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突破口

薄暗いバーの一番奥のテーブルに恭一たちは座っていた。

恭一が康之に気付いて片手を挙げる。

そこには恭一の他に二人の外国人の姿があった。

テーブルに近づいてくる康之を出迎えるように三人が揃って立ち上がった。


恭一の話にあった通り二人の外国人たちは康之と同じくらいの年齢のようだった。

恭一が二人を康之に紹介する。

康之の正面に座ったのがギルバート・ベイリー。

スラッとした長身でメガネをかけたイギリス人だ。

そして左隣にいるのがクラウス・ハイマン。

ギルバート同様に長身だが、厚みのあるガッチリとした身体を持っている。

そしてちょっとだけ頭の薄いドイツ人。

二人ともこの時代にやって来た当初はずいぶん苦労をしたと恭一から聞かされていたが、今ではそんな様子は少しもなく、少年のような人懐っこい表情を浮かべていた。

「まあそういうわけで、彼がヤスユキ・アサカワ。

このあいだ報告したように僕と同じ日本人だ。二人ともよろしく頼む。」

バーテンが飲み物を置いてテーブルを離れると、それを待っていたかのようにクラウスが康之に話しかけてきた。

「アランに聞いたんだけど、ヤスユキはカフェに住み込みで働いてるんだって。

良かったなあ。」

「ありがとう。自分でも本当に運が良かったと思うよ。

アランはレ・アールにいるって聞いたけど、クラウスとギルバートはどんな仕事をしてるんだい?」

「実は僕たち二人もレ・アールにいるんだよ。ある人の紹介でね。」と言ったのはギルバートだった。

「僕はこっちへ来た当初、どうしていいんだか分からなくて・・・

心神喪失状態っていうんだろうな、ああいうの・・・

そして、ただ街中をふらふらとさまよい歩いてたんだ。そして、とうとう行き倒れさ。

十日くらいは何も食べていなかったんじゃないかな・・・ルンペンと同じ・・・。

そんな僕に声をかけてくれた人がいたんだ。

その人が見るに見かねて僕を自分の家に連れて行ってくれてね・・・そして理由も聞かずに家に置いてくれたんだ。

気が付いた時にはベッドに寝かされていたんだけど、そこがどこなのか、まったく分からなかった。

そして目の前に優しそうなおばさんがいて、動けない僕の身の回りの世話をしてくれるんだ。その人が彼の奥さんでね、彼はその奥さんと二人暮らしだった。

彼らは本当に優しくしてくれたよ。

彼はもう、おじいさんって言っていいくらいの年齢なんだけど、レ・アールで重要な地位にある人らしくてね。

その人が元気になった僕をレ・アールで働けるよう、いろいろと骨を折ってくれたんだ。本当に命の恩人さ。」

「そうだよな、僕たち二人にとってもそれは同じだよ。なあ、クラウス。」

「ああ、まったくその通りだ。彼がいなかったら僕たち三人、今頃どうなっていたことか。」そう言ってクラウスが恭一に頷く。

「人間、腹が減ると市場に足が向くもんなのかな・・・アランもそうだったらしいけど、僕もまったく同じでね。

もう、空腹で目がかすむような状態でフラフラしながら市場の中を歩いていんだ。

そしたら、アランのスマホが目に飛び込んできた。」

「そうそう、スマホ! あれ見た時は驚いたな。

レ・アールで働くようになった僕の前にアランが現れたんだ、首からスマホをぶら下げてね。幽霊みたいだったよ、あの時のアランは。」

ギルバートが恭一に微笑みかける。 

そして当時を思い出したのか、三人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

「僕とクラウスがレ・アールで働いて、人並みの生活ができるのもギル同様、ポールの助けがあったからさ。」

恭一たちは康之に自分たちがこっちに来てからの事をかいつまんで語って聞かせた。

「そんな訳で、週末になると僕たち三人はポールとデボラに会いに行ってる。」

「そう、それで何回目くらいだったっけ・・・僕たちの秘密、三人で打ち明けたの?」

何気なくつぶやいたクラウスの一言に康之は目を丸くした。

「えっ、じゃ、そのポールさんとデボラさんは知ってるの?」

それに答えたのは恭一だった。

「う~ん、まあ、知ってるって言えば知ってるかな・・・」

「えっ、どういうこと・・・?」

康之は三人の顔を交互にのぞき込んだ。

「半信半疑って言えばいいのかな・・・」

「なに言ってんだよギル。二人とも信用してないよ。

だってあの時、デボラなんか、うんうんって頷きながら笑ってたじゃないか。」

「まあな・・・でも、仕方ないんじゃないか?

