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二人のクリスマス

「こんにちは。」

カウンターの中で考え事をしていた康之が顔を上げると、目の前にシモーヌの微笑む顔があった。

「おおーっ、いらっしゃい! こんな雪の日に来てくれたのかい。」

カウンターを飛び出した康之がシモーヌのスカーフについた雪を払う。

シモーヌは恥ずかしそうに康之に礼を言うと、腕に下げた籠を黙って差し出した。

「えっ、またこんなに持ってきてくれたの。いいんだよ、そんなこと気にしなくて。」

最近、三日に一度は〈アンリの店〉に顔を見せるシモーヌは、そのたびに籠一杯のパンをお土産に持ってくるようになっていた。

「でも・・・いつもお勘定いらないって・・・」

「ようシモーヌ。こんにちは。」

店に出てきたアンリがシモーヌを見つけて陽気に声をかけた。

アンリの後ろからノコノコとついてきたロジェもうれしそうな声をあげる。

「あーっ、シモーヌお姉ちゃん、いらっしゃい!」

「こんにちは。はい、ロジェ、これ皆さんでどうぞ。」

二人に挨拶を返したシモーヌがパンの入った籠をロジェに差し出す。

「うわーっ、いつもありがとう。 

ああっ、ブリオッシュだ。こんなにいっぱい入ってる。」

籠をのぞき込んだロジェが歓声を上げた。

「シモーヌ、この次からはそんなに気を使わないでくれ。

なんだかこっちの方が恐縮しちまうよ。

シモーヌが顔見せてくれるだけで、ヤンもロジェもこんなに喜んでるんだから。

・・・もちろん俺もだけど。」

そう言ってアンリがシモーヌに片目をつぶって見せた。

「お姉ちゃん、早くこっちきて座って。」

ロジェが奥のテーブルにシモーヌを引っぱって行く。

康之はシモーヌの好物であるチキンサラダサンドイッチの準備にとりかかった。

康之ができ上がったサンドイッチと飲み物をテーブルに持って行くと、シモーヌの隣にはうれしそうな顔をしたロジェが座っていた。

「おい、ロジェ。お前、なにそんなとこに座ってるんだ。早くこっちに来い。」

アンリがロジェの襟首をつかんで椅子から引きはがす。

「な、なにすんの・・・ちょ、ちょっと・・・」

「いいから早くこっちに来い!」

そう言ってロジェをにらみつけたアンリは康之とシモーヌに笑顔を向け「シモーヌ、ゆっくりして行ってくれな。ヤン、カウンターは俺がやるから休憩取ってくれ。」と言ってバタバタと暴れるロジェを引きずってテーブルを離れた。


「ねえ、お兄ちゃん。シモーヌお姉ちゃんの事なんだけどさ・・・」

「んっ、 なに・・・?」

ある日、夕食の席でロジェが康之に言った。

「いつも店にきてくれてうれしいんだけどさ、店の中ばっかりじゃ、お姉ちゃん、つまんないんじゃないのかな?

これからもず~っと、ず~っと、この店でデートするのって、なんか、かわいそうだと思わない?

〝今度の休みに二人でどこかに行きませんか?〟って誘ってあげなよ。

店の中だと他のお客さんだっているんだし、そういう邪魔なのがいない所へさ。」

話を聞いていたアンリが吹き出した。

「なに言ってんだ。一番邪魔なのはお前だよ。

シモーヌが来るたびに近くに行っちゃ、二人の話に割って入ったりして。

邪魔ばっかしてんじゃないか。」

「いや、ちがっ・・・あ、あれはちょっと挨拶に行ってるだけ・・・」

ロジェが言い訳をするのをおかしそうに眺めながらアンリが続ける。

「まっ、それはそれとして、俺もロジェの意見に賛成だな。

ヤン、お前、シモーヌとこの店以外でデートしたことないだろ。

ロジェの言うように、たまにはどこか他のとこ、一緒に行ってみたらどうだ。」

「そんなこと言ったって、こ~んなに寒いのに、いったいどこへ行くんです?」

「ああ~、もう~若いのにヤダね。どこでもいいんだよ、そんなの。

要は二人っきりになれればいいだけなんだから。

どこか公園でも散歩して、レストランで晩飯でも食って。それでいいのっ!」

「そうよ、女の子は好きな人と一緒にいられるんだったらどこだっていいんだから。」

アンリとカロリーヌもロジェの意見に賛成のようだ。

「・・・レストランって言っても、外で食事ってしたことないから・・・」

「だからどこだっていいんだよ。なんなら手頃な値段で、そこそこウマイ料理を出す店を押さえてやろうか?

