最上階の秘密
ゾクっとしたことだけは覚えてる・・・」最上階まで階段を上り、二人は揃ってため息をついた。
「ヤンがタイムスリップしたのは、この階段・・・?」
シモーヌはたったいま上ってきた階段を見下ろして身を縮めた。
「うん。あの日、僕はこの階段から転げ落ちたんだ・・・。」
康之も振り返って階段を見下ろした。
最上階には着いたものの、どこから手を付けていいのか見当もつかない。
廊下には自分がいたホテル同様、扉が整然と並んでいた。
この家の使用人たちが使っている部屋である。勝手に覗くわけにもいかないだろう。
途方にくれた二人に誰かが階段を上ってくる気配が伝わった。
二人が振り向くと、すぐ下の踊り場でロランが自分たちを見上げていた。
その姿を見た時、康之は一瞬自分が元の時代に帰ったのではないかという錯覚に陥った。ロランの姿がタイムスリップする直前にホテルで見た少年と重なって見えたからである。頭を振って気を取り直した康之がロランに声をかける。
「やあ、ロラン。誰が来たのかと思って一瞬固まっちゃったよ。身体の具合はどうだい?」
「うん。ありがとう、もう大丈夫! お母さんがヤンのお手伝いしてきなさいって。
・・・ あれ、パン屋のお姉ちゃん?」
ロランが康之の背後に立つシモーヌを見つけて目を丸くした。
「ここの調査、手伝ってもらってるんだ。」
チェシャ・キャットの顔でロランが二人に目を向ける。
〝なんなんだ、この辺りのガキどもは・・・ロジェそっくり。
マセてるのかな・・・それとも国民性?〟
「ひょっとして二人は・・・」
上目遣いのチャシャ・キャットがうれしそうにつぶやく。
「こんにちは。お店ではいつも会ってるわよね。」
ロランの言葉をさらりとかわしてシモーヌが笑顔で応える。
「えっ、知り合いなの?」
「そう、うちのお客様。よく兄弟二人でパンを買いに来てくれたの。」
シモーヌは康之にそう答えると、そっとロランに近づいた。
「ジュリアン・・・早く帰って来るといいね。」と言ってロランの肩をさする。
「シモーヌも知ってたんだ・・ジュリアンが失踪した事件。」
「ええ、当時この辺りは、もう大騒ぎ・・・街中のみんながいろんなところを探したわ。
それでも見つからなくてね・・・」
「そうだったんだ。それでブノアさんは誘拐されたんじゃないかと思ったのか。」
〝でも、そうじゃなかった・・・じゃ、いったいどこへ行ったんだ?〟
その時康之の頭にある考えが浮かんだ。
〝この家からこつ然と消えたって言ってたよな。
ちょっと待て、ひょっとして俺たちと同じようにタイムスリップしちまった・・・?
考えられなくはないぞ、だって現に俺たちだってタイムスリップしちまったんだ。〟
それに思い至った康之がハッとしてロランに目を向けるとロランは康之の視線から逃れるように慌てて目を伏せた。
〝あっ! こいつ、やっぱりなにか知ってる。〟
「ごめんなさい。僕、ちょっと・・・」
そう言って二、三歩後退りしたロランがいきなり康之たちに背を向けて階段に駆け寄った。
「あっ、ロラン。ちょっと待って・・・」
康之がロランを追って駆け出す。
慌てて二人を追おうとしたシモーヌが足を滑らせて床に尻もちをついた。
背後の扉に背中を押し付け、それを支えに立ち上がろうとした時、シモーヌは後ろから引っ張られるような奇妙な感覚にとらわれた。
〝えっ、なに・・・?〟
ハッとして顔を上げた瞬間、シモーヌは目の前に立つ康之とロランの姿が透けて見えることに気が付いた。
瞬きをしているあいだにも二人の影は薄れていく。
そして、とうとうシモーヌの視界から消えた。
シモーヌの口から絞り出すような悲鳴があがった。
しかし、それは康之の耳に届いてはいなかった。
「ロラン、ちょっと待ってくれ!」
階段を下りようとしたところで康之に肩をつかまれたロランが、諦めて康之を振り返る。
「なあ、ロラン。ロランはなにか知ってるんじゃないのか?
