ジュリアンとセルジュを連れ戻せ
階段を上りきった廊下の端でそれまでぼんやりと目に映っていた周囲の風景が鮮明さを増してくる。
二人並んでじっとその様を見つめていた康之とシモーヌは上階からの派手な音を耳にして揃って首をすくめた。
「なっ、なんだ、いまの・・・?」
そして恐る恐る階段の上を見上げた。
「シモーヌお姉ちゃん!」
徹が倒れている踊り場から下に伸びる階段に立つシモーヌを目にしてジュリアンが歓声を上げた。
「どこ行ってたのさ・・・心配してたんだよ。」
「ああ、ジュリアン。ごめんね。それより・・・いったい何があったの?」
ジュリアンとセルジュを見上げるシモーヌの隣りで康之がハッと息を呑んだ。
「あれ?〈アンリの店〉のギャルソン・・・」
セルジュが康之に気付いて目を見開いた。
「あっ、カス・クルットの日本人・・・」
徹の発したうめき声に気付いたシモーヌが大声を張り上げた。
「やだっ、トオルっ!」
シモーヌの視線を追った康之の目に映ったのは、自分の目と鼻の先の踊り場で倒れている徹の姿であった。
「えっ?・・・お、岡本っ。お前、いったい・・・」
「あっ、いかん。大丈夫かトオルっ!」
セルジュの叫び声を合図にジュリアンが階段を駆け下りる。
その時、踊り場の上に設えた棚で不安定に揺れる鉢植えを目にしたジュリアンが大声をあげた。
クロッカスの鉢植えであった。
その鉢植えは徹が壁に激突した衝撃でゆらゆらと搖れていた。
康之が鉢植えを指さして徹に叫ぶ。
「岡本、上だ、上っ!」
康之の姿を目にして徹がフッと笑みを浮かべたその瞬間、鉢植えの揺れが限界に達した。
スローモーションでも見ているようにゆっくりと落下したその鉢植えは狙いすましたように徹の頭を直撃した。
身体中を激しくぶつけながら、階段の踊り場まで滑り落ちた徹は壁に頭からぶつかってようやく動きを止めた。
しばらくのあいだ、目が回って方向感覚が掴めない。
頭を振って辺りを見回すと、階段の上で自分を見下ろすジュリアンとセルジュの姿がぼんやりと目に映った。
心配そうに自分を見つめていた二人が自分のいる踊り場の下に目を向けるのを見て、徹はうめきながら頭を起して二人の視線を追った。
辺りが二重三重にだぶって見える。
目瞬きを繰り返すうちに徹の目はようやくフォーカスを取り戻した。
〝ああ、浅川だ・・・おおっ、シモーヌ、やっぱり1910年に戻ってたんだ。
うまくいったじゃねえか・・・タイムスリップ成功。〟
そう確信した徹の耳に康之の叫び声が聞こえた
〝えっ、なに・・・?〟
次の瞬間、頭に重たい衝撃を受けて徹は失神した。
「おいっ、岡本・・・?」
遠くで浅川の声が聞こえる。
意識が戻りかけていた徹は康之に呼びかけられて静かに瞼を開いた。
天井が斜めに傾いている。
そこはホテルの自分の部屋とよく似ているようだった。
顔を横に向けると、ジュリアンとシモーヌ、そして康之の姿が目に入った。
三人のすぐ後ろにはセルジュの心配そうな顔も見える。
「大丈夫か岡本・・・」
徹が握った右手を康之に突き出し、親指を立ててニッコリと微笑んだ。
「遅えよ浅川っ! 何やってたんだお前。
まったく命がけだぜ。もう身体ボロボロ・・・」
「ああ、止められても言うこと聞かなかったんだってな。」
「だって他に手が無いだろっ?
二人は俺が連れて来たようなもんじゃねえか。
お前、少しは感謝しろ!」
それを聞いた康之が気の毒そうな顔をして徹に言った。
「・・・いや、それがな・・・すげえ言いにくいんだけど・・・
まだ連れて帰ってないんだよ。」
「えっ? だって・・・現にこうして・・・」
同意を求めるようにジュリアンとセルジュに目を向けた徹の肩に康之がそっと手を置く。
「いや、俺たちが来たんだよ。」
「ああっ? お前たちが来た・・・?」
口元を引きつらせる徹にシモーヌがニッコリと笑って追い打ちをかける。
「そう、ここは2012年。私とヤンがこっちに来たのよ。」
力なく視線を天井に泳がせた徹は虚しくベッドに沈んだ。
「なにーっ・・・1810年に行って来た? ううっ!」
捻挫した左足首をかばってベッドに座っていた徹が突然立ち上がろうとしてうめき声を上げた。
「今更そんなに驚くことないだろう。たったの二百年前だぜ。」
「たったの、って・・・。お前ね、時代感覚麻痺してんじゃねえの?」
「あっ・・・まあ、それは多少あるかもな。
実はな、俺、そこでシモーヌのご先祖様のやっかいになってたんだ。
そしたら、そこにシモーヌがやって来てな。」
「はあ・・・ シモーヌのご先祖様?」
「しかし、お前がタイムスリップしちまったとは夢にも思わなかったぜ。」
「それは俺だってそうさ。
向こうに行って、そこが1909年だって分かった時、正直、目の前が真っ暗になった。」
「・・・まあ、そうだろうな。」
シモーヌたち三人が夕食を調達に出た後、二人で部屋に残った康之はこれまでに自分が経験したことを徹に話して聞かせた。
