カルチェラタンからの手紙
「お客さんたちん中に、ヤンって人いるの?」
一番奥のテーブルで康之たちがオヤジを見上げる。
〈アンリの店〉のオヤジであるピエールの顔が、康之にはひどく懐かしく思えた。
「おおっ、久しぶりだな。 やっとレ・アールで働く気になったか?」
康之たちの座ったテーブルに近づいてきたピエールが康之に気付いてうれしそうに目を細める。
レ・アールの話はピエールにとって、康之に対しての挨拶がわりになっているようだ。
康之はこっそりとみんなにこのオヤジがロジェの孫であることを伝えた。
一斉に向けられた六人の視線に一瞬たじろいだピエールが気を取り直して口を開く。
「・・・い、いや、今、ヤンっていう名前が聞こえたもんだから・・・
この中にヤンって人、いるの・・・?」
「今、みんながヤンって言ってたのは僕のことだけど・・・。
僕の名前はヤスユキ。ヤンっていうのは愛称。でも、どうして・・・?」
「おおっ、あんたか! あんた、ひょっとして、ファミリーネーム・・・アサカワ?」
康之が頷くと、ピエールは〝ほお~っ〟と声を漏らして鼻の下の髭に手をあてた。
「いやね、この先にあるホテルでコンシェルやってる俺の同級生がいるんだけど、そいつんとこ、いま改装工事の最中なんだ。そんで、工事やってたら、上の階の方で俺の祖父さんが書いたんじゃねえかっていう手紙を見つけたらしいんだよ。
現物見てみると、確かに俺の祖父さんが書いた手紙で、ヤン・アサカワって人宛てになってる。
それで俺は祖父さんの時代にうちの店で働いてたっていう日本人がそのヤン・アサカワって名前なんじゃないかって睨んでたんだ。
そしたら、突然〝ヤン〟って名前が聞こえたもんだからさ。」
「それ、アタリだと思う。ヤンっていうのはたぶん、僕の曾祖父さんのことじゃないかな。」
康之がそう言うとピエールはあんぐりと口をあけて康之を見つめた。
「最初にこの店にきた時、ここで日本人が働いてたって聞いて、すぐには思い出せなかったんだけど、あのあと思い出したんだ。
僕の曾祖父さん、若い時にパリにいたことがあって、その時カルチェ・ラタンにあるカフェで働いてたっていう話・・・。
〝俺は若い時、しばらくパリにいたんだぞ〟って、すっごく自慢してたらしいんだ。
その曾祖父さんの名前がヤスヨシ。 ヤスヨシ・アサカワ。
ひょっとすると曾祖父も僕と同じように〝ヤン〟って愛称だったのかも・・・
そうだ! もしかして、その手紙を書いたっていうあなたのお祖父さん、ロジェさんて名前じゃない?」
それまで目を点にしていたピエールが康之の口から出たロジェという名前を聞いて驚きの声をあげた。
「おおーっ! その通りだ。
俺の祖父さんはロジェって名前なんだ。
決まりだな。そうか、そうだったの。
しかし奇遇だな。あんたの曾祖父さんがうちの店でねえ・・・
なあ、悪いようにはしねえ。まじ、レ・アールで働く気はねえか?」
ロジェからの手紙を読み終えた康之は隣に座ったギルバートに手紙を渡した。
手紙を開いて食い入るように読み始めたギルバートに顔を寄せるようにして、恭一たちが手紙をのぞき込む。
ギルバートの小さくすすり泣く声を背中で聞きながら、康之はひとり外へ出て、店の前の舗道に立った。
鉛色の雲から落ちてきた雨が舗道を濡らしている。
灰色の空を見上げて、康之は動くことができなかった。
頬に雨が降りかかるのも構わずに康之が立ちつくす。
目を閉じた康之の瞼にはシモーヌの笑顔が浮かんでいた。
〝なんだよ、言ってくれればよかったじゃないか。〟
瞼に映ったシモーヌはただ康之に微笑みかけるばかりだった。
「なあ、浅川・・・行ってみるか、八区のパン屋?」
背後で徹の声が聞こえる。
康之は目を開いて徹を振り返ると、黙って首を横に振った。
「そうか。ギルたちはこれからモンパルナスに行くってさ。
どうするお前?
