7. 街(グラナダル)の男
『ルシータ、気をつけて――結構嫌な感じ……』
「わかってる」
「よお、おネエちゃん。勇ましい格好をしてるじゃないか。おれたちと飲むか?」
こういう場合は無視に限る。
店の女が側に来て、男たちの冷やかしをかわしながらルシータをテーブル席に案内した。
「あんた何にする? ちょうど鹿の肉が焼けたところだよ」
「いえ――パンと、葡萄酒を一杯」
一人の男がルシータのテーブルにやってきて、赤い顔でにやつきながら席に着いた。
「なあ、オレ、あんたを知ってるぜ。女剣士ティアナだろう? あんたには儲けさせてもらったよ。礼に一杯おごるぜ」
ルシータは目だけを上げて男を見る。
眉毛が濃く、髭は少し生やしているが、瞳の大きなまだ若い男だ。
見覚えは、まったくない。
だが次に聞こえた声には聞き覚えがあった。
「ティアナだと? こりゃまた妙なところで会うじゃねぇか」
「ディエゴ!」
それは死神ディエゴ、サイラスの宿敵だった剣闘士だった。
サイラスは、ディエゴとの対戦で傷を負い、それが元で亡くなったのだ。
「おれの街に何しに来た?」
そのときルシータは、サイラスが「北は不吉だ」と言っていた意味がわかったと思った。
ここは、死神の住む街だったのだ。
ルシータは、椅子を後へ倒す勢いで立ち上がりマントをさばくと、しなやかに抜いた剣先をぴたりとディエゴに向けた。
当然その場は騒然となる。
誰もが女剣士の殺気を感じて、半身を引いていた。
「騒がないで! わたしもこの男もれっきとした剣闘士よ! さあ、ディエゴ。わたしと勝負するのね。逃げは許さない」
ひとりディエゴだけは、愉快そうに髭の下から白い歯を見せている。
「サイラスの敵討ちか。よせよ、怪我じゃすまねぇぜ」
革の指なし手袋をした手を目の前でひらひらと振った。
「――覚悟!」
そのとき、剣を振り下ろそうとしたルシータの腕を、ぐっとつかんだ男がいた。
ルシータとて剣士だ。
まさに振り下ろそうとしていた腕の力は相当なはず。
だが男の手はそれをがっちりとつかみ、止めたのである。
「くっ……!」
つかまれた腕は微動だにしない。
ルシータは相手をぎっと睨みつけ――
だがその目を見て魔力にかかったように、闘志は消えた。
「やめるんだ」 相手は静かに言った、「ここは闘技場ではない」
声と同じく、彼は容姿も繊細だった。
肩章つきの黒の衣装に身を包み、彫像を思わせる整った顔を、絹糸のごとき見事な赤毛がふちどっている。
長い睫毛の陰影が際立たせるのは、深い悲しみ――
ルシータは一瞬、それを感じた。
「ほう、これはこれは。ダークキングダムの兵隊さんじゃねぇか。ようこそ、こんなしけた酒場へ」
ディエゴが言うと、店の女が舌打ちし、「しけた、は余計だよ! 死神ディエゴ!」と彼に向かって指を突き出す。
「ダークキングダムの兵士――?」
背後でベルナデットが悲鳴を上げたのがわかった。
彼はルシータの腕を放すと、また元のテーブルへと戻り、何事もなかったかのように杯を口に運んだ。
しばらくの間、店中が静まり返る。
誰も、彼がそこにいたことを知らなかったようだ。
「ディエゴ、勝負はお預けよ。首を洗って待ってなさい」
『ルシータ、だめだったら。ルシータ!』
妖精が止めるのも聞かず、ルシータは兵士の側へ行こうとする。
が、強い力で肩をつかまれた。
「邪魔しない約束でしょ、ベルナデット!」
「誰だって?」
肩をつかんだのはディエゴだった。
半透明のベルナデットはその後ろではらはらと見ている。
「おい、おれはおまえが気に入ったぜ。どうだ? 一緒に飲みなおさなねぇか?」
ルシータは思い切り睨みつけると、ディエゴの手を払った。
「気持ちはわかる。だがサイラスだって覚悟はしてたはずだ、剣闘士の宿命だってことはな」
「わかってるわ」
イライラと、ルシータは言った。
「わたしだって覚悟はしてる。だけど、あんたがサイラスを殺したってことにかわりはない。だからわたしがおまえを殺すわ」
「生憎だが、おれは女との試合はしない。『死神ディエゴ』の名がすたるからな」
「じゃあ名を変えるといい、『臆病者ディエゴ』ってね」
捨てゼリフを吐いてブライトキングダムの戦士の方を向いたルシータは、そこにすでに彼の姿がないのを見た。
「見失ったわ。あんたのせいよ!」
追うように酒場を飛び出したが、すでに兵士の影はない。
『だめぇ、ルシータ! 闇の男なんか追っちゃあ!』
くるりと半透明のベルナデットを振り向くと、ルシータは声を荒げた。
「なぜ闇の気配に気づかなかったの? 全然役に立たないじゃない!」
「おい、さっきから誰に話してるんだ?」
見ると、にやにやとディエゴが扉からのぞいている。
「おまえがどこに行くか知らんが、いい暇つぶしになりそうだ――おれもついていくぜ」