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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

またいつか図書室で

作者: 楠楊つばき

 一人のほうが気楽だった。誰かに話を合わせる必要もなく、自分の好きなことに思う存分打ち込める。

 だからといって無表情というわけでも、友人が全くいないわけでもない。


 放課後に訪れた図書室は人気ひとけがなかった。本の貸出はパソコンが管理しているので図書委員の人がカウンターにいる必要性はない。自分の借りる本が他人に知られないため、気軽に好きな本を借りられた。

 ハードカバーや文庫本を本棚から取り出して戻すという行為を繰り返したあと、なんとなく一冊の本を手にした。小学生の頃に読んだ童話だ。あれから数年経っているけれども、内容を色濃く覚えている。懐かしい。

 近くにあった大きなテーブルに座り、本を読み始めた。内容は覚えているというのに、この本を選ばずにはいられなかった。

 読み終わると、一つ席をあけたところに女の子がいた。

 いつからそこにいたのだろう。彼女の影が薄いのか、あるいは自分が本の世界にのめり込んでいたのか。

 本を読むような体勢で女の子を盗み見た。彼女は熱心に本を読んでいる。流石にこの距離では何を読んでいるのかわからない。いや、本のカバーに題名が書かれていなかった。彼女は自分の左にいる。なので彼女が読んでいる本の表紙がこちらから見えた。なのに表紙には題名が書かれていなかった。彼女が何を読んでいるのか気になったが、今日は病院に行かなければならない。今出発しないと予約の時間に遅れてしまう。

 後ろ髪引かれながらも自分は読んでいた本を棚に戻し、図書室を後にした。


 あの日、図書室に行ったのは時間潰しのためでしかなかった。

 普段は放課後になったらすぐに部活で体を動かしているので、校内に残る時間なんてない。週一の休みにふらっと図書室に行ったのがあの日なのだ。

 あれから一週間後、彼女に出会えることを期待して図書室に来た。

 全体を見渡してみたが、彼女は来ていない。

 自分は肩を落としながらも適当に本を選んで、この前と同じ席についた。

 今日選んだのは最近発売されて有名になった本だ。本に疎い自分でも、この作者は知っている。数年前に大きな賞を取ってからメディアで期待されている作家だ。

「うー、わからない」

 あらすじを読んでも、さっぱりだ。ミステリーらしいが、読みたいという気力が沸かない。だったらなんでこの本を選んでしまったのか。理由は簡単だ。有名だったからだ。有名な本を読めば、読書の話題になってもついていける。ただ本音としては、この本を読みたいとは思えなかった。

 どうせ話を難しくして、「どうだ自分は賢いんだ」って威張っているだけなんだろう。と思っても口には出さない。なんというか自分は本の世界が嫌いなのかもしれない。言葉にできない興奮を言葉にしてしまう作家に対して羨望を抱いているのかもしれない。

 結論、生理的に受け付けられない。

 本がずらっと棚に並べてある様もあまり好きではない。中身は違うというのに外見は同じなのだ。表紙や裏表紙がこっているのもあるけれども、似ている。その中から自分の欲しいものをみつけるのも難しい。

 考え事をしながら本のページをめくる。ページをめくるという行動が作業化したとき、自分は本を閉じた。


「……それ」


 声をかけられ、自分は左を向いた。そこにはあの子がいる。


「私が読みたいと思っていたもの……」

「いいよ。読み終わったところだから」


 自分がそう言うと、彼女は暫く黙り込んだ。

 自分は読み終わったと平然に言えたはずだ。彼女は一体何を悩んでいるのだろう。彼女を悩ませているのは一体何なのだろう。無意識にギリッと歯を食いしばっていた。


「……いいの?」

「うん」

「ありがとう」


 彼女は無表情のまま礼を告げた。ここは普通、はにかむところではないのだろうか。読み終わったと言ったのは自分だが、もう少し愛想が良くてもいいのではないだろうか。花を恥じらう女子高生がそんな風でいいのだろうか。


「どういたしまして」


 自分が微笑んでも彼女の鉄仮面は崩れない。

 彼女は静かにカウンターまで歩いて行った。自分は彼女の背中を眺める。

 彼女は至って平凡な容姿だった。特筆する点もない。ありきたりな女の子だ。肩につくぐらいの艶やかな黒髪。制服のスカートは校則を破らない長さ。同じクラスではないはずだ。大衆の中から彼女を見つけられる自信はない。

