36. 魔眼の囚人
少しだけ、ハラートの目に正気がもどったようだった。
「わかっている」
その一言だけを、はっきりと発する。
だがレギオンは否定した。
「わかっている? いや、おれにはそうは見えない。――無理だ。今のおまえに闇を討てるはずがない」
「レギオン、わたしは……」
「無理だ!」
とうとうレギオンは爆発し、ハラートを怒鳴りつけた。
「討てやしない! ――なぜだ。なぜそんな生半可な気持ちでついてきた? おまえに本当にダーク王が討てるのか? 闇の王女を殺せるのか?」
体中をドロドロしたマグマが一気に伝い落ち、メッキをあっさりはがしてゆく。
ハラートに対し、レギオンの心はどす黒い悪意に渦巻いていった。
「闇の中で王女の幻を見て決心が揺らいだか、懐かしさで一杯か?!
答えろ、ハラート。おまえの心は今、どっちにある。闇か、光か?!」
「動揺したのは認める。だがそれは、光のために、君やルシータと共に戦おうというわたしの思いとは関係ない。
わたしは『銀の車輪』だ。君と同じ、光の戦士だ……!」
「は! おれは裏切り者と一緒にされたくはないぜ! おまえは裏切り者だ。ダークキングダムに忠誠を誓っておきながら、あっさり裏切った。
――そうだ、またおれたちを裏切らないという保証がどこにある?!」
まるで斬りかかってきそうなレギオンの勢いに、ハラートはあきらめたか、
「君はわたしを信じてはくれないんだな」
とぽつりと言った。
「ああ」
もう感情を隠そうともせず、レギオンは後ろを向いた。
「ここからはひとりで行く。ついてくるな。だが、そうだな――おまえがその剣で闇の王女を斬ることができたら、そのときはおまえを信じてやるぜ」
言い放ち、レギオンはひとり歩き出した。
だがいくらも行かないうち、ハラートの悲しみの矢が背中に突き刺さり、レギオンは結局自虐したのを知った。
感情を解放したことで、心は少しも楽にはならなかった。
むしろマグマがその地表にもっと醜い跡を残すように、レギオンの心に残ったのは、疑惑、不満、怒りといった暗い感情だけだった。
それはもちろん、彼自身の過去からも噴き上がってきた。
「真実、誠意、偽りのない愛――そんなものがどこにある?
誰もが簡単に裏切ってゆく世の中で、どうやったらそれが見つかるのだ。
約束も誓いも、すべて無意味だ。すべてむなしい――信じる方が馬鹿なのか?
それなら愛なと゛口にしなけりゃいい……あのときの思いは何だったのだ。
愛しているという一言を、おれは信じたのに」
一足ごとに闇が覆い被さってくるような気がし、事実、体は重くなっていく。
もう自分がどこにいるのかわからない、何をするためにこんなところにいるのかも。
レギオンはついに膝をつき、あまりの息苦しさにうめき始めた。
頭の中がぐるぐると回り、視界にはもう何も入らない。
そのとき、レギオンは強烈な視線を感じ、顔を上げた。
――目。
大きな二つの目だ。
それは黒い鉄仮面からのぞく、血走った恐ろしい眼であった。
『――レギオンよ……』
「うっ!」
その轟くような声はレギオンの能をえぐり、剣を貫くような痛みを彼に与えた。
『――見つけたぞ、『金の車輪』。おまえの心の闇が、わたしを引き寄せたのだ。
おまえの心は闇そのもの。不安と、怒りと、疑念が渦巻いているな……。
さあ、思い出せ、思い出すのだ。おまえを裏切った者は誰だ。おまえから幸せを奪った者は誰だったのだ』
レギオンの意識が過去へとさかのぼる。
そこには、命をかけてブライト王に仕える光の戦士である自分がいた。
それを共に見ているかのように、ダーク王の声が響く。
『おまえは忠実にやつに仕えた。だがその報酬は何だったのだ……『金の車輪』よ、思い出せ』
レギオンは頭を抱えたまま、搾り出すようにうめいた。
「略奪……だ。王はおれからアルタミラを奪った」
『そして女はおまえを裏切った』
レギオンの中で、笑顔のアルタミラが、まるで鏡を割ったように音を立てて粉々に砕け散った。
「なぜだ、アルタミラ! おれだけを愛していると言ったのに! ――王妃の地位に目がくらんだ、嘘つきめ!」
低く、残酷に、ダーク王が笑ったようだった。
『なぜ裏切り者たちのために戦う? おまえを苦しめ嘲笑った者たちを、今度はおまえが苦しめてやろうとは思わぬか。
――我が戦士になれ。闇の戦士となって、やつらを見返すのだ。
復讐をしよう。わたしが力を貸してやる。さあ、ここへ来るがいい、レギオン』