45. 契約
その答えには、ハラートもルシータも驚きを隠せなかった。
「なぜ……」
ハラートも言いよどみ、その先の言葉が出ない。
アリーナはふふ……と投げやりに笑うと、長い睫毛を伏せて自身の腹を見た。
「サーグと契約したの。ナビルは毎夜、エイベリンの亡霊を抱いているわ、わたしだと思って。……本当はサーグが死界から呼び戻した妻だとも知らずに。
サーグはわたしの体内に闇の魔物を入れたの――そう、これは魔物。人間の子なんかじゃない。
そしてこの子が生まれたとき、サーグを後見人にするという条件を、わたしは受け入れたのよ」
「な……! それは実質、サーグがこの国の実権を握るということではないか!」
するとアリーナはその黒い瞳に涙をいっぱいあふれさせた。
「どうでもよかったのよ! わたしには光も闇も、どうだっていい――
ハラート、おまえがいない世界なんて!」
その瞬間、アリーナがハラートに飛びかかり、長い袖に隠れて見えなかった短剣を振り上げた。
白い指に、薔薇を彫ったルビーの指輪が光る。
だがハラートは王女の手からそれをもぎ取ると、彼女を抱き寄せ、力強く抱き締めた。
アリーナはハラートの胸に顔を埋め、泣いた。
「……ハラート、おまえが憎いわ。おまえを、殺してやろうと思ったのに」
するとハラートは、アリーナの頭に頬を寄せつつ囁く。
「アリーナ、わたしは君と共に生きたい、光と闇のある世界で」
『ううう……よかったわね、ハラート。幸せになって』
ルシータの左肩からベルナデットの声がして、ルシータは半ばあきれたように言った。
「あんた、いたの? でもまだハッピー・エンドってわけにはいかない……ダーク王を説得しなきゃ」
そのとき、部屋に風が吹き込んできたようだった。
天蓋が揺れている。
それを感じてぎくりと身をこわばらせ、アリーナは押し殺した声で言った。
「わたしから離れて、ハラート……もう遅いの。手遅れよ」
「アリーナ?」
「そうだ。王女から離れてもらおう」
いつのまにか、魔術師サーグが黒い影のように立ち、三人を見ていた。
そしていつもの狡猾そうな声で、楽しげに言った。
「ルシータ、また会ったな。今日のわたしは幻ではないぞ。さあ、かかってくるがいい」
ルシータは露骨に顔をしかめ、
「つまらない挑発にはもう乗らないわよ。それより、あんたの企みはすべて読めたわ。
本当の裏切り者が誰かということもね……。
さっき、魔物たちを使ってナビル将軍たちを殺したのも、あんたでしょう?
子供が生まれたら、彼は邪魔だものね」
「それはアリーナ王女との契約の一部でもある」
サーグは口の端を上げた。
「つまり正確には、わたしとアリーナ王女がしくんだことなのだ。そして契約によれば、ここでハラートは死ぬことになる……」
「やめて!」
アリーナが声を上げ、ハラートの前に立って両手を広げた。
「やめて、サーグ。子供は生むわ。お父さまのあと、王位を継がせればいい。だからわたしとハラートを、もう放っておいて」
「おやおや、何を言い出すかと思えば」
まるで小さな子をあやすように、サーグは白い瞳を大きく開き、優しい口調になる。
「あなたには王母としていてもらわねば。――さあ、そこをどいて」
あの不気味な魔物の声と共に、三人を取り囲む部屋の壁にまるでしみが浮き出るようにして、黒い影が広がっていった。
その影がたくさんの鋭い爪を持った手のようになってあちこちから飛び出してくる。
ハラートはとっさにアリーナを脇にやり、光の剣を抜いた。
もちろんルシータもすでに抜いている。
だが魔物たちの狙いは、ハラートひとりのようだった。
魔物はハラートを頭から飲み込もうと狙っているのだ。いや、足元からか。
「ハラート、逃げてっ!」
アリーナの悲鳴が響いた。