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帰還

「なにーーー! あと一週間で最上階が取り壊しになる?」

突然クラウスが椅子から立ち上がった。

「クラウス、落ち着けって。シモーヌもジュリアンも帰って来たんだ。

次は僕たちが帰る番だ。

ヤンがもらってきた砂だってまだ充分に使えるみたいだし、向こうへ帰る準備をするのだってそれほど時間もかからんだろう。

それに、こっちは向こうの十倍の早さで時間が進むの忘れたのかい。

向こうの一週間って言えば、こっちじゃ二ヶ月以上もあるじゃないか。」

恭一が余裕の表情で集まったみんなを見回す。

それを聞いた高子が康之に目配せをした。

高子に頷いて立ち上がった康之が言いにくそうに口を開いた。

「あ、あのう・・・アランね、それが、その・・・」

口ごもる康之にみんなの視線が集まる。

「いや、あの・・・今回、向こうに行って分かったことがあって・・・」

康之は一同を見回すと意を決して話を続けた。

「その・・・時間の流れる早さのことなんだけど、どうも、逆転してるみたいなんだ。」

「えっ、今なんて言った?」

ギルバートがキョトンとした顔を康之に向ける。

「いや、だからね・・・向こうがこっちに追いついて、追い抜いちゃったみたいなんだ・・・」

「ええーーー!?」

恭一が椅子を蹴って立ち上がった。

テーブルに身を乗り出して康之に迫る。

「時間の流れる早さが逆転したってこと?」

「追い抜いたって・・・いったいどのくらい?」

「それ、まずいんじゃないの・・・まさか十倍まではいってないんだろ?」

恭一たちが口々に康之に質問を浴びせる。

それを遮るように口を開いたのは高子だった。

「私、やっちゃんが1810年から戻った時に彼の話を聞いて、あれっ、と思ったの。彼、1810年で一ヶ月くらい過ごしたって言ったんです。

彼がタイムスリップしてここに戻って来るまで、こっちでもちょうど一ヶ月くらいだった。」

そのことがあって、高子は2012年から戻った康之に、向こうにどのくらい滞在していたのかを聞いてみたそうだ。

その結果、現時点では2012年の方が自分たちが今いる1910年より、少しだけ早く時間が流れていることが分かったと言うのである。

「つまり、やっちゃんが言ったように時間の流れる早さがどこかで逆転したんだと思うの。

だって、考えてみれば、前のまんま1910年が2012年の十倍の早さで時間が進んだら、すぐに2012年に追いついちゃう。

だとすれば、それがどこかで修正されても不思議なことじゃない・・・」

「・・・う~ん、確かにタカコの言う通りだ。僕も不思議なことじゃないと思うな。」

ギルバートは集まったメンバーにそう言うと再び高子に顔を向けた。

「しかし・・・そうなると、今度は2012年の方がこっちよりどんどん早くなって、またどこかで逆転が起きる、ってことになるのかな? タカコ、君はどう思う。」

「う~ん、どうなのかしら・・」

「ちょっと待ってよ! あのさあ、それって今、重要なことなの?」

テーブルに両手をついて身を乗り出したクラウスがギルバートと高子の話に割って入った。

「今、一番大事なのは僕たちに残された時間は短いって事なんじゃないの?」

「言えてるっ! みんな、もうちょっと慌てた方がいい。」

椅子から中途半端に腰を浮かせた恭一がみんなを見回した。

「・・・うん、そうだね。急いだほうがいい。

一緒に働いてる仲間たちにも自分がいなくなる言い訳をしといた方がいいんじゃないか。

突然いなくなったら、みんなきっと心配するよ・・・」

ギルバートがボソッとつぶやいた。

恭一がギルバートの寂しそうな顔をのぞき込む。

「どうしたギル・・・そんな他人事みたいに?」

みんなの視線がギルバートに集中した。

「うん、いや・・・いつかみんなには言わなきゃ、って思ってたんだけど、なかなか言い出せなくて。実は僕、こっちにいるあいだに決心したことがあるんだ。」

カーテンをいっぱいに開けた窓からは衰弱した午後の光が差し込んでいた。

それでも、その光を眩しいと言うかのようにギルバートが目を細める。