突然あんな突拍子もない話を聞かせて、それをすんなり信じろって言うほうがどうかしてる・・・」

クラウスの突っ込みにギルバートが苦笑いを浮かべてそう認めた。

「打ち明けたことは打ち明けたんだから、それでいいんじゃないのか?

命の恩人に本当のことを伝えない訳にはいかないだろう・・・

信じる信じないは二人の問題だよ。」

恭一は慰めるようにギルバートの肩を叩くと康之に顔を向けた。

「まあ、そう言うわけで僕たちにとって、あの二人は特別な存在なのさ。

そして、家にも度々顔を出すようになった・・・そこであの新聞を見たのさ。」

「そう。あの時、アラン、新聞開いて固まってたもんな。

それで僕たちにもその広告を見せるんだけどさ、ギルも僕も訳が分かんないんだよ。

でもアランは〝これ、絶対に間違いない。〟って言ってヤスユキに会いに行ったんだ。」

「そうだったんだ・・・いや、僕も驚いたよ。アランがスマホぶら下げて店にきた時は・・・」

「そうだろうな。

でもさ、ヤスユキで四人目だろう。それ考えると僕たちの他にも、もっといるんじゃないのかな。僕たちと同じように、こっちの時代に紛れ込んでる人間。」

恭一がギルバートの言葉に静かに頷く。

「もしかしたら、そうかもな・・・でも、こっちから積極的に探す手段がないからな・・・」

「いや、いいんだよアラン・・・ただ、もっとたくさんいれば、心強いかなって思っただけなんだ。」

スコッチのグラスに目を落として、ギルバートが小さな声でつぶやいた。

康之はこの時代にきて一番長いというギルバートの気持ちを思った。

〝三年だもんな・・・荒川さんが二年って言ってたから、少なくとも一年以上は仲間もいなくて、たった一人でこの時代にいたんだ。心細かったんだろうな・・・〟

「でもさあ、こうしてヤスユキを見つけたことだし、四人もいれば充分だよ、ギル。」

クラウスはギルバートを元気づけようと、陽気な声でそう言うとビール一気に飲み干した。

「そろそろなにか食べに行こうよ。僕、お腹すいちゃった。」

「そうだなクラウス。全員揃ったことだし、ギルお勧めのレストランに移動しようか。」

恭一が隣に座るギルバートの肩を叩いて立ち上がった。


「ええーっ、なんだって! ヤンもあそこでタイムスリップしたの。」

ギルバートが裏返った声を上げた。

「ちょ、ちょっと待てよ。ヤンも、って・・・じゃ、ギルもあのホテルでタイムスリップしたのか?」

クラウスが目を剥いて二人を見つめる。

恭一はひとり静かに思考停止に陥っていた。


メインの料理を終えた四人は改めてワインを一本注文し、デザートにいく前にチーズをかじっていた。

その頃になると、康之が店ではヤンと呼ばれていることを知った四人はお互いをアラン、ギル、クラウス、ヤンと呼び合うようになっていた。

そんな中、なに気なくギルバートが康之に尋ねたのだった。

「そう言えば、ヤンはどこでタイムスリップしたんだい?」

「えっ、僕? 僕は泊まってたホテルの階段。最上階の屋根裏部屋にいたんだけど、その最上階から下の階に下りる時に足を滑らせて転がっちゃったんだ。多分その時だと思う。」