カフェのオヤジに聞いたらロジェもモンパルナスにいるらしいぞ。」
「いや・・・おれはやめとくよ。」
徹にそう答えると、康之は再び灰色の空に顔を向けた。
親愛なるヤンへ
ヤンがこの手紙を受け取ることになるかどうかは、はっきり言って分かりません。
受け取って読んでくれることを期待して、ヤンたちが帰った後のことを記しておきます。
まず最初にシモーヌのことを伝えておこうと思います。
安心して下さい。シモーヌは元気だよ。
それから、ずいぶん悩んだんだけど、次のことも報せておきます。
ヤンは帰る時に、シモーヌが妊娠してたの知ってた?
僕はきっと知らなかったと思うな。
もしヤンが知ってたら、ヤンはシモーヌがなにを言っても絶対に帰らなかったはずさ。
だってあの時、シモーヌのお腹にはヤンの息子がいたんだからね。
ヤンが帰って半年くらい経った頃からシモーヌのお腹が急に目立ち始めて、それで僕たちも気が付いたんだ。
珠のような元気な男の子が生まれたよ。
その子の名前はヨアン。
ヨアン・ベルニエ・アサカワ。
ヤンにそっくりなんだ。
その子を初めて見た時、思わず吹き出しそうになったよ。
口を開けて寝てる寝顔がヤンとおんなじ!
シモーヌはその後、独身を通しヨアンを女手一つで育て上げた。
もちろん、僕たちも一生懸命手伝ったよ。
なにしろ大変な時代だったからね。
シモーヌは本当に一人でよく頑張ったと思うな。
シモーヌの一家は一時戦禍を逃れてオルレアンに避難してた。
ヨアンはレジスタンスに加わって、かなり無茶なことやってたらしいけどね。
そして戦争の終わった今ではパリに戻って、八区でパン屋をしてる。
店の名前は「BERNIER Asakawa du Pain」
ブリオッシュが評判のパリじゃ有名な店だ。
店主はもちろんヨアン。
でも、まあ、女主人のシモーヌの方が貫禄じゃ上だね。
ヤンは覚えてるかな?
店の前でみんなで撮った記念写真。
うちの家族三人とヤンとシモーヌが写ってるやつ。
シモーヌは店にコーヒーを飲みに来るたびにあの写真を見てなにか話しかけてる。
きっと写真の中のヤンにいろいろな事を報告しているんだと思うな。
何度かシモーヌにあの写真を渡そうとしたんだけど、絶対に受け取らないんだ。
シモーヌが持っていた方がいいと思うんだけど、ヤンはどう思う?。
いけない。伝え忘れることだった。
ヤン、おめでとう。
この間、ヤンの孫娘が結婚したよ。
彼女の名前はルイーズ。
ヨアンの一人娘で、シモーヌそっくりのビューティだ。
相手はミシェルっていうシモーヌの店で働くパン職人。
これが実に気のいい男でね。もちろんパンを焼く腕は確かだ。
これでヤンのひ孫が生まれてくる日も近い。
そうそう、最初に書いておいた方が良かったかな。
今は1950年。
戦争が終わって、ようやく世の中も落ち着いてきたように思うな。
僕もジュリアンもロランもみんな無事だよ。
いま僕たちは三人そろって五十歳だ。
そうだ。もし、ギルバートさんと連絡が取れるようなら伝えて下さい。
ポールさんとデボラさん御夫婦はギルバートさんに代わって、僕たち三人でしっかりとお世話させてもらいました。
ご安心下さいって。
二人は一緒にモンパルナスの墓地で静かに眠っています。
ラフェ通りの西側の静かな場所を三人で選びました。
最後になったけど僕ら三人のことも伝えておきます。
ジュリアンは父親の仕事を継いで、ヨーロッパ中を飛び回ってる。
ロランは今、大学の先生・・・ヤン、ロランが大学の先生だよ、信じられるかい?
真剣にタイムスリップのことを研究してるらしい。
僕はご存知のとおり〈アンリの店〉にいる。
たまに三人で食事をする機会があるんだけど、その時に出るのは決まってヤンたちがこっちの時代で僕らと一緒にいた頃の話さ。
そして「何とかして、また会えないもんかね」で、話が終わるのさ。
ロランの研究が成就すれば、それもまた夢じゃなくなるんだろうけど、期待薄だと僕は思ってる。
元気で暮らしてると信じてるよ。
感謝を込めて。
ロジェ・シムノン