知ってて、それを隠してるんじゃないのかい・・・?」
ロランが康之の顔からふっと目を逸らす。
その視線の先には驚愕の表情を浮かべたシモーヌがいた。
「ヤン・・・お姉ちゃんが・・・」
その時、ロランはシモーヌがタイムスリップする瞬間を目の当たりにしていたのだった。「えっ、シモーヌがどうした?」
康之がロランの視線を追って振り返る。
しかし、既にシモーヌの姿はそこにはなかった。
「あれ、シモーヌ・・・? シモーヌ!」
康之はシモーヌの姿を求めて、最上階の隅から隅までを探して廻った。
しかし、シモーヌはどこにもいなかった。
康之が階段の前まで戻ると、しょんぼりと肩を落としたロランが扉をじっと見つめて立っていた。
「ヤン、ごめんなさい・・・。
僕が知ってること、早くヤンに教えていれば、お姉ちゃんはあんなことにならなくて済んだかもしれない・・・。」
涙を浮かべたロランが自分を見つめる康之を見上げた。
「あんなことって・・・じゃあ、ロランはなにか知ってるんだね?」
それにコクンと頷いたロランが再び口を開いた。
「お姉ちゃんは、きっとジュリアンと同じように違う時代に行っちゃったんだと思う・・・。」
「何回かジュリアンと二人で行ったんだ・・・違う時代に。
何回目だったかな? 戻って来れなくなっちゃって・・・。
いろんなところ試したんだ・・・そしたら、なんでか分からないけど帰って来れたの・・」
「何回かって・・・行ったり来たりできるのか?」
「うん。でも、それからは怖くなって行かなくなったんだ。
でも、ジュリアンが久しぶりにまた行ってみよう、って・・・
やめた方がいいって僕、止めたんだよ、あの時。
だけど・・・ジュリアンは大丈夫、大丈夫って言って・・・。
たぶん、前に行った時みたいに帰って来れなくなったんだと思う。
・・・僕、誰にも言えなくて・・・ごめんなさい・・・」
ロランの消え入りそうな声を聞きながら康之は頭をフル回転させた。
「なあ、ロラン。いくつか質問があるんだけどいいかな?」
目を伏せたまま、ロランが黙って頷く。
「どうして違う時代だって分かった?」
「だって街のあちこちに、煙突の何倍もあるような高い建物がニョキニョキ建ってて、見たこともないような自動車がものすごい速さで道を走ってるんだよ・・・あれ見たら誰だって、ああ、未来に来たんだって思うんじゃないのかな・・・?
そうだ。最初に行った時、ジュリアンと一緒にセーヌに行ったんだ。
そしたらセーヌの岸が白い砂で埋まってて、ヤシの木が生えてるの。
そこでみんなが南の島にあるみたいなパラソルの下に置いた椅子に座ってるんだ・・・
びっくりしちゃって二人で河岸に降りて行ったんだ。
そしたら、大きな幕が張ってあって、そこに【パリ・プラージュ2011】って書いてあった・・・
あの2011って、2011年ってことでしょ?」
「えっ、2011年だって!」
康之が裏返った声を上げた。
〝俺がタイムスリップした前の年じゃないか!
・・・ということは、シモーヌがタイムスリップしたんだとすると、俺の時代に行ってるってこと?
もしそうなら・・・ギルの言ってたポータルさえ見つければ、ひょっとすると元の時代に帰れる・・・そして、シモーヌもこっちに連れて帰って来れるのか?〟
考え込んでいた康之がいきなりロランに顔を向けた。
「ロラン、教えてくれ。その、違う時代に行く方法を!
知ってるんだろ。」
康之のあまりの剣幕にロランがおびえた表情を浮かべる。
それを見た康之は慌てて表情をゆるめた。
「なあ、ロラン。誰かが向こうに行って二人を守ってあげなきゃいけないと思うんだ。
ジュリアンもシモーヌも向こうの時代で困ってると思わない?
だって知り合いとかいないだろう・・・。
僕が向こうに行けば、二人ともきっと安心するさ。」
「・・・ヤンが行くの?」
「ああ、そのつもりだよ。」
康之がロランの目を見つめて頷く。
「大丈夫。なんとかして帰って来るさ。二人を連れてね。」
「ヤンが行くんだったら、僕も行く。」
ロランが思いつめた表情で言った。
「ロラン・・・気持ちは分かるけど・・・それは止めておいた方がいい。
もしも、もしもだよ、ジュリアンみたいに帰って来れなくなったら、お父さんやお母さんはものすごく心配すると思うよ。
考えてごらんよ。ジュリアンがいなくなった上にロランまでいなくなちゃうんだよ。」
康之は自分をじっと見つめるロランの肩に手を載せて微笑みかけた。
「心配しないで僕に任せな。必ず二人を連れて帰って来るから。」
涙の流れた跡を頬に残したままロランが康之に頷いた。