「はあ~、階段転げ落ちちゃったのか。そりゃ大変だったなあ・・・」とクラウスが康之に同情的な目を向ける。

三人の話を聞きながら「しかし考えてみれば、今まで一度もそんな話したことなかったよな・・・。」と恭一がつぶやいた。

「確かにそうだよね。一度も話してなかったな。

実は僕もホテルなんだ。僕もヤンと同じように最上階の部屋にいてね・・・

そこがまた安っすいホテルでさ、部屋にはバスもトイレもないんだ。」

ワインを一口、口に含んでギルバートが話しを続ける。

「で、僕がいた最上階にはバスタブが置いてある物置みたいな部屋があってさ、バスを使いたい時はフロントに行って、お金払ってその部屋の鍵を借りるのさ。

そしてバスを使うってシステム。

何日目だったかな・・・バスを使ったのさ。で、その物置部屋みたいなとこから廊下に出たんだ。

そしたら、その階から下に降りる階段の踊り場に立ってた。

訳が分からなかったよ。

どうなってるんだろうと思ってすぐに物置部屋に行ってみたんだ。

上の階に上がって物置部屋の扉を開けると・・・そこは普通の部屋だった・・・

ホテルの部屋っていうより、誰かが住んでる部屋みたいだったな。

最上階の造りはまったく同じなんだよ。でも明らかになにか違うんだよね、自分がいたホテルとさ・・・。

多分あの時、物置から廊下に出た瞬間にタイムスリップしたんだろうな・・・。

踊り場に戻って長い間、壁とか床とか調べてみたんだけど、手がかり無しさ。」

テーブルに肘をついて、手のひらであごを支えたギルバートは諦めたような顔でふ~っとため息を漏らした。

「二人ともホテルなのか・・・実は僕もホテルなんだよ。

ちなみにヤンはどの辺りのホテルにいたんだい?」

クラウスに尋ねられた康之が額に手をあてて宙をにらむ。

「う~んとね・・・大雑把に言うとセーヌの左岸。シテ島から歩って五分くらいのとこじゃじゃなかったかな・・・

そうそう、サンジェルマン大通りとエコール通りにはさまれた一角って言った方が分かりやすいかな・・・」

それを聞いていた三人がギョッとした顔で康之を見つめる。

三人に視線を戻した康之もそれに気付いて三人を見つめ返した。

「なに・・・どうしたの?」

最初に口を開いたのは恭一だった。

「ヤン・・・そのホテルの名前・・・覚えてるか?」

「えっ・・・ホテルの名前?」

視線を宙に泳がせて記憶をたどる康之を三人が真剣な眼差しで見つめる。

「・・・確か、エコール・ラタン・・・、違うな・・・そうだ、エトワール・ラタンってホテルだったと思う。」

それを聞いた三人が同時に息を呑んだ。

話を聞いてみると康之たち四人は同じホテルの最上階からこちらの時代にタイムスリップして来たということが分かった。

康之は階段を転げ落ちた時。

ギルバートはバスタブのある部屋から廊下へ出た時。

クラウスはトイレの個室から出た時だったそうだ。

「トイレの個室から出たんだよ、トイレの個室だよ。どこにいたと思う?

いきなり廊下に立ってた・・・それも自分の部屋の真ん前。

いや~、あの時は驚いたよ。夢でも見てるんじゃないかと思ったね。」

三人の話しを聞いて、恭一がつぶやいた。

「・・・僕は分からないんだよ。」

「僕もみんなと同じように、あの最上階・・・たしかG7って部屋だった・・・。」

「G7・・・その部屋って、階段上りきった正面にある部屋でしょ?

僕はその隣の部屋にいたんだ。」とギルバート。

「なんだギル、隣の部屋にいたのか・・・と、言っても泊まってた時期は違うのか・・・。」

「でもアラン、分からないっていったいどういうこと・・?」

クラウスが恭一の顔をのぞき込む。

「・・・うん、どの時点だったんだろうな?

