王の休暇
竜の哀しみと一緒の世界観です。
人でなしの魔術師と、ゴーイングマイウェイの王様、やられキャラの騎士の掛け合いを楽しんでいただけたら幸いです。
フュールスという国が興ったのはつい最近のことであった。
元はサフィルスという国の南部に位置していた。サフィルス最後の王、マクドガナル三世は愚王であった。寵妃であったフローレンとの色欲に溺れ、自らの役目を忘れただ怠惰を貪った。奸臣により国政が行われ、国が乱れ始めるのにそれ程長い時間はかからななかった。
現在フュールスは、ロイレウスという名を王によって治められている。賢王との誉れも高く、またサフィルスから独立するのに力を尽くしたことから英雄王とも呼ばれている。
まだ新しく興ったばかりの国であるから、体制を整えるため多くの時間とそして労力が必要であった。そのため、賢王は毎日激務に励んでいた。
「リューシュル。」
「何ですか?」
「休みが欲しい。」
「無理ですね。」
「もう三ヶ月ほどろくに休んだ記憶がない。休ませてくれ。王が過労死したら困るだろう?」
「過労死?それ程陛下とほど遠い言葉はないように思いますけど。それに、この状況をみてそんなことを言える陛下の神経を疑いますが?」
十五畳ほどの広さがある執務室のなかは書類で埋まっていた。
ちなみに暢気に話しているように聞こえるが、二人の手は凄まじいスピードで動いている。
「いや、もう無理だ。限界を振り切ってしまっている。休みたくて仕方ないんだ。
後生だ、半日だけでもいいから休ませてくれ。」
「そう言われては仕方ありませんね。じゃあ今日の午後を休暇にしましょう。」
リューシュルはあくまでロイレウスの部下であり、休みの許可など本来必要ないことであるが、不思議と二人の間ではこれが不文律となっていた。
「喜べ、ラッセル。」
近衛騎士隊長の役割の一つとして、城の南端にある練習場で多くの兵士たちに訓練をつけているラッセルのところにロイレウスが突然やってきていった。
いきなり何だと思わないこともないが、この自由さに皆なれていたので誰も突っ込むものはいなかった。
「何がです?」
「今から休みになった。」
「それは良かったですね。」
「というわけでお前も休みだ。」
「はい…、と言いたいところですが、陛下が休み=私の休みというのが分かりませんね。それに訓練中ですし。残念ですが、一緒に休むことは出来ません。」
「仕事にまじめなのは良いことだな。しかし、命令だ。一緒に来い。それに、お前たちもこいつがいなくても大丈夫だろ?」
じっと様子を伺っていた兵士たちに向かって、王は尋ねた。
三十人ほどの兵士たちが了承を示すようにすぐに王に向かって敬礼をした。
「お前らなぁ…。」
その迷いのない行動にラッセルは脱力した。
「よし、決まりだ。」
満足そうに微笑んでラッセルに向き直った王は言った。
そのやりとりを見て突然舞い込んできた休暇を喜ぶべきか、部下たちに喜んで送り出されたことを悲しむべきかラッセルは頭を悩ませた。
行くぞ!ラッセル、と酷く楽しそうに先導する王と、酷く疲れた様子の近衛騎士隊長の二人組みは王の指示の元何処かへ向かっていた。
ようやく少し回復したのか、ラッセルが少しかすれた声でロイレウスに尋ねた。
「これから何処へ行くんですか?」
「湖だ。あいつに会いに行く。」
「マレースシアスですか?]