なあ、カロリーヌ。ゴスランとか、どうだ?」

「ええ、そうね。いいんじゃないかしら。お値段もそう高くないし、お料理だって一口食べて気を失っちゃうってほどじゃないけど、かなりおいしい方よね。

それに、あのクラスの店の中じゃ気取ってないのがいいわね。」

カロリーヌがニコニコと笑顔を浮かべた。

「ねえ、僕も一緒に行っちゃだめ・・・?」

探るようにしてロジェがアンリの顔を下から見上げる。

「当たり前だろっ!

ヤンとシモーヌのデートにお前が一緒にくっついて行ってどうすんだよ。」

「一応、念のために聞いてみただけ・・・。」

口をドナルドダックにしてロジェが下を向いた。

康之とシモーヌは休日を合わせて、その度にをデートを重ねた。

落葉樹が葉を落としきったシテ島を、また雪のちらつくカルチエ・ラタンを二人は散策し、歩き疲れるとカフェに入る。

毎回同じようなパターンではあったが、それがたび重なるうちに二人は少しずつお互いを知るようになっていった。 

康之は〈アンリの店〉では決して見せることのなかったシモーヌの深い思いやりに触れ、以前にも増して言いようのない愛しさを感じるようになっていた。

一方、シモーヌはシモーヌで康之はもともと好意を持っていた相手である。

二人っきりだという開放感も手伝って、シモーヌは少しずつ康之に甘えるようになっていった。

そして初めのうちはそれに戸惑っていた康之であったが、いつしかシモーヌは康之にとってかけがえのない存在となっていた。


「ねえ、ヤン。あと少しでクリスマスだけど、クリスマスのあいだはどうしているの?」シモーヌがおずおずとした様子で康之の顔を見上げる。

「ああっ、前にアンリが言ってたんだけど、クリスマスの時期って、店がかなり忙しくなるみたいなんだ。」

「あの・・・お店、忙しいんだったら、私、お店のお手伝いに行ってもいいかしら?」

二人はアンリの紹介で初めて二人だけで訪れた【ゴスラン】が気に入って、今日もそのレストランのテーブルに座っていた。

既に馴染みになったギャルソンのジョルジュが、今しがた二人にデザートの注文を取りにきたところだった。

「えっ、店の手伝って・・・そっちは大丈夫なのかい?」

「ええ、お母さんはかまわない、って言ってくれているの・・・」

デザートを運んできたジョルジュが二人の会話を小耳にはさんで、あきれた顔で口をはさむ。

「ヤダね~、ほんと鈍いよな、ヤンは・・・。」

「えっ、なにが?」

心外だと言わんばかりに康之がジョルジュを見上げる。

「なにがじゃないでしょ! シモーヌはヤンと一緒にいたいんだよ、クリスマスの時期にね。

ヤンの国のことはよく知らないけど、こっちじゃ、クリスマスってのは家族で過ごすことになってるんだ・・・ということはだよ、その間はこうして二人で食事にも来れないだろ。