そして口をつぐんだままテーブルに視線を落とした。

「いったいどうした。何を決心したんだ・・・?」

恭一が心配そうな表情でギルバートに話しを促した。

「うん・・・僕は・・・この時代に残ろうと思ってるんだ・・・」

「ああっ? なんだよギル! なんでそうなるの?」

裏返った声を出してクラウスがギルバートに詰め寄る。

「・・・放っておけない人がいるんだ。」

クラウスの視線から逃れるようにギルバートは再びテーブルに目を落とした。

「みんなも知ってるポールとデボラ・・・

僕はどうしても、あの二人を残して自分の時代には帰れない。」

ギルバートはそう言って静かに顔を上げた。

「考えてみて欲しい・・・あと三年もすれば第一次世界大戦が始まるんだ。

これから・・・戦争の世紀が始まる。

あの二人は高齢だし、子供もいない・・・。

僕はこの時代に残って二人を守ろうと思う。」

目を細めたままギルバートはみんなを見回すと、再びテーブルの一点を見つめた。

〝ギルは俺と同じことを考えていたんだ・・・俺もシモーヌやロジェたちのいるこの時代に残ろうと思ってた。

俺にだって守らなきゃいけない人間がいる。〟

それを口にしようと康之が顔を上げた時、隣に座っていたシモーヌがいきなり立ち上がった。

「私、きっとポールさんもデボラさんも、それ、喜ばないと思う!」

驚いてシモーヌを見上げた康之の目に飛び込んできたのは、ギルバートを睨み付けるようにして見据えるシモーヌの姿だった。

「ギルバートさんがポールさんとデモラさんを愛しているのなら、きっと二人も同じように、いえ、それ以上にギルバートさんを愛しているはずです。

心の底から愛している人が自分の・・・自分たちのために危険を冒すのを喜ぶ人間はいません。

戦争って、人と人とが殺し合うことなんでしょう?

そんなことが始まろうとしている今の時代にギルバートさんが残るって言ったら・・・

しかも自分たちを守るために残るって言ったら、二人はきっと悲しい思いをするはずです。」

「・・・それなら、僕と一緒に僕の時代に来てくれるように頼んで・・・」

シモーヌがギルバートの言葉を遮るように言葉を継ぐ。

「そっちの方が難しいと思います。

彼らはこの時代に生まれて、この時代を生きてきたんです。

いくら戦争が始まるっていっても、そう簡単に自分の生きてきた時代を捨てはしないでしょう。」

シモーヌはそう言うと、ふっと表情を緩めた。

「・・・二人はたぶん、こう言うんじゃないかしら・・・

気持ちだけでいいよ。ありがとう、ギル、って。

そして・・・自分の時代で自分の人生を一生懸命に生きなさい、って。」

言い終えても、シモーヌはギルバートから視線を離さない。

その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

今の言葉がギルバートだけに向けられたものではなく、自分に対するメッセージでもあるのではないか・・・それに気付いた康之の顔から一瞬で血の気が引いた。

だとすれば、康之がギルバートと同じように、この時代に残ると言ってもシモーヌはそれを歓迎しないだろう。

いや、それどころか康之の申し出を拒否して、康之をなんとしてでも、もとの時代に戻らせようとするはずだ。

何故だろうと康之は考えた。

その答えがシモーヌの言葉の中にあることに気が付いて、康之は心の底から戦争を憎んだ。

ギルバートが俯いている。身体も少し震えているようだ。

きっと涙を堪えているのだろうと康之は思った。

そんなギルバートにシモーヌが言葉をかける。

「ギルバートさん・・・ありがとう。」

その言葉にギルバートがふっと顔を上げる。

目に溜まっていた涙が一筋、ギルバートの頬を伝った。

「この時代は私たちの時代です。どんなことがあっても逃げるわけにはいかない。

・・・きっとギルバートさんは知っているんだろうと思う。

これから始まる戦争で、ここが・・・このパリが、そしてフランスがどうなってしまうのかを・・・。

正直に言うと私だって怖い・・・すごく怖いです。

でも、その歴史があるから、私が行ってきた2012年の、あのパリがあるんでしょう?

