第9話 覚醒とプロポーズ
「陛下、医学的には完全に健康体です」
王城の医務室で、レイン補佐官がカルテを見ながら淡々と告げた。
「心拍数正常、血圧正常。魔力回路の澱みもなし。夢魔の呪いは完全に消滅しています。つまり……」
レインさんは眼鏡をクイッと押し上げ、結論を述べた。
「もうスリーピア様がいなくても、一人で眠れるはずですよ」
その言葉に、カイザー陛下は腕を組んで眉をひそめた。
帝国の平和は戻った。
ソルネア軍との「お昼寝戦争」に勝利した後、ソレイユ王子たちはすごすごと帰国し、両国の間には不可侵条約が結ばれた。
外敵も呪いも消えたのだ。
それなのに。
「……眠れん」
陛下は不服そうに呟いた。
「昨夜、一人で寝てみたがダメだった。布団が広く感じて落ち着かない。枕が冷たすぎる。何より……匂いがしない」
「匂い、ですか」
「ああ。あいつの、日向のような匂いがしないと、心臓がざわつくのだ」
レインさんは大きなため息をつき、やれやれと首を振った。
「陛下。それは不眠症ではありません」
「なんだと? では何だ」
「ただの『恋』です」
◇
一方、私はいつものように執務室のカウチでゴロゴロしていた。
窓の外は快晴。
平和って素晴らしい。
誰にも邪魔されず、好きなだけ二度寝ができる。
「……ふあぁ」
マシュマロ一号に顔を埋めながら、私はぼんやりと考えていた。
契約の目的だった「不眠の呪い」は解けた。
ということは、私はもう用済みだろうか?
そろそろ、このフカフカのカウチともお別れなのだろうか。
そう思うと、なぜか胸の奥がチクリと痛んだ。
最高級の羽毛よりも、陛下の硬い腕の中の方が、ずっと暖かかった気がする。
「……贅沢病ですねぇ」
私が自分自身に呆れていると、執務室の扉が開いた。
カイザー陛下が入ってくる。
レインさんは気を利かせたのか、入ってこない。
「……スリーピア」
「おかえりなさい、陛下。お仕事は?」
「今日は休みだ」
陛下はまっすぐに私の方へ歩いてきた。
いつもと雰囲気が違う。
足音が迷いなく、けれどどこか緊張しているような。
彼は私のカウチのそばまで来ると、突然その場に片膝をついた。
「えっ? へ、陛下?」
騎士の礼ではない。
これは、まるで求婚のポーズだ。
「スリーピア。聞いてくれ」
彼のアメジスト色の瞳が、逃がさないとばかりに私を射抜く。
「呪いは解けた。俺はもう、魔法に頼らなくても生きていけるらしい」
「……そう、ですね。良かったですねぇ」
私は視線を逸らそうとした。
お別れの言葉なら、聞きたくないと思ったから。
けれど、陛下は私の手を取り、その甲に熱いキスを落とした。
「だが、俺には貴様が必要だ。安眠のためではない。俺が俺であるために」
「……はい?」
「貴様が隣にいない夜は、寒くて味気ない。貴様がいない朝は、色が褪せて見える。……俺は、貴様に惚れているのだ」
直球すぎる告白に、私の眠気は完全に吹き飛んだ。
顔が熱い。
心臓がうるさいくらいに鳴っている。
「け、契約書には、そんな条項ありませんでしたけど……」
「だから、新しい契約を結びたい」
陛下はポケットから、小さな箱を取り出した。
パカッと開くと、中には私の瞳と同じ色をした、大粒の宝石の指輪があった。
……よく見ると、宝石の台座が小さな枕の形をしている。
「スリーピア。俺の妻になってくれ」
彼は真剣そのものだった。
「一生、俺の隣で寝てくれないか。貴様の寝顔を、死ぬまで独占したい」
なんて自分勝手で、甘美なプロポーズだろう。
「愛してる」と言われるよりも、「隣で寝てくれ」と言われる方が、私には何倍も響く。
私は指輪を見つめ、それから陛下の顔を見た。
不安そうに揺れる瞳。
断られたらどうしよう、という恐怖が見え隠れしている。
あの「狂犬皇帝」が、まるで恋する少年のようだ。
(……仕方ないですねぇ)
私はふふっと笑って、彼の手のひらに自分の手を重ねた。
「条件がありますよ、カイザー」
「……なんだ。国でも城でも、なんでもやる」
「いいえ。毎晩必ず、私が眠るまで腕枕をすること。そして、朝は優しくキスで起こすこと。……守れますか?」
陛下はぱぁっと顔を輝かせた。
それは今まで見たどの笑顔よりも、無防備で幸せそうな顔だった。
「ああ、誓う。俺の命にかけて」
彼は震える手で、私の薬指に指輪をはめた。
サイズはぴったりだった。
「……これから毎日、貴様と眠れるのか」
「ええ。覚悟してくださいね。私の寝相、たまに悪いですから」
陛下は私を抱き寄せ、カウチの上へとなだれ込んだ。
重なる体温。
安心する匂い。
「愛している、スリーピア」
「……私もですよ、カイザー」
私たちはそのまま、午後の陽だまりの中で長いキスをした。
これからは契約上の「抱き枕」ではなく、愛する「妻」として。
私のスローライフ計画は、最高の結果を迎えたようだった。