だから、せめてミサに行ったりしないの日の昼間くらいは、愛しい人と一緒にいたいってことじゃないか。」

デザートを二人にサーブしたジョルジュがそう言って康之に目配せをする。

康之がシモーヌに目を向けると、シモーヌは顔を真っ赤にしてうつむいていた。

咄嗟に口にするべき言葉が見つからず、口だけパクパクさせた康之は成り行きでシモーヌに言った。

「シ、シモーヌ、ごめん、ちょ、ちょっと洗面所に行って来ていいかな?」

シモーヌが頷くのを待って、康之は逃げるようにして席を離れた。

「完璧に照れちゃってるな。ちょっとかわいそうだったかな?」

康之の後ろ姿を見送ったジョルジュがシモーヌにそう言った時、突然ガタンという音と共に隣の席の老紳士がよろけてジョルジュにぶつかった。

サーブトレーを放り出したジョルジュが慌てて彼を支える。

「ああっ、すまない。ちょっと飲み過ぎたようだ。いや申し訳ない。」

一緒に来ていた夫人が夫に手を貸しながらシモーヌに頭を下げる。

「本当に申し訳ありません。あなた、大丈夫ですか?」

「ああ、大丈夫だ。お嬢さん、びっくりさせてすまなかった。本当にもう大丈夫だから。ありがとう。」

手を貸そうとして立ち上がったシモーヌにそう言うと、紳士は夫人に頷いて、ジョルジュの手を借りながら夫人と一緒にゆっくりと玄関に向かって歩いて行った。

安堵の息をついて席に着こうとした時、シモーヌは康之のバッグが床に落ちているのに気が付いた。落ちた拍子にスナップが外れたのか、中身が床にこぼれ出している。

「あら、たいへん。」

バッグから飛び出した物を中に戻そうとテーブルを回ってかがみ込んだシモーヌの手がピタリと止まった。

バッグから飛び出していたのはパスポートとスマートフォンであった。

飛び出した拍子に開いたパスポートからは康之の顔写真がのぞいている。

その写真はカラー写真であった。

シモーヌがパスポートを取り上げて写真を見つめる。

そして、その目が写真の横に印刷されている康之の生年月日に釘付けになった。

「シモーヌ、どうしたんだい?」

後ろから声をかけられて、シモーヌが慌てて康之を振り返る。

「いえ、今、隣の席のお客さんがよろけてジョルジュにぶつかった時、バッグが床に落ちてしまって・・・」

康之はシモーヌが手にしているパスポートに気付いて青くなった。

「あっ、ありがとう。拾ってくれたのかい・・・」と言いながら康之はシモーヌからパスポートを受け取り、バッグを拾い上げた。

テーブルについた二人の間に沈黙が流れた。

〝彼の生年月日、1990年って・・・あれ、いったいどういう事なのかしら・・・〟

〝どうする・・・俺のパスポート、ジーッと見てたもんな・・・〟

上目遣いに康之はシモーヌの表情を窺った。

〝ほらっ、やっぱり気が付いてるって・・・

んんん・・・隠してても仕方ないか・・・でも、信じてくれるかな? 

・・・まあいいか。それはシモーヌにまかせる?

よし!