2012年のパリは綺麗なところだなって、私、思った。

私が・・・ロランとジュリアンが、そしてセルジュが見てきたパリの為なら・・・

私はどんなことでもできます。」

きつく結んだ口元を緩めて、シモーヌがギルバートにニコッと笑顔を向けた。

「・・・そうだね・・・シモーヌの言う通りかもしれない。

あの二人なら、きっと今シモーヌが言った通りのことを言うんだろうな・・・」

涙を拭いもせずに顔を上げたギルバートがシモーヌに何度も頷いた。



通りの反対側からホテルの最上階を見上げて、徹は諦めたように何度も首を振った。

〝一週間って言っただろうに・・・〟

腕に固定した一本の松葉杖で身体を支え、足を引きずるようにして、徹は最上階がよく見通せる路地の向かいに移動した。

工事用のシートで覆われたその部分は、徹が覚えている景観に比べると明らかに低くなっているようだった。

〝もう取り壊されちまったのか・・・?〟

最上階があった部分を見つめていた徹がため息をついて足元に視線を落とす。

「一週間って言っただろうが、あのバカ野郎!」

低く唸るような声でそうつぶやくと、徹は最上階のあった部分を睨みつけた。

康之たちが1910年に旅立ってから既に十日が経っていた。

ある事ない事、作り話をでっちあげて、徹はホテルのオヤジに最上階の取り壊しを後回しにするように頼んでいた。

しかし、最後の手段であった泣き落しの効果もなく、今朝からついに取り壊しの作業が始まった。

もう一度ため息を舗道に落としてホテルに背を向けた徹の耳に作業員たちの慌てた声が届いた。


康之はその言葉を言い終えると、息を詰めてじっとシモーヌを見つめた。

どうしても確かめなければならないことがあったのだ。

それはシモーヌがギルバートに言った言葉が、そのまま自分に向けられたものなのかどうかということであった。

逃げるように部屋を出たシモーヌを追って康之が廊下に飛び出す。

シモーヌの腕をとって彼女の正面に廻ると、康之はもう一度シモーヌのいるこの時代に残りたいのだと訴えた。

下を向いたまま康之の話を聞いていたシモーヌが唇を噛んで顔を上げる。

康之はシモーヌの気持ちを探るように、じっとその目をのぞき込んだ。

康之の胸に顔を埋めてひとしきり泣いた後、シモーヌがそっと康之を見上げる。

「愛してる・・・いつまでも」

泣き腫らした目で康之を見つめ、小さな声でそう告げると、シモーヌは身を翻して駆け出した。

追いかけようとした康之を高子が止める。

二人を追って部屋から出てきた高子は康之の腕をつかんで離さなかった。

振り向いた康之が高子を睨みつけると、高子は康之を見つめて静かに首を横に振った。

高子の目は〝シモーヌの気持ち、分かってあげて〟と康之に訴えていた。


ホテルを振り返った徹が目をこらすと、舗道に飛び出してきた作業員の一人が現場監督らしい男になにかをまくし立てている様子が目に入った。

その男は大げさな身振りで頭を抱えると、両手を振り回し、そして右手でホテルの最上階を指差している。

〝六階に人が降ってきた〟という男の言葉に、徹は愕然としてホテルの上を見上げた。

足を引きずりながらホテルに近づくと、強引に立ち入り禁止のテープをくぐる。

ホテルに入り込もうとする徹と、それを押しとどめようとする作業員たちが揉み合っていると、ガッシリとした体格の男が女性を〝お姫様抱っこ〟して階段を降りて来るのが見えた。二人とも埃だらけで作業員に支えられている。男の薄くなった頭頂部も埃まみれだ。

組み合ったまま徹と作業員たちが動きを止めて見つめていると、二人に続いて東洋人らしい二人の男が一人の西洋人を両側から支えて出てくるのが目に入った。

男の一人が康之であることに気付いて、徹は作業員たちの制止を振り切った。

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