きた」
あの日のままに返す。なぞるように。鮮明に蘇っていく。
「今日は私の家じゃなくてよかったの、ほんとに」
「いい」
「そっか。どこいく?」
「お前が誘ったんだろ」
「あ、はは……そっか、そういえばそうだったね」
どうしようかなぁ、と溢れるその声までそのままだった。真っ黒な髪と陰のある表情がこれから先ずっと忘れられないなんてこの時の俺は考えもしなかった。
都合よく利用していたから。
「新しい喫茶店できただろ、この田舎に」
「あ、うん」
「行ってみるか」
「いいよ」
こうして提案しなければきっとコイツは行く先なんて決められなかっただろう。顔色ばかり伺われる。これが、あの頃の俺をずっと腹立たせた。
別に、行きたいところなんてどこへだって付き合ってやったのに。
ぼぅっと歩いて喫茶店へ入る。何を話したかは意識できなかった。気づいたら着いていた。
カランカランとなる鐘に気を遣いながら入っていく彼女を見て、俺は勢いよくそのドアを引いて押し入って。バタンと閉まるドアにびくつくその肩に、あの日と同じように腹が立った。
店は丁度誰もおらず、いや当たり前かこんな田舎だもんなと思い直した。
「いらっしゃいませ」
気づけば向き合って座っていて、雰囲気に似合う初老の男性がメニュー表と水を運んでやってくる。
あぁ、これはきっと現実ではないんだな。うっすらと思った。
ここで俺はかっこつけたままアイスコーヒーとサンドイッチを頼んで、彼女はカフェオレとホットケーキを頼むのだ。
そうしてどうでもいい話だけをして、店を出る。
それが苦しくて、口を開いた。
「今日、何で誘ったんだ」
今日で最後にするつもりか。もっと、何かないのか。お前が言ってくれれば、いっそお前が詰め寄って懇願すれば、あの時の強情な俺だって折れてやってもよかったんだ。
「声が、聴きたくなったからかな」
この言葉だって、俺の頭の中で作られた返答か。
「電話なりなんなりすりゃあいいだろ」
「えへへ、そうだね。ほんとに」
そうやって寂しそうに笑うところが嫌いだ。
場面が都合よく変わり、気づけばあの日解散した別れ道まで来ていた。
あぁ、覚めたくない。神様、本当に戻してくれたってよかったんだ。
それでもあの日の俺には何もできなかった。できなかったから、わからなかったから。
「ありがと、今日すっごく楽しかった」
あぁ、今だってやっぱりそうやって笑う方が俺は好きだ。
喚く目覚まし時計をぶん投げる。はっきりと覚醒した脳みそが、今この時を現実だと訴えている。
心拍はまだ鳴りやまない。
自分の大事なものってどこでいつできましたか。
オフラインで長編を書きながら、ちょっとずつオンラインにも復帰しようかなと思う今日この頃です。
少しでも刺さった方がいれば嬉しいです。




