あの日の太閤殿下への恩返し
太閤殿下 と 共に
唐入りをしなかったのも
殺害理由の一つになると想われ
天正15年の根白坂の戦いにて
島津と豊臣秀吉側が戦をしたようで
突撃の合図が聴こえなかった為に
忠棟は進軍せず
島津が退却をする事になり
筆頭家老の忠棟が 人質として秀吉に降伏し
島津氏存続 と 書かれますが
戦に勝ったからと
逃げ手側を滅亡に 追いやる事もせず
秀吉は忠棟を評価し 万石を与える事
それもまた忠棟殺害理由になるようで
その評価を不服とし
伊集院忠棟を伏見屋敷の茶室にて惨殺し
後の庄内の乱へと繋がり
結果 逃げる羽目になりましたが
この九州征伐と書かれた頃に
忠棟を惨殺しなかった太閤殿下に
末裔として 何か出来る事はないかと
インターネットの時代に系図を辿り
2度高野山へ行き
その時はまだ 太閤殿下との繋がりを知らず
忠恒に惨殺された事だけを知り
高野山では何も魂に響くこともなく
数年後に 靖国 その数年後に 知覧
私には 霊が寄ってきやすい様だと
知覧にて確実に体感することが出来たので
最近 インターネットにて 知った
太閤殿下の墓の場所へと行き
手を合わす事が出来れば
せめてもの救いとなり恩返しになるのでは
島津からも私には何も残されておらず
滅亡に追いやられた為に
何もかも奪われ
何とか現在に遺伝子として生きている現状
手を合わすことにより
太閤殿下の霊と
私の中の遺伝子と
波長が合えば
時代を越えて
姿を観ることが出来るのではなかろうか
そうすれば私も 太閤殿下のように出世し
本来 皇族や華族になる筈だった遺伝子が
足軽以下から富を得るパワーを
授かる事が出来るのでないかと
そう想い
あの日の太閤殿下への恩返しを
描くことが 先祖供養にもなり
太閤殿下の墓参りへ行き
墓前に手をあわし
豊国神社にも行けば
いつか 占いの館で言われた
年齢が来れば出世すると言われた歳に
今年の誕生日が来れば その年齢になる為に
来月 7月の休みの日程が決まれば
豊国神社や豊国廟へ 行こうと
現在考えている