 今日は直感に任せて数冊本を借りた。どうせ自分に合わないと思ったら読まなければいいんだ。




 毎週本を借りることが自分の習慣になりつつあった。本当ならそれ以外の日々にも行きたいが、部活優先だ。

 清掃後、帰る準備ができたらすぐに図書室に来た。彼女は自分よりも遅く来る。そして本を読んだり、勉強したりしている。

 彼女はいつも定席に座っている。だから自分も定席に陣取る。二人の間には一人分のスペースが空いていた。これが自分と彼女の距離だ。縮めることもできず、だからといって広げることもできず。


 出会ったのは高一の二学期だった。それから冬が来て、春が来て。彼女の上履きの色から自分と同じ学年であることはわかっていた。けれどもまだ彼女の名前を自分は知らない。共通の友人がいるわけでもないため、「あなたの名前を教えてください」と言う勇気はない。

 誰も自分と彼女にこんな繋がりがあるなんて知らないだろう。

 時々ニヤニヤしながら本を読むのも楽しい。


 

 

 二年生に進級しても彼女と同じクラスにはなれなかった。一学年十クラス。探せば見つからなくはないだろうが、自分から探そうとはしなかった。出会ったのは偶然だった。名前を知るのも、彼女がどういった人物であるのか知るのも偶然でいいじゃないか。


 運動部の練習はさらにきつくなっていた。後輩もでき、うかれている時間はない。常に練習しておかないと不安だった。いつ後輩に抜かれて「先輩のくせに」と陰口を叩かれるかわからない。悩んでいる時間があるならば練習をしたかった。練習しないと普段の自分を忘れていきそうだった。

 成績が落ち始めたのもその頃からだった。勉強の内容が一層難しくなる傍ら、自主練習の時間も増やす。家に帰ったらすぐに眠るという生活を続けていた。

 守れていたのは週一で図書室に行くという習慣だった。どんなに眠くても図書室に行って本を借りた。本当に眠いときは図書室で寝るようにした。図書室という場所が彼女との接点だった。


 確かに彼女は普通だよ。なのに彼女は自分を惹きつける。胸を焦がす。

 ああ、なんで気づかなかったのだろう。


 これは――一目惚れなんだ。


 かくいう自分も女の子だ。友人になりたい、ではなく恋人になりたいなんて願いを口が裂けても言えない。「好きです、私はあなたが好きなんです。友人としてではなく……」と言えなかった。言えたら何かが変わっていたのだろうか。自分はこの関係が壊れることを恐れた。嫌われるくらいなら、週一で彼女に会えることを楽しみにしていたかったのだ。

 また季節が変わって。

 彼女と滅多に口を交わすことはなかった。図書室にいても互いに本を勧めたりすることはなかった。




 二年の夏休み明け。

 親に成績を心配され、塾に通うことになった。しかもその塾に行くという日が普段なら図書室に行く日だったのだ。勿論抵抗した。しかし、会いたい人がいるという理由だけでは親を説得できない。妥協案で30分ぐらいの時間はもらえたが、彼女と会える時間が減るということに耐えられそうもなかった。自室で発狂しそうになる心を抑え、涙をのんだ。

 成績の低下は止められなかった。一部の授業は成績順のクラスになっている。そして今まで彼女と同じクラスになったことはない。

 会いたかった。会ってその姿を見て、たまに漏れる声を聞いて、彼女の匂いをかいで。少しでも長く一緒にいたかった。

 塾には異性もいた。格好いい部類に入る人はいる。けれど自分はそんな奴らに興味などなかった。彼らの偏差値は気になったけど、顔面の偏差値になんか気にも留めなかった。

 せめて名前だけは聞いておくべきだった。こんなにも彼女に溺れてしまう前に聞いておくべきだった。




 中間も期末も順位を落として迎えた新年。

 一学年上の先輩はセンター試験を受ける時期だ。この結果によっては志望校を変更することもある。

「……はあ」

 自然とため息が重くなる。センタープレもあまり良い結果とは言えない。

 先生は本番の直前になって点数が急に伸びる、という。そんなのどれぐらいの確率なのだろうか。失敗する人だっているというのに。


 センター試験の自己採点から数日たった。担任の先生からこの学校の平均点を教えられる。絶望する点数だった。進学校というわりには、どれも全国平均と同じかやや下回る。国語のできはいい。それは女子だからか。いや、そういうわけでもないだろう。