頭を包帯でグルグル巻きにされ、足を添え木で固定された徹がベッドから康之を見上げる。
「それで、お前、彼女たちをもとの時代に連れて帰れる公算はあるんだろうな?」
康之は徹に頷いて一八一〇年から持って来た袋を取り出した。
「へえー。その砂がな・・・でもお前、パワーが落ちてるって・・・?」
「ああ、そうらしいんだ。
試してみないとなんとも言えないけど、四人一緒に行けるかどうか・・・
一人ずつってことになると、それなりに時間かかっちまう・・・」
「・・・まあ、そうだろうな・・・んっ、
あっ、いけねっ! マズイぞ、時間かかるのマズいっ。」
徹が慌てた様子でベッドに身を起こした。
「な、なんだ、いったいどうした? なんで時間かかるとまずいの?」
「す、すまん。俺、言われてたんだ。お前がいなくなって、ここに移ってきた時・・・」
「だ・か・ら・・・誰に、何を言われたっての?」
康之に問い詰められて、徹がオロオロしながら話しを始めた。
「ここのホテルな・・・近々改装工事が入るんだ。
それで、そん時、この最上階は撤去される予定なんだと・・・」
「なっ、なんで・・・?」
「ここの最上階に泊まってて行方不明になった人間、何人いるか知ってるか・・・
お前で四人目だったんだぞ。
それで、状況が見えるまで最上階は人に貸さないでくれって警察に言われたんだと。
初めのうちは突っぱねてたらしいんだ。
そんなこと言われても、こっちは商売だって言ってな・・・
んで、そうこうするうちに、もう一人いなくなった。
それがお前の幼馴染の高子さんだったわけだけど・・・。
営業停止にするぞって脅かれたらしいんだよ、警察にな。
それで、仕方ないんで腹くくったって、ホテルのオヤジが言ってた。
なんでも、いい機会だから全館まとめて改装工事入れて、ゲンが悪んで最上階は取り壊すつもりだって・・・。
そんで聞かれたんだ俺。いつまで滞在するんだってな・・・
だけど、そんなのまだ分かんないからスケジュールが決まったら教えてくれって言っておいたのよ。
そしたら昨日だか一昨日だか、ジュリアンと二人で晩飯食って帰ってきた時にオヤジにつかまってな・・・。
一週間後に工事入るから、よろしくって・・・
急がないとまずいぞ・・・ここが工事に入る前に手を打たないと。」
「ジュリアンっ! お前、どこに行ってたんだ!
おおーっ、セルジュ、いったい・・・二人とも、ずいぶん探したんだぞ・・・」
ジュリアンの父親、ヴィクトルが叫び声を上げて二人に駆け寄る。
ヴィクトルはジュリアンとセルジュを二人まとめて抱きしめると、神への感謝の言葉を何度も口にした。
ロジェから康之とシモーヌの話を聞いたアンリたちは二人がジュリアンを探しに行ったらしい事を伝えるため、揃ってブノア家を訪ねていた。
客間に通されたアンリたちがヴィクトルに話を切り出した時、使用人の一人が飛び込んできた。
「旦那様、ジュリアン坊ちゃんが戻られました! セルジュも一緒です。」
血相を変えた使用人が悲鳴のような声を上げる。
客間に居合わせた全員が一斉に腰を浮かせた。
高子に付き添われて客間に入ってきたソフィーがジュリアンの姿を見て茫然と立ちつくす。
ヴィクトルから康之たちがジュリアンを連れて帰ったことを聞いたソフィーに抱きつかれて、康之は危うく窒息しかけた。
ロジェは四人が部屋に入って来るなり、康之の背に隠れるようにして立っているシモーヌに飛びついた。
「旦那様、ご心配おかけしました。事の次第は後ほどご説明させていただきます。」
両手をヴィクトルに握られたセルジュがそう言ってヴィクトルを見つめ返す。
そして、そっと康之に目を向けた。
それに気付いたジュリアンが康之に笑顔で頷く。
康之はセルジュが何か良い言い訳を準備してくれたのだろうと考えて、ほっと胸をなで下ろした。
「岡本、お前一人で大丈夫か?」
「なに言ってんだお前、俺のこと心配してる場合じゃねえだろ。
こんな捻挫くらい問題ねえよ。」
康之の考えを察して徹が小さく頷いた。
「四人で一気に行けるようだったら、そのまま一旦向こうに行ってくるよ。
向こうにいる仲間に岡本が言ってたこと・・・
猶予は一週間だってこと伝えてすぐに戻って来るから。」
二人の会話をそばで聞いていたシモーヌがベッドに駆け寄る。
そして徹の頭を胸に抱いて口づけをすると〝ありがとう〟と小さくつぶやいた。
「約束守れなくてごめん・・・お兄ちゃんが怪我してなかったら、一緒に向こうに行って、いろんなとこ案内してあげられたのに・・・。」
ジュリアンが両手で徹の手を握りしめ、涙をこらえるかのように下を向いた。
「気にすんな。少しでも歩けるようになって、まだ時間がありそうだったら俺もそっちに行くよ。
ジュリアン、約束はその時でいい。」
ジュリアンにそう答えると、徹は微笑みを浮かべてシモーヌとセルジュに頷いて見せた。
ジャンから受け取った砂は四人を1910年に飛ばすのに充分な力を持っていた。