あの日、外で晩飯を食べてホテルに帰ったんだ。そんなに遅い時間じゃなかったと思う・・・いや、ワインも飲んでたんで、その辺がはっきりしないんだけどね・・・。

階段で一番上まで上って、一息ついて顔を上げたら目と鼻の先に扉があるんだ。

ふり返って見ると、真後ろにたったいま上ってきた階段が見えた。その距離、約三メートル。

あれ、っと思ってドアを見ると、今度は鍵穴がない。

恐る恐る開けてみるとドアはすんなり開くんだ。

でも部屋の中が全然違ってた。

埃だらけで、なんだかゴチャゴチャといろんな物が置いてあって、それこそ物置みたいだった。

もちろん部屋に置いてあった自分の荷物も見当たらない。部屋をまちがえたのかなと思って廊下に出たら、ちょうど斜め向かいの部屋のドアが開いて若い女の人が出て来てさ。

そして僕を見てキャーって大声・・・。

慌ててそこから逃げ出してフロントに行ってみると、今度はフロントそのものが無なかった。

仕方なしに用心しながらまた部屋に戻って、息を殺して朝まで隠れてた。

朝になったら元に戻ってるんじゃないか、なんて考えながらね。

でもダメだった。朝、ホテルの外に出てみると、そこはこっちの時代だったよ・・・。

みんなの話し聞きながら考えてたんだけど、階段上って最上階に足を踏み入れた、あの瞬間だったのかもしれないな・・・。

まあ、それはそれとして、今日の会合では僕たちにとって、すっごく価値のある事実が分かったじゃないか!」

恭一が気を取り直して三人に笑顔を向ける。

「うん、アランの言う通りだ。でも、まさか、四人ともあのホテルでタイムスリップしたなんて考えてもみなかった・・・。」

クラウスがため息混じりにつぶやく。

「ああ、確かに・・・全然別の場所だとばっかり思ってた。

でもさ、四人全員が同じホテルの、しかも同じ最上階でタイムスリップしたんなら、あそこに僕たちの時代とこの時代をつなぐポータル・・・入口みたいなのがあったんだろうな・・・」

三人がハッとしてギルバートを見つめる。

沈黙が四人の間を流れた。

ゴクリと生つばを飲み込んで、恭一が口を開く。

「なあ、ギル・・・そのポータルって、今でもまだあると思うか・・・?」

「う~ん、どうだろう・・・ずっと考えてたんだ。僕がタイムスリップしたのは、なにかの拍子にその入口に入っちゃたからなんだろうって・・・。

だからさっきも言ったように、階段の踊り場になにか手がかりはないかと思って調べてみたんだ。でも、その時は結局なにも見つけられなかった。

・・・探しようがないんだよね。見えるわけじゃないんだから。

たぶん消えて無くなっちゃったんだろうと思ってた。

でも、今日みんなの話を聞いてて思ったんだ。今もまだ、あそこにあるのかなって・・・。

だって、僕たちがこっちに来たのって、時間的にはけっこうな開きがあるわけでしょ・・・。

アランが僕の一年後で、クラウスがその半年くらい後、そしてヤンはクラウスの時から、ほぼ一年半後・・・。

時間の開きはあるんだ。でも同じ場所・・・って言うか、あの最上階のどこかからタイムスリップしてる・・・ということは、その時にはあの最上階に入口があったってことでしょ?

・・・だとしたら、今でもまだあるのかもしれない。」

「でも、ギル、仮にその入口があそこにあったとして、もし、その入口に入ったらどうなるんだ・・・元の時代に帰れると思うかい?」

クラウスが不安そうな表情で口にする。

「どうなんだろうな・・・だって、こっちから向こうに行ったって人の話しを聞いたことがないからね。

でも、僕たち四人がみんな同じ時代から来てるってことは、パイプみたいなもので僕たちの時代とこっちの時代がつながってて、そのパイプの両端がすごく狭い範囲を動き回ってる・・・っていうような気がするんだけどな・・・。」

「うん、分かるような気がする。今のギルの話、すっごくイメージしやすかった。

多分ギルの言う通りだと思うな。」

康之はそう言うと、同意を求めるように恭一とクラウスに顔を向けた。

クラウスは康之に頷くと、うれしそうな顔でワインを喉に流し込んだ。

「うん、僕もそうだと思う。

時期の違いはあるけど、四人とも同じ時代からこっちの同じ時代に来てる。

仕組みは分かんないけど、すごい精度だと思わない?」

「確かにな・・・。しかし、ギルの言うように確証は無いか・・・」

それまでジッとワイングラスを見つめて話を聞いていた恭一が腕組をしてボソッとつぶやいた。

続く言葉を待って、三人が恭一を見つめる。

恭一は顔を上げると満面に笑みを浮かべた。

「すごい進展だと思わないか?

今日は僕たち四人にとって記念すべき日だぞ!

元の時代に帰るって言ったって、今までは何から手つけていいのかさえ、見当もつかなかったんだ。でも、今は違うぞ。調査する対象を見つけたんだ。

みんなで力を合わせれば元の時代に帰る方法を見つけられるかもしれない。

突破口はあのホテルの最上階だ!」

三人は揃って恭一に頷いた。

「乾杯しよう、乾杯!」

突然陽気な声をあげて、クラウスが四つのグラスをワインで満たした。

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