8. 失態
「じょ……冗談じゃないわ! 来るなっ」
言うなり全速力で駆け出した。
「おいっ、待てっ!」
誰が待つもんですか、とつぶやきつつ、広い通りを走り抜け、あとは狭い路地を縫うように行く。
橋の下まで来て、ようやく足を止めた。
辺りを見回したが、やはり寝転がっている浮浪者以外に歩いている者はいない。
それにしても、ディエゴは完全にまいたようだが、ベルナデットはちゃんといるのだろうか?
「まあいいか。いてもいなくても同じだし」
そのときルシータの右肩を誰かが叩いた。
驚いて振り返ると、そこにはなんと、先ほどの酒場で最初に声をかけてきた若い男が立っているではないか。
「あんた、足も速いなあ。けどオレをまくのは無理だったようだぜ」
「何の用?」
剣の柄に手をやると、男は慌てて言った。
「待てよ、さっきのダークキングダムの兵隊に会わせてやる」
「何ですって?!」
ダークキングダムの兵士よりも、先に『金の車輪』『銀の車輪』の二人を捜さなくては――そう思いつつ、あの赤毛の男に会いたい気持ちは強かった。
あえて、これが敵を探るチャンスかもしれないと考えたかった。
「オレの名は、ブラツキー。早足のブラツキーと呼ばれてる」
ブラツキーは握手しようと手を差し出したが、ルシータは握らなかった。素知らぬ振りをし、
「この街にはダークキングダムの兵士がうろついてるの? ダークキングダムって、そんなに近い国だったかしら」
すると彼は首をすくめ、
「いや……ダークキングダムは、もっとずっと北だ。普通の人間は誰も行ったことがないほど、な。
そもそもあの王国自体、伝説のようなものだ。あそこの民は、ほとんど王国からは出ない、いや出られない……。
けどここ数ヶ月、頻繁にあの国の兵隊を見るようになった。やつら、あちこちの村や町に行ってるみたいだぜ。
オレはやつらがこの街でたむろしている場所を知っているんだ」
ルシータは爪を噛んで考えた。
これは光の封印が解かれたことと関係しているのだろうか。
たしかバールも言っていた、光の力が戻りつつあることを敵も承知だと。
敵は敵で、光の勢力を探ろうとしているのかもしれない。
ブラツキーが案内してくれたのは、鍛冶屋の小屋だった。
壊れた剣や、古びた車輪などが散乱している。
「ここで待ってりゃいい。やつら、ここを根城にしてるんだ。きっとあの赤毛の兵隊も戻ってくる」
結局ルシータは、鍛冶屋の向かいの路地に身を潜め、待つことにした。
ブラツキーが少しの間付き合うと言って、どこからかテキーラを持ってきたのを二人で飲んだ。
日の当たらない路地にじっとしている身にはありがたいことだ。
――だがこれが、とんだ落とし穴だったとは。
いつ意識を失ったか、わからない。
気がつけば、ルシータを呼ぶ心配そうなベルナデットの顔があった。
ちゃんと色がある。
「ベルナデット……?」
「ルシータ、大丈夫?」
目の前ではディエゴが、黒装束の兵士たちを相手に派手に暴れている。
ディエゴの雄叫びに混じって、剣が風を切る音と、肉を切裂く音が交互に唸りを上げていた。
ルシータ自身は手足や胴を縛られ、鍛冶屋の小屋の土間に転がされていたのである。
隣には、ブラツキーが光の聖剣を握り締めたまま、長々と伸びていた。
兵士たちをすべて倒すと、ディエゴは「大丈夫か」と聞きながら、ルシータの縄を切ってくれた。
そして、
「女剣士ティアナともあろう者が、だらしねぇじゃないか。油断したな」
怒っているのか皮肉っているのかわからないような言い方をした。
それから隣のブラツキーに蹴りを入れると、
「そいつがおまえを騙したんだぜ。おまえを闇の兵士に売ろうとしやがったんだ」
吐き捨てるように言った。
まだ頭がぼうっとしていたが、ルシータはできるだけ機敏に身を起こすと、ブラツキーから光の聖剣を取り戻して自分の腰に佩き、ディエゴがブラツキーを縛り上げるのを漠然と見ていた。
「こいつが、わたしを売ろうとしたって?」
「本人に聞いてみな」
ブラツキーの胸元を鷲掴み、二、三発平手を食わせる。
と、ブラツキーは気がついて、めそめそと泣き出した。
「許してくれえ……ダークキングダムに興味を持つ人間を密告すれば、いい金になるんだ。本当に悪かったよ……」
がんがんする頭を押さえつつ、ルシータは聞く。
「剣をどうするつもりだったの?」
「あいつら、その剣にだけは触れられないって……だからオレがもらったんだ。宝石がいっぱいついてるし……売りさばこうと思ってさ」