あっ、でも、ちょっと待て。

ここじゃマズイな。状況によっちゃ、ジョルジュにまでバレる可能性があるもんな″

シモーヌに気付かれないようにポケットから時計を引っ張り出してそっとのぞき込む。

時計の針は八時を少し回ったところだ。それほど遅い時間ではない。

〝よし、場所を変えよう。〟

意を決して顔を上げると、シモーヌが真剣なまなざしでジッと康之を見つめていた。

康之はシモーヌの緊張を少しでもほぐそうと、いつものように笑顔を浮かべ、コーヒーカップに手を伸ばす。

そしてコーヒーを少しだけ口に含んで、静かに飲み下した。

「シモーヌ、どこか場所を変えて、落ち着いて話しがしたいんだけど、時間はまだ大丈夫かい?」

シモーヌは康之を見つめたまま静かに頷いた。


店の外は小雪が舞っていた。

二人は帰り道の途中で適当なカフェを見つけて中に入った。初めてのカフェだ。

一番奥のテーブルにシモーヌを座らせた康之がカウンターでワインを二人分買って席に戻ると、シモーヌは下を向いたまま、身じろぎもせずに康之を待っていた。

シモーヌにワインを勧め、自分もグラスの半分程を一気にあおる。

震える手でワイングラスを持ち上げたシモーヌは、ほんの少しだけ口に含んだ。

シモーヌがグラスを置くのを待って康之は話し始めた。

「ごめん、シモーヌ・・・別に秘密にしておこうと思ってたわけじゃないんだ。

びっくりしたかい?」

シモーヌは康之を見つめたまま静かに頷いた。

「・・・ええ。でも、決して見ようと思って見たわけじゃなくて、半分開いていたものだから・・・。

私なんだか急に頭が混乱しちゃって・・・。」

「その時に僕が声をかけた・・・。」

「・・・うん。」

「僕の名前も書いてあっただろう?」

「え、ええ・・・ヤスユキ・アサカワ・・・」

「そう、それが僕の本当の名前・・・そして1990年生まれ。」

「・・・今から八十年も後に・・・生まれた?」

康之はシモーヌの目を見つめて頷いた。

「ねえ、ヤスユキさん・・・」

「今までどおり、ヤンでいいよ、シモーヌ。」

康之はそう言うと、これまでに自分の身に降りかかった出来事を全てシモーヌに話して聞かせた。

テーブルに目を落として静かに聞いていたシモーヌが不安げな表情を浮かべて顔を上げる。

康之はバッグからスマホを取り出すとパリに着いた翌日にカメラで撮った画像をディスプレイに表示してシモーヌに渡した。

それは薄暮の中、ライトアップされたエッフェル塔をバックに徹と並んで自撮りした画像だった。

シモーヌが目を丸くしてそれを見つめる。

「・・・これ、エッフェル塔?」

康之が黙って頷く。

そしてスマホを受け取ると、今度はパリに到着する少し前に飛行機の窓から空港の周辺を撮った動画を再生してシモーヌに渡す。

シモーヌは息を呑んで、しばらくそれを見つめていた。

出逢ったばかりで別れを予感したシモーヌが視線をスマホの画面からそっと康之に移す。そして消え入りそうな声で康之に言った。

「・・・ねえヤン、元の時代に戻る方法はあるの?」

シモーヌの視線から目をそらして、康之がため息を落とす。

「いや・・・それが・・・。」

そして再びシモーヌの目を見つめて話し始めた。

「だって、どうしてこんな事になったのか全く見当が付かないんだ。

さっきも言ったように今、こっちの時代には僕と同じ時代からまぎれ込んできた仲間が三人いる。

彼らもいったいどうしてこんなことになったのか分からないって言ってた。

でも、彼らと話をしているうちに、僕たちは四人とも同じ建物からこの時代にまぎれ込んで来たって事が分かってね。

それで、みんなでその建物を調べて、元の時代に帰る方法を探そうって・・・

だけど、本当のこと言うと、シモーヌに会ってから、そんなこと、どうでもいいかなって・・・」

康之の話を突然シモーヌがさえぎった。

「いけないわ、ヤン!」

毅然とした声に驚いて顔を上げた康之の目に入ったのは、目に涙をいっぱいに溜めたシモーヌだった。

「だって、元の時代にはヤンのお父さんもお母さんもいるんでしょう?

きっと心配なさっていると思うわ。帰る方法があるんなら絶対に帰らなきゃ。

私も協力する。ヤンは絶対に帰らなきゃダメッ!」

子供を叱りつける母親のような口調で康之に言葉をぶつけたシモーヌは、こぼれ落ちる涙を拭おうともせず、挑むような視線を康之に向けていた。

康之は静かにシモーヌの隣の席に移ると、シモーヌの手を握り、涙で濡れた顔を自分の胸に抱いた。

しばらくの間、声を殺して康之の胸で泣きじゃくっていたシモーヌが康之の胸からそっと顔を上げる。

そして涙で濡れたままの目を康之に向け、泣き笑いのような表情を浮かべた。

「・・・もし帰れるんだったら、また戻って来れるのかな・・・?」

康之がふっと表情を緩める。

「もしそうなったらすごいなあ。あっちの時代とこっちの時代を自由に行ったり来たりできちゃうよ。」

それを聞いてシモーヌが顔を輝かせた。

「もし、そうなったら、私をヤンの時代に連れて行って。」

「そんな事して、もし帰って来れなくなったらどうするんだい?」

康之がシモーヌの髪をなでながら正面から顔をのぞき込む。

「大丈夫。ヤンと一緒ならどこに行っても怖くない・・・」

康之は力いっぱいシモーヌを抱きしめた。



その日、〈アンリの店〉は若い客たちでごった返していた。

クリスマスから正月にかけてのこの時期、レストランはどこも一杯になる。

〈アンリの店〉では、クリスマスらしい派手な料理と酒を安く提供し、店をあげて常連客たちのバカ騒ぎに付き合うのがここ何年かの恒例となっていた。

特にニュー・イヤー・イブの晩は店を切り盛りする康之やアンリをはじめ、それを手伝うカロリーヌやシモーヌ、また用も無いのに店をウロチョロするロジェまでもが、大騒ぎする客たちと一緒になって楽しい時間を過ごすことになった。

そして年が明けると、そうした連中は軽くなった財布とワインの飲みすぎで重くなった頭を抱えて家にこもり、営業は通常のかたちに戻ることになる。

〈アンリの店〉を手伝いながらも、康之に秘密を打ち明けられらたシモーヌは心穏やかではなかった。

康之によれば、それを知っているこの時代の人間はどうやら自分だけであるらしい。

〈アンリの店〉のみんなにも、この事は話してはいないと康之はシモーヌに打ち明けたのだった。

それを聞いたシモーヌは康之と二人で必ず時代を行き来する謎を解き明かし、無事に康之を元の時代に送り返すのだと一人、心に決めていた。

元の時代に戻った康之が必ず、またこの時代へ自分を迎えに来てくれることを信じて。


こうして1910年が明けた。


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