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夕焼けを買おう

作者: 菜の花
掲載日:2026/05/30


 真っ白な砂浜。空まで続いていそうな広い海。彼女と並んで座る夕暮れ時。

 僕は彼女が好きだったし、彼女も僕と二人で出かけることを良しとしてくれている。彼女も僕に気があるのではないか。そう思うには十分すぎるほど、彼女は僕の隣にいた。


 完璧だった。告白するには絶好の機会だった。

 というのに、だ。


「雨、降っちゃいそうだね……」

「……だね」


 空を覆うのは真っ黒の雨雲。どうして。

 夕日が落ちるその瞬間に、告白しようと思っていたのに、これではできないじゃないか。

 足元の砂を踏みしめる。柔らかい砂だからか、ついた足跡はすぐに消えた。雨雲もこんなふうに、ぱっとなくなってしまえばいいのに。


────ああ、そうだ。


 僕はポケットに手を入れた。指先に触れたのは財布と、小さなコインが五枚。


「飲み物、買ってくるよ。何がいい?」

「ありがと。じゃあ……ホットコーヒーで。なかったらおまかせ!」


 おっけいと笑ってから立ち上がり、浜の端にある自動販売機でホットコーヒーと緑茶を買う。それからその隣にある古びた自動販売機に目を向けた。


『夕焼け 二コイン』

『振られても傷まない夕焼け 三コイン』

『夜空 二コイン』

『傷んだ心を癒す夜空 三コイン』


 少し迷ってから、二枚のコインを入れる。レバーを押したその瞬間、カチリ、と軽い音。

 ゆっくりと振り返る。


 さっきまで空を覆っていた雲は、どこにもなかった。橙色の空と、それが映る海。その海の向こう側へ引きずられて、沈んでいく太陽。


 駆け足で彼女のもとに戻る。高揚した気分に蓋をして、なんともないようにホットコーヒーを手渡す。


「ありがとう。ねえ、さっき空が……急にね」

「晴れてよかった。夕日、綺麗だね」


 彼女は不思議そうに空を見つめていたけれど、すぐにふっと笑った。雨雲さえ吹き飛ばしてしまいそうな、爽やかな笑顔だった。

 今だ!


「あのさ、」


 うん?

 彼女は小首を傾げる。目が合う。丸い瞳に、溶けてしまいそうな目尻。

 ああ、こんなの。


「好きです。僕と、付き合ってくれませんか」


 一瞬の沈黙。その間に、夕日は海の向こうに消えて、辺りは暗くなった。波の音が、やけに大きく聞こえる。

 彼女は目を瞬かせて、それから、困ったように笑った。


「ええと……ごめん。友達としては好きだけど、恋人には見られない、かな」


 波の音が、ずっと遠くで聞こえる。胸の奥に蓋をした高揚は、知らぬ間に冷めていた。


「そっ……か、そうだよね。うん、ありがと」


 ごめんね、と僕は笑う。困ったように、頬を引きつらせて笑う。

 彼女も少し気まずそうに笑って、視線を海に戻した。浮かび始めた星の映る海は、憎らしいほど綺麗だった。


 こんなことになるなら、振られても傷まない夕焼けを買っとくべきだった。後悔してももう遅い。


 ポケットの中に手を入れる。シャラッと軽いコインの音。夕焼けに二枚使ったから、残りは三枚。


────よし、これで、傷んだ心を癒す夜空を買おう。

ご覧いただきありがとうございました。

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