 また気分が沈む。現実を突きつけられているようで苦しい。

 放課後図書室にむかうと、彼女はいた。


「いつもここで本を読んでいるの? 勉強は?」


 そう静かに問うと彼女は言った。


「毎日来ているわけではないわ。わたしが来る日に貴女が来るだけ。……成績はそれなりかな」


 彼女は本を閉じ、顔を上げる。


「実はまだ進路決まっていないの。だからこうして時間があるときは専門書を読んで、自分はどういうものに興味があるのかなって考えるのよ」

「そうなんだ……」


 彼女が将来を考えて本を読んでいたことを知り、私の胸はちくりと痛む。


「もしかして私、邪魔してた? キミの近くで本を読んで気を散らしちゃったりしてた?」

「…………この話題はやめましょうよ。わたしはたまにここに、この席にいるわ。だから――」


 そっと伸びる彼女の手は冷たい。


「泣かないで」

「……っ!?」


 指摘され、自分は涙を流していることに気付いた。頬は赤く染まり、鼻ずまりはひどい。一度認めてしまうと、涙をこらえることはできなかった。さめざめと流した涙は彼女がハンカチで拭ってくれた。手触りの良いハンカチからは、ほんのりと彼女の香りがする。


「わたしはここにいるから。また会いましょう、ここで」

「うん、また……」


 鼻水を垂らしたまま自分は返事をした。すると彼女は無言でティッシュを数枚出してくれた。それを受け取って私は鼻をかむ。それでもまだ鼻は本調子に戻っていない。鼻をずびずびいわせているのは恥ずかしいが、しかたない。


「ふふっ。今日は先にわたしが帰ろうかな。卒業するまでにまた会えるといいね」


 手を振って去る彼女。彼女の手には一冊の本がある。それを読むつもりなのだろうか。

 鼻をもう一度かむ。


「あ……もらったティッシュなくなっちゃった」


 残していれば、彼女との思い出の品になっていたのに。

  


     *   *   *



 季節が一巡した。

 センターの結果はまあまあだった。けれども二次試験は上手くいかなかった。推薦も考えてはいたが、そんなに大それた結果を出してはいない。どんなに品行方正であっても、推すものがなければ推薦を許してはくれなかった。


 迎えた卒業式。

 目で彼女の姿を追ってみたものの、見つけられなかった。

 最後に出会ったのは去年の一月だ。あれからなぜか彼女とは一度も顔を合わせてはいない。同学年なので顔をあわす機会はあるはずなのに彼女と会えなかった。


 式が終わり、ぞろぞろと退場していく。これから教室に戻って担任の話を聞いたり、仲の良い人と写真を撮るつもりだ。

 中には涙を浮かべる子もいた。自分は泣かなかったけど。

 後輩に今日の午後呼ばれていた。なので友人との戯れもどこかで終わりにする必要がある。


「そろそろ帰ってもいい? 後輩が待ってるんだけど」

「そうなんだ……もっと話ししたかったのに」

「卒業アルバムに寄せ書きしよっか」


 うん、と私はさっさと数冊の卒業アルバムに寄せ書きした。勿論自分のものにも書いてもらった。

 ――全て終わった。もう思い残すことはない。




 足早に向かうと、そこには見慣れた姿があった。


「……来ると思っていたよ」


 自分の好きな子が柔らかく微笑んでいた。

 図書室には彼女以外誰もいないようだ。司書さえも席を外している。


「わたしは今日この時間貴女に会えると思ってね」

「私も信じてた。絶対に会えるって」

「一年ぶりなのに、信じてくれたんだ。ありがとう」


 このはちきれんばかりの思いをどう表現すればいいだろう。彼女と出会えた幸せをどう伝えればいいのだろう。ほんのり温かくなるようなこの気持ち。あなたと一緒にいたい、そんな気持ち。キミの隣はとても心地がよかった。キミの隣だから自分は本を読めた。……実際は椅子一つ分あけていたんだけど。

 触れていい? この気持ちを伝えてもいい?

 だめだ。キミに迷惑をかけてしまう。


「バイバイ、さようなら……」

 

 彼女は冷たく告げ、図書室から出て行く。

 あの子は私とは遠いところに行ってしまう。

 そうわかっていても自分には何もできなかった。






 女子高で芽生えた淡い思い。それは実るはずもないもの。

 また会えたら――。

 キミの名前は知らない。

 きっと次に会ったときにはキミの口から教えてくれるよね。

 



 

 

 

 


 


 

 

 

 

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