変貌
一人の少女がいた。名は冴子といい、名付け親は祖父で、なにごとにも冴える子になってほしいという想いそのままに名付けられた。冴子はその名前に反し、なかなかに冴える事のない子に育った。勉学こそ小学校から学校内の真ん中に陣取る程度はできるのだが、運動はからっきしで病弱というわけではないが、とにかく運動が苦手で体育は見学や仮病を使うような少女だった。友達はそこそこにおり、かといって親友と呼べるほど突っ込んだ人付き合いができているわけでもなく、愚痴や悩みごとはいつも家に持ち帰っては日記に記す内気な性格をしていた。
そんな彼女が恋という異性に情欲を覚えることが起こった。それなりに有名な大学にも卒業生を送り出している進学校である高校に入学してすぐのことで、それは学校でも美男子と有名な一年で冴子と同じ学年だった上に、これまた同じクラスの男子だった。名を礼司と言い、勉学では中々に好成績を修め、運動も部活こそやっていないが堪能で、特に球技では無類の強さを発揮し、未だ入学が終わってから二月が経った頃合いでも、諸先輩から同輩、はては顧問から勧誘を受けるほどの逸材だった。
礼司の事を好きな少女は多かった、それでいて男女から人気があった。誰からも愛され、彼は誰にでも優しかった。だが、礼司は誰からの告白も受け付けない事でも知られている男で、美少女と名高い女の告白すらも「ごめんなさい」の一言で片づけるほどにこと恋愛に関しては淡泊な一面を見せた。
冴子とて礼司の性格とその淡泊さを知っていたが、どうにもこうにも己の内から湧き起こる熱気に毒されていく身体を持て余していたのだから、勉学に身が入らず、運動などしてみれば礼司の事を思うばかり貧血で倒れる軟弱さを見せた。
これは告白でもして潔く玉砕したほうが自分の中の熱も下がってくるだろうと一大決心をして告白することにした。しかし、冴子は気弱で人付き合いが得意という人間ではなく、決心こそしたもののとんと告白する機会を作ることもできず、これでもかというくらいに告白する場面を逃す運のない少女であった。冴子は勉学が出来ないながらクラスでは学級委員をやっている、それは冴子の性格ゆえに誰もやりたがらないながらも、自分なら好きではないけれど出来なくはないからという思いから推薦も相まって学級委員に任命されていた。そう、礼司も同じく学級委員かつ委員長でもあったのだから、冴子がいかに運から見放されていたかがうかがい知れよう物である。委員の仕事を二人きりですることもあれば、自習後の教室の片づけも行い、雑務のために荷物を運んだ。
日に日に冴子は煮詰まって行く。告白する文章は日夜反復練習を重ね、今では数学の公式よりもすらすらと頭の中に浮かび上がって口からこぼれ落ちるほどに流暢となっているし、礼司と会話する機会も増えたことでより一層礼司のことを好いてしまっていた。クラスや学校の女子たちから同じ委員仕事が羨ましいと言われ、妬まれることもあったが、そこは冴子の引っ込み思案なところが幸いに、女子たちからこんな女を好くはずはないと言う決め付けによって助かる事となっていた。もちろん、冴子はそんなことを知る由も無いほどに、礼司一直線に恋をしていたので何ら問題はない。
ある時、冴子はクラスに配る夏休みの連絡事項と十月にある文化祭のプリントを作る作業を行っていたのだが、そこには礼司の姿はなかった。とはいえ、礼司が仕事をほっぽり出す性格ではないことは誰しもが承知していることであるので、冴子がどうして一人なのかと首をひねる。そのうちの一人が生活指導の教員である大林だった。
大林は冴子が一人誰も居ない教室で熱心にプリントを眺めて何かを書きこんでいる姿を見つけて声を掛けた。どうしたと声をかけて大林はなるほど、と頷いて、遅くならずに帰るように、それと戸締りもしっかりとな、とだけ告げて教室を後にしたのだ。冴子は、礼司と作業を半分に分けていたのである。
冴子からすると、一緒にいると作業が捗らないので、何とかして一人で仕事を行おうと苦心すると幸運なことに男女別に必要な書類があったので、「手伝う」と言った礼司に、女の子に対してのアンケート作成と言って、やんわりとだが、礼司と会話出来た事から来る歓喜に打ちひしがれながらも断ったのである。ここが冴子の駄目なところで、本当に隣同士、あるいは向かい合って作業をすると真っ赤になって作業が手につかず、言葉もどん詰まり、ほとほと惚れていると態度にだだ漏れであった。
