24. 愛しい面影
すっかり打ちひしがれたアリーナが自室までもどってくると、扉の前に魔術師サーグが薄い笑いを浮かべて立っていた。
アリーナは最大の努力をして、なお勝気を装うと、顔を上げ、サーグを無視した。
「アリーナ様。将軍との結婚がお嫌なのではありませんか?」
魔術師が言う。
「いいえ」
言葉は意外にも心を裏切って、アリーナの口をついて出た。
「それが王女の務めなら、わたしは務めを果たします」
サーグはまたにっと笑い、
「なかなか立派なお心がけと存じますが――もしわたしと契約を結んでいただけるなら、将軍の子を産まずともよいようにしてさしあげましょう」
そしてアリーナの手を取り、口付ける。
その目が男の欲望に燃えているのを見たとき、アリーナの怒りと悲しみは頂点に達した。
「お父さまを裏切って、悪魔と契約を結ぶくらいなら、死んだ方がましよ!」
部屋の扉を乱暴に閉めたあと、アリーナはベッドに伏せて泣いた。
泣いて、泣いて……その間、浮かぶのは愛しいハラートの顔だけだ。
ここから逃げ出したい。
まるですべてが敵にまわってしまったかのような、この城から。
「ハラート、助けにきて、ハラート……わたしを守って」
そのときアリーナは、たったひとりの味方ともいえる乳母を思い出し、彼女に相談しようと思った。
侍女のいる居間に続く部屋の扉を開け、大声で命じた。
「ばあやを呼んでちょうだい、早く!」
緊迫したアリーナの様子に飛んできた乳母は、アリーナから事の顛末を聞くなり、
「おかわいそうな、おひいさま!」
と泣き崩れ、しばらく慎重に考えていたが、「やはり王様に考えなおしていただかなくては」と言い、部屋を出ていった。
翌日、少しの希望に切ない思いで目覚めたアリーナは、賢者のひとりがベッドの横に立っているのを見て飛び起きた。
いつもはもちろん、乳母や侍女たちがアリーナの目覚めを手伝ってくれるのに、これはどういうことだろう……。
恐ろしい予感は的中した。
黒いマントをすっぽり被った不吉そのものの賢者は、がさつく声でアリーナに告げたのだ。
乳母は昨夜、嘆願したその場で王の怒りの炎のために焼け死に、アリーナ付きの侍女たちは、全員ただちに森に追放されたと。
アリーナの悲鳴が部屋中に響き渡った。
気を失ったアリーナが目覚めたとき、今度はその側にサーグの姿があった。
心臓の鼓動が早くなるばかりで、声が出ない。
全身に汗がにじみ出るのがわかった。
「王女の務めを果たすと、はっきりおっしゃったわりには、お粗末な悪あがきでしたな」
魔術師は、隣のかつての侍女たちの控えの間を指さし、
「これから婚儀までの間、わたしに隣の間でアリーナ様を監視せよとの王からのご命令です。何なりと、お申し付けください」
サーグの顔を見ることができなかった。
アリーナの目に悔し涙が浮かび、それはこめかみを伝って流れた。
侍女たちは、瘴気に満ちた森を無事抜けられただろうか。
恐らく誰一人助かってはいまい。
五体満足で追放されたとは思いがたいからだ。
父は裏切りには容赦ない。
母の裏切りのせいで。
父を裏切った母。
そして、父と国と自分を裏切った、ハラート……。
目覚めてからずっと、母の形見であるルビーで作られた薔薇の指輪を手の中で転がし、考え続けていたアリーナは、ついに瞳を上げた。
まだ薄暗くはあったけれど、彼女にはわかったのだ、再び朝がきたと。
漆黒の中にきらめきを宿した瞳は、王女としての運命を受け入れる決意をしていた。
今、その瞳からひとすじの流れが伝う。
(――ハラート! おまえのせいよ!)
一週間後、アリーナとナビル将軍の婚礼が、闇の神殿でおごそかに執り行われた。