「そうだ。」
「どうしてですか?」
「暑いからだ。」
「そうですね。」
その言葉にラッセルは頷く。 太陽はようやく少し中天を越えたあたり、真夏の太陽の光は強く陽の下にいると焼かれるようだった。
ロイレウスがそう言ったのも無理からぬことだった。
「それに、俺はアウトドア派なんだ。」
にかり、といたずらっ子のようにロイレウスは笑った。とても嫌な予感がしたが、ラッセルはその言葉に何も返すことはなかった。
王宮の中には大きな湖があった。その湖に、一匹の水龍を招いたのはつい最近のことだった。龍は本来人とは相容れない存在である。しかし、マレースシアスという名の龍はなんとも珍しいことに人に慣れ、王宮の人々に愛されていた。
「マレースシアス、元気か?」
ラッセルが大きく声を上げると、その声に応えてのそりとこちらへ歩み寄ってきた。
ラッセルは度々、湖にやってきてマレースシアスと会話をしていた。
マレースシアスはとても穏やかな気性の龍だった。
「ところであれはなんですか?」
湖の手前に広い浴槽のようなものが置かれていた。いや、浴槽ではないようだった。深さが浴槽の五倍ほどもあったのだ。
「プールだ。」
「ぷーる?」
「そうだ。ここよりもずっと南にある暑い国々では、このようなものに水を入れて水遊びをするらしい。だから一緒にやろう、ラッセル?」
白い歯を見せて、ロイレウスは爽やかに言った。
「りゅ、リューシュルは何処に?」
「別件で出ている。」
「私はあまり泳げないのですが…。」
言外に泳げないということを言ってみる。
「知っている。しかし、そんなの俺は知らん。」
「マレースシアス、水を入れてくれ。」
マレースシアスが心配そうに見ながら、プールに水を満たした。」
その時ラッセルは死ぬ覚悟をした、と後に語った。
「どうだ?案外楽しいものだろう?」
「はい。」
とりあえずプールの端っこにつかまって真っ青な顔をしながらラッセルは耐えていた。
ロイレウスは楽しそうにプール中を自由に泳いでいた。
「何ですか、この楽しい光景は。」
暑さを感じさせないような涼しい声が、ラッセルの耳に届いた。
「リューシュル、出来たか?」
「ええ。お待たせいたしました。」
のろのろと首を動かして、リューシュルを見ると手にお盆を持っていた。
「よし、ラッセル食べるぞ。」
先にざばざばと水を掻き分けて陸に上がったロイレウスを見送り、ラッセルはゆっくりと行動を始めた。
この時ほどこいつの登場に感謝したことはなかった、と後にラッセルは語った。
ようやくの思いでラッセルが陸に上がると、大きなパラソルの下にテーブルが用意されており二人が寛いでいた。
「ようやく来たな。」
「本当に遅いですよ。」
もう何とでも言うがいい。死地から這い上がった後の人間にはどんな嫌味も通用しない。
そう思いながらテーブルの上に視線をやるとそこには珍妙なお菓子が存在していた。
黄色いプルプルしたものが白い陶器の器の中に入っている。
「これは何ですか?」
今日はえらく何度もこの言葉を使うな、と思いながらラッセルは尋ねた。
「プリンだ。」
「ぷりん?」
「そうだ。ここよりずっと西の国では暑さに負けぬようにとこの菓子を作って食べるらしい。」
「そうなんですか…。」
「シェフもよくこんのお菓子を知っていましたね。」
感心しながら白い陶器の器を左右に揺らす。
ぷるぷるして面白かった。
「いいえ、私が作りました。」
涼しい顔をしてリューシュルが手を挙げた。
「お前が?」
「ええ。」
―想像する。
エプロンをつけ、材料をかき混ぜたり、オーブンに火をつけたりする姿を。
恐ろしい。
「ちょっと待て。もしかして、プールも?」
「ああ。もちろんリューシュルが教えてくれたぞ。」
じろりと睨むとにこやかに微笑み返された。
全ての元凶は一人の男。
「お前のせいか~。」
自分の道を行く王と人でなしの魔道師に囲まれた近衛騎士隊長が哀れだ、という声が城でよく囁かれているのも無理からぬ事。
またプリンとプールが広く人々に親しまれることになったのはまた別のお話。