アンケートは文化祭におけるコンテストやダンスパーティなど洒落た催しにおける女子の衣装を統一するかしないかや、コンテンストは美女にするのか、はたまたゲテモノというか、奇策というか、女装とか男装コンテストにするべきかなどの意見を問いかけたりする、なんとも作成の思惑に一任されているようなプリント作成の仕事だった。
本当のところをいうと、作業を分担としたといったところで礼司もプリント作成という仕事が残っているのだから先ほどまでは同じ教室にいた。冴子は教室で二人きりという事を考えるあまり、作業を分担した意味がないくらい舞い上がり、結局礼司と会話することも出来ず、礼司が先に終わり、またしても残っているのなら「相談くらいには乗るよ」と優しい言葉をかけられて熟れたリンゴよりも頬と耳を真っ赤にさせながらもかろうじて「大丈夫」と言葉を吐き出して、教室を出て行くまで高熱にうなされ夢心地で幽体離脱でもしているような危うい心情に支配されていたのであった。
すでに部活動に精を出す生徒以外は姿の見えない学校の一室で冴子はせっせと作業を続けながらも、自分はどうしてこんなにも意気地なしなのだろうと、反省会を脳内で開いていた。先ほどなど絶好の告白する機会ではなかったか、いやいや、告白したところで玉砕は目に見えている、その中でまだ作業が残っているんだから実に気まずい雰囲気になってしまうではないか、それではいっそこの二階の窓から思い切り飛び降りた方が良い人生だったと思える。それこそ、なぜ仕事が終わった礼司に告白しなかった云々。
実に滑稽な反省会であるが本人はいたって真面目であり、顔の肉を器用に変化させながらもブツブツと喋り、作業を行っていく。傍から見ると実に近寄りがたい雰囲気だった。
そうこうするうちに、冴子はため息一つ吐き出してお手洗いにでも言って気分を変えようと思い至る。そうと決まれば心なしか本当にお手洗いの個室にこもりたくなってきたので、正常な身体の機能に急かされながらもアンケート用紙を机の中に仕舞い、これは風に飛ばされないことと、見られないこと二つに対処する非常に画期的なものだと冴子は地味に思いつつも、足早に教室を後にしたのである。
ふぅ、などと何かを悟るかのように一息ついた冴子は蛇口から流れ出る水で手を良く洗い、ついでに気持ちを切り替えるつもりで顔を洗って、鏡に映る自分を前にして少しばかり乙女チックなポーズを取ってみたりして、やはり自分はこういったことはダメだなと自嘲しながら、教室へは先ほどよりもかなりゆったりと余裕を持って戻ったのであったが、ここでとんでもない光景に出会ってしまったのである。
教室の引き戸はガラリと音を立てて開かれた、中を覗くガラス窓こそあったが、どういうわけか擦りガラスでぼんやりと中が見える程度だったので、冴子もまさか中に人がいるとは思いもしなかっただろうし、中にいた人も同じ考えを持っていて、どうして廊下を歩く音が聞こえなかったとか心臓が高鳴りつつも思っていた。手洗いに出た冴子は駆け足気味で力いっぱいに廊下を踏みしめたために音が気味良く響いたのだろうが、帰りは打って変わって非常にしっとりと音を立たない足取りだったことが二人を巡り合わせたとも言える。
とにもかくにも、冴子は律義にも両手を口元にまで持って行ってそれはもう盛大に驚いて見せ、かと思えば見られた方も冴子を一直線に見詰めつつも直立不動を貫いて、文字通り固まっていた、それはもう岩のようにカチコチと固まっていたのは冴子の学校が指定する制服で、女子のものだったが、どういうわけか来ている人が男で、それはあろうことか冴子の想い人である礼司であった。
一体何がどうなってこのような状況、事態に陥ったのか冴子の頭では理解できず、ただただ唖然と礼司を眺めては一言も言葉が口からこぼれ落ちることはなかった。対して礼司は必死に、なんとかしてこの状況を打破しようと画策したのか、何食わぬ顔して「ごめんなさい、驚かせたかしら」などと、あくまで自分が女であることを押し通そうと大根役者よりも幾分巧い演技をして見せた。
