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小説家の仕事

作者: 竹仲法順

     *

 ずっと自宅マンションの書斎にこもる日が続く。ボクは現役の小説家で原稿を書くのに追われているのだ。三十代半ばなのだが、浪人せずに入った大学の文学部を中退した後、短期のバイトなどをしながら、パソコンを使って原稿を打ち、新人賞などに公募し続けていた。たまたま二十代前半で晴れて公募新人賞を獲り、それからずっと自宅で執筆活動を続けている。自分が思っている以上に原稿の依頼や督促が来るようになった。もちろん芥川賞や直木賞など大型の文芸賞はまだ獲ってないのだが、本は実によく売れている。ボクの作品は増刷が掛かりやすい。主なジャンルはミステリーなのだが、リリースされた本は二十版とか二十五版とか刷られている。版が重なるごとに調子が上がっていくのだった。オファーがあまりにも多いので一部の仕事はお断りしている。それでいいのだった。地方在住で独身だったが、時折飛行機や電車、地下鉄などを乗り継いで東京の出版社などに挨拶に行くと、広報部の女性社員たちなどが近付いてくる。常に度入りのサングラスを掛けていた。斜視が気になるからである。普通にディスプレイ上で字を追うことが多いからか、ドライアイや斜視など、目の疲れが多かった。朝食事を取ってからブルーベリーのサプリメントを飲んでいる。ひとまず目の健康はそれで現状維持していた。常にノートパソコンとスマホを持ち歩いている。乗り物の待ち時間などでも原稿を書いたり、ネットに繋いでツイッターをしたりしていた。何ら躊躇うことはない。時間などいくらでもあったのだし、原稿を書く以外でもIT機器を使いこなしている。スマホも慣れれば楽だ。パソコンと同じぐらい性能がいい端末なのである。ずっとキーを叩く作業に追われるのが現役の小説家の実態だ。普通の人には想像がつかないぐらい、たくさんの原稿を書く。もちろん原稿料はもらっている。所定の枚数書けば、それ相当の原稿料はちょうだいしていた。これはプロ作家で原稿を書く人間なら誰もがもらえるものなのである。ボクも例外なしにそうだった。仕事をした分だけ報酬が入ってくる。当たり前なのだ。こういった仕事が自宅マンション、もしくは稀に出る外でずっと続いていた。慌しさに追われながら……。

     *

前河(まえかわ)さん、また新たに原稿書いてくださいよ。私ら編集者も作家さんの原稿が欲しいんですから」

 ――分かってますよ。……次の入稿日はいつですか?

「一応来月半ばぐらいまでに一作書き下ろしてください。四百枚ぐらいの長編を一作お願いいたします」

 ――はい、分かりました。出来上がり次第、メールにて入稿いたしますから。

「いつもありがとうございます。それでは失礼いたします」

 電話が掛かってきたので取ると、電話先でデビュー時からずっと担当編集者をやってくれている中埜(なかの)が出てきて、新作の原稿の依頼の後、電話を切った。中埜にはずっと世話になっている。よき編集者がいれば、いい作家が育つ。当然のことだったし、それがこの世界の現状だった。中埜はボクに原稿を書かせる立場だ。それ以上のことは要求してこない。作品を送れば後はゲラのやり取りだけである。それもメールを通じてやっていた。別に不便は感じない。普通に紙に印刷する際は製本時だけである。ボクもずっとこの業界にいるので、昔と今じゃ全然違うことが分かっていた。デビュー時は原稿を紙に印字して郵送していたのだが、今は違う。ボクも大手のほとんどの出版社が原稿を送ったり、手直ししたりする際にメールやスカイプを使っているのを知っていた。時代の流れなのである。キーを叩きながら原稿を作る側なのだが、基本的に今のやり方の方がいいと思っていた。一々赤ペンを使って赤を入れるよりも、メールの方が便利がよくていいじゃないかと。それにパソコンの方が慣れていた。サイン会などは苦手である。サインをするのにも手間隙が掛かってしまうのだし、そういったことにあまり慣れてないのが現実である。要はボク自身、こもっているのだった。普段外に出るのは買い物と散歩、それに銀行などに行くぐらいで後は全然出ない。別にそれでいいのだった。パソコンやスマホなどのキーを叩くのが仕事だったし、車の運転免許を持ってないので買出しとなると自転車だ。ゆっくりと人生行路を歩んでいた。小説家の仕事は大変なのだ。自分なりにやることはいくらでもある。そう思っていた。常にマシーンの画面に見入りながらキーを叩き続ける。日常はその繰り返しだった。中埜の原稿の書き下ろしの打診を引き受けて書き始めたのは、電話が掛かってきた翌日からだ。一ヶ月間ほど掛けて来月九月半ばまでに四百枚の原稿を書き下ろすのは実に簡単だ。ボクもそう思って取り掛かり始めた。躊躇うことなく。締切り前に原稿を書くとき、躊躇いや戸惑いなどがあったら編集者から叱られる。しっかりと念じていた。書くぞと。

     *

 コーヒーをがぶ飲みしながら意識を覚醒させ、原稿を打ち続ける。疲れていた体に鞭打ってやっていた。やはりお盆休みで夏も盛りが過ぎてしまうと、幾分暑さも引いていく。もちろん残暑もあったのだが、お盆が一つの目安だった。そしてボクも自宅マンションにこもり、しばらくの間、四百枚の長編ミステリーを書き続ける。筆を絶やすことなく、しっかりとやっていた。昔、中埜によく言われたものだ。「前河さんは書ける人ですから」と。確かに新人賞を獲ってデビューしてから十年以上、一日たりとも書かなかった日はない。ずっと書き続けていた。それがボクにとっては一つの自慢なのである。作家にとって原稿が書けなくなることほど侘しいことはない。そういったことは身に染みて分かっていた。だから執筆を続ける。ボクにとってそれが一番の選択肢なのだ。もちろん、合間に時間が出来れば読書などもしていた。各出版社から本が献本されてくるのである。ボクもそういった本は読んでいた。中にはくだらない作品もある。アマチュアが自費出版や協力出版などで出した本は、プロから言わせれば駄作ばかりなのだが、稀にダイヤモンドの原石のようなものもある。ボクもそういった物を書く作家とは電話やメールなどで連絡を取りたいと思っていた。「あなたの出された作品を是非とも全部読んでみたいです」と言って。小説家にとって本が世に出ることほど嬉しいことはないのだし、実際店頭に陳列されるのを見ると、感慨ひとしおなのである。そういった体験をボクもしてきた。今から十年以上前に。

     *

 九月に入り、原稿が完成したので、推敲して出版社の中埜宛にメールで入稿した。これから先、ゲラのやり取りが続く。メールやスカイプ等を使って。キーを叩きながら適宜修正を入れる作業に追われる。でもいいのだった。ボクも一仕事済めば、また雑誌などに持っている連載原稿などを書く必要がある。それがずっと続く。もちろん書き溜めている分もある程度あった。執筆は欠かさないし、欠かせない。筆を折るなどとんでもないからである。しっかりと書いていくつもりでいた。もちろん執筆以外にもする仕事は山ほどあったのだし……。しっかりとやっていた。雑用など何もかもを含めて。全部ひっくるめて小説家の仕事であることに間違いはないのだから……。

                                 (了)


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