しかし、その演技こそ、冴子を現実に引き戻すきっかけとなってしまったのだから、策士策におぼれるとはこのことか。冴子は「礼司、君」なんて呟くと礼司は礼司で再び固まって滝のような冷や汗だろうか、を流して視線を泳がせ続けた。それはもう、マグロのように素早くそして止まれば死んでしまうというほど必死さが伝わるほどの泳ぎ方で、冴子はその必死さを眺める内に邪な感情とともに、どんどんと冷静になっていったのである。
冴子はこの時、初めて冴子という名前に恥じぬほどに頭が回転して事態を把握していった。つまるところ、礼司は女装が趣味で、女からの告白に淡泊な態度をとったということは女装好きな上で男が好きなのかもしれないという、世間様には変態と言われても仕方ないくらいの性癖を持っていて、今まさに自分はその様を、恐らくは顔見知りの中で初めて目撃した歴史的に貴重な人物なのではないか、と。
ぐるぐると音を立てて冴子の頭は回って行く。狡猾で歪な愛情表現が顔を覗かせ始めるともう、冴子はその歪に惚れこんでとことん狂ってやろうと、自分のものにしてやろうと意気込み始めたのである。
冴子はもはや驚きもせず、引き戸を閉めて、先ほどまで作業していた自分の席に何食わぬ顔をして座すとプリントを引出しから取り出して作業を開始した。それはもう先ほどの驚きなど忘れてしまったかのように、そもまだ礼司は硬直したまま、まるで冴子に怯えているような表情を向けているのだから、いよいよをもって冴子が引っ込み思案な性格だったのかと首を傾げたくもなる光景だった。
こんどは礼司が唖然とする番だった。どうして冴子は何も言わないのだろうか、それどころから作業を始める始末、一体どういうつもりなのか。
はっ、と目を見開き、礼司は冴子を見つめた。もしかすると見逃してくれるのだろうか、そういえば冴子は自分の事を好いている態度を取っていた。幻滅こそさせてしまったであろうことはもはや疑いようもないだろうが、せめて惚れた情けというか、今回だけは見逃してくれるのではないか。ほら、私は何も見ていない、礼司君は何も言わず、ここから立ち去るの。
そうだと決心してからの礼司は神速を尊ぶかのような素早さで着替えを済ませて、ついに一言も言葉を発する事もせずに、教室を後にしたのである。
残された冴子は先ほどよりもスラスラと捗るペン捌きによる小気味良い筆の音が教室の中に小さくも響き渡った。悪魔のような、それでいてとてつもなく美しい笑みを浮かべている冴子だけがその音だけを聞いていた。
二人の衝撃的な出会いから三日が経った学校は特に変な噂が立つこともなければ、冴子も礼司も別段変った様子もなく平穏無事な日常が続いていた。と、少なくとも学校に通う人々は思っていた。一部の女子は礼司の挙動を気にはしていたが生来の、といっても女子連中は礼司を幼少のころから知っているわけではないのだが、人当たりの良さは高校でも有名で彼女たちも知っていたし、学級委員の仕事が思った以上に多いことを入学後の行事消化数と照らし合わせていたので、委員の仕事が大変だから、礼司君も病弱な冴子のことを気にしているのね、などと礼司の行動を自己解釈していたのだから、誰一人として違和感に気づくことはなかった。
礼司は良く冴子と語らうようになっていたのだが、それも先ほどのように冴子のことを委員長として気遣っているだけという認識でしかない。ただ当人である礼司は肝っ玉が冷え切っている思いであろうし、何よりも必死だった。あのような光景をまざまざと見つめられてしまってはもはや言い逃れも出来ないし、生来の生真面目さからか、冴子の言葉を嘘だと言いくるめてしまえる自分の人望を悪用したくはないという思いも相まった結果が、冴子のご機嫌を窺う憐れな従者を演じているつもりになっていたのである。
そのような関係になっているとは周囲も気づかず、冴子は当然として礼司すらも家族にすら相談できずに悶々としながら仲の良い委員会仲間という役どころを演じ続けていた。
主役級の礼司と脇役の自分ではライトが当たる事はあっても非難轟々となり、たちまち演目は中止、自分は解雇されてしまうだろうと冴子は考えていたのだから、あくどくもあり先見の明があったと言える。
礼司から自分に振り向いてくれるように仕向ける。それが冴子の考えた策であり、まんまと礼司は術中に嵌まったのであった。礼司はもはや冴子の言いなりであるが、冴子は礼司を奴隷とか従者にするつもりは毛頭なかった。そんなことしてしまえば女子たちの嫉妬の矢を全身に浴びて死んでしまうからである。
あくまで、礼司自身が冴子にちょっかい、もとい善意で声をかけたり仕事の手伝いを行っているという空気を醸し出す事が重要で、だからこそ、冴子は特に何をいう、つまり脅しをかけたりするわけでもなかったのである。礼司に、緊張感を敷いた、やがては薄れる緊張感だろうけど、いつもどこかで思いだされる。喉に引っかかった小骨、とでも言えばの良いのだろうか。
今度、冴子と礼司が卒業するまで、その小骨が取れる事はないだろう、そもそもにして今後の人生においてももしかすると小骨が冴子に光明をもたらすかもしれない。
冴子はほくそ笑む。まだ恋をしているかと問われれば冴子はきっと答えに悩むだろう。あのような変態行為を眺めたから多少は礼司に対しての想いに暗雲が立ち込めることはしたが、礼司は美男子で誰からも好かれる男である。これをキープせずしてどのような男を抱え込むというのだろうか、などと冴子は考えたばかりか、礼司の人生や行動を縛り付ける権限を持っている事に、どうしようもないほどの興奮を覚えていたのだから、なかなかの悪女であった。
結局、冴子は礼司と仲が良いという認識が周囲に蔓延るようになっていった。ともすれば、冴子が良く聞かれるのは礼司と付き合っているかということであって、冴子はいつも「ううん、突き合ってないよ」と表面上はほほ笑み、女子たちの安堵を観察しながら「私の物だけれどね」などと胸の内でのたまうのであった。
礼司は礼司で戦々恐々としながらも表面はいつもの好男子のままで日常を過ごし続けたが、寝つける事はあまりなかった。いつ喋られてしまうのかと考え始めると当然ながら眠ることなどできなかったのである。冴子はあくまで想像上ながら、男色の気があると睨んでいたが、まさしくその通りで、礼司は男が好きだったのだが、少し変わっている事に男の臭いとかが大好きなとんでもない変態であった。そのためか、友達にはむさくるしいスポーツマンが多かったのだが、流石の悪女、冴子ですらここまで変態的な性癖までは見抜く事が出来ずにいたが、礼司はそう思っておらず、冴子には自分のことなど何でもお見通しではないかという疑心暗鬼に陥ってしまっていた。
そんな奇妙な二人がともに学校生活を過ごし二年、三年ともなると、流石の好男子だった礼司もストレスからか性格が卑屈になり、やがては友達も徐々に減って行くという異常事態となった。
これには冴子も焦ってしまう、今まで人気だった礼司が荒くれ者よろしく不良のように変貌してしまったわけではないが、情緒不安定で暗い人間に変貌してしまったのだから、誰しもが最初は心配そうに話しかけたりしたものの礼司自身がうっとうしいとばかりに拒絶を繰り返す内に、陰鬱な礼司が完成してしまっていた。
冴子は冴子でもう、礼司の態度にうんざりしてしまっていた。ここまで心が荒んでいるにも拘らず、女装とか男色のことをまだ隠したいという心情があることに軽蔑を通り越して滑稽だと笑い飛ばしたい気分にさせられていた。
この頃になると、冴子は礼司を通して男を知り、昔のような引っ込み思案ではなく明るい女性に変身していたので、今度は冴子が人気者となる事態となっていた。つまり、礼司とまだ普通に接している冴子さんは良い人だ、という認識が世間一般に広まっていたのである。
冴子はそのような回りの変化に最初こそ戸惑ったが最近ではかなり天狗になって人の良い女性を演じていた。そうすることによって今まで不遇だった人生、自分と決別するかのような思い切った役に挑戦しているようにも感じられるほどに明るい性格になった。
その上で、冴子は礼司が邪魔になってしまった。陰鬱な礼司と普通に接してはいるが、こいつは変態だという侮蔑を含んでいることは両者ともに知っているので、あくまで表面上の交流のみがずっと続いていただけなのだから、ここで切り離しても冴子にとってはなんの痛手でもなかったけれど、礼司と突然交流を切ってしまってはどうしたのだろうと不審を持たれてしまうのではないかと考えた冴子は、ついに礼司を人気のないところに呼び出して、あの時の出来事について話すことにしたのであった。
これまで一度たりとも女装のことを追求されたことのなかった礼司は固唾をのんだ。ついに、いややっと審判の日が来たのかとすら思うほどだったが、冴子からすればほとほとどうでも良いことだった。しかし、礼司があまりにも緊張してこちらの言葉を待っているものだから、なんとなく憐れんでしまった。もとはいえば冴子が原因で、この目の前にいる冴えない男を作り出してしまったのだからすこしばかりは情けをかけるべきではないか、などと明るく冴えている女性へと変貌した冴子は考えた。
冴子は礼司に言った。それは女装という趣味を肯定し、男色も一種の愛情表現故に理解できるものだと。そう言った瞬間の礼司の顔は、本当にだらしない顔だった。そもそも、冴子の言った言葉を理解していたのかすら疑問に思えるし、冴子も露骨に嫌な顔をして眉間に皺を寄せたが、とにかく言葉を続けた。
そこまで女装や男に興味があるのならばその道に突き進んでみてはどうだろうか、このような一般人と同じ世界では肩身が狭い事など当たり前、女装好きでも職について、共通の趣味を持つ人々と交流を持っているはずだろうから、あなたも思い切ってそういった世界に入ってみた方が良いのかもしれない、と。
貴方は、貴方の信じた道を進めばいいと思うよ、などと可憐に笑みを浮かべてのたまのうのだから、冴子自身も、人はよくここまで進化できるものだなと密かに感心してしまうほどであった。放心状態の礼司を一瞥した後、肩に手を置き「私たちは友達よ、これからもね」などと言ってその場を後にしたのであった。
冴子は高校を卒業後、それなりの地元企業に就職し、事務の仕事に従事してそれなりに充実した生活を送っていた。もう、二十歳を過ぎた頃には男などを容易く手玉にとるほどの、魔性の女になっており、泣きを見る男もまた、それなりに居た。
ただ、冴子にとって不思議でならないことがある。それは礼司という男のことであったが、高校を卒業してから礼司とは一切会っていない。もちろん、高校生活は一対一で語り合った、もっとも一方的だったと言える会話の後も、冴子は礼司と普通に接していたし、礼司は礼司で幾分調子を取り戻したくらいで最後まで、一年の頃の輝きを取り戻す事はなかった。
本当ならば、二人はそのまま出会う事も無かったのだろうけれど、ある日突然、実家の方へ電話が掛かってきた、相手は礼司だった。
今度、テレビに出るから是非見てほしいと伝えてほしい。母から言われた言葉に冴子は妙に緊張したものだ。テレビに出るのだから、有名な人物となったのか、それとも得意分野で特集でもされるのだろうかなどと考えるはずもなく、冴子はとにかく恐ろしかった。自分の行いが暴露されてしまうのではないか、などと久しぶりに感じるとてつもない恐怖心と高校に入る前の冴子が身体の奥底から這い上がってくるような感覚にも襲われていた。
テレビは一週間後の深夜二時からやる番組に出演するとのことまでは知ったし、テレビ欄を確認したけれど、礼司の名前はない。芸名があるとか、一般人ゲストだから載ってないとか、無名だからとか、色々と考えられた。刻一刻と迫るテレビの時間に、冴子は悩んでいた。見るべきかどうかという事に他ならないが、それよりも今後の事が心配だった。もし暴露されてしまったらどうなるのだろう。同級生たちは自分のことだと気づくかもしれないし、実名など流れることはないだろうけど、万が一この放送後、就職先にでもタレこみが入ってしまっては非常に困る。
結局、冴子はテレビを見る事にした。どうなろうとも、しっかりと現実を受け止めようと腹をくくったところを見ると、ほとほと冴子という女は変わったと言える。今まではこんな決断などほいほい出来るはずも無く、いつまでもうじうじと悩んでいたのだから、これはこれで良い変化とも言える。
眠気を抑えつつもテレビを食い入るように見つめ、遂に番組が始まったが、どうやらローカルの番組で知っている芸能人は出ていない。やはり内容は特集だったが、特集内容で冴子は息を呑んだ、女装専門店と銘打った特集だったのだ。次々と紹介される女装好き専用の店の数々にあいた口が塞がらない冴子。やがては女装家やオカマ達が足しげく通うバーが紹介されて、冴子は思い切り声を挙げて笑った。
「なんだ、楽しんでるじゃない」
礼司は楽しそうに女装をして、女装家たちと語らい、笑みを浮かべてインタビューを受けていた。
その後、礼司、もとい礼華は女装家としてテレビへの露出が増えていき、冴子は冴子で礼華の出演する情報番組やらを自然と視聴するようになっていった。
<了>