第7話 元婚約者の勘違い
地響きが、私の心地よいまどろみを揺らした。
ノクス帝国とソルネア王国の国境にある平原。
そこを埋め尽くすのは、きらきらと無駄に輝く金色の鎧の集団だった。
ソルネア王国の正規軍、三万。
「……眩しいですねぇ」
私は輿の上で、日傘をさしながら呟いた。
戦場に輿で来るなんて不謹慎かもしれない。
でも、カイザー陛下が「俺の聖女を歩かせるな」と言うので、最高級のクッションを敷き詰めた特等席で運ばれてきたのだ。
「チッ……朝っぱらから大行列か。暇人どもめ」
隣で馬に跨るカイザー陛下が、不機嫌そうに舌打ちをした。
彼の愛剣はすでに抜かれており、その身からは隠しきれない殺気が漏れている。
せっかく改善された彼の睡眠リズムが、この騒音で乱れそうだ。
「スリーピア! ああ、可哀想なスリーピア!」
敵陣の先頭から、やけに通る大声が響いてきた。
白馬に乗った金髪の青年。
元婚約者、ソレイユ王子だ。
彼は私を見つけるなり、悲劇のヒーローのような顔で叫んだ。
「無事だったか! その輿……なんと痛ましい! 『狂犬皇帝』に自由を奪われ、人形のように扱われているのだな!」
「いえ、歩くのが面倒なだけですが」
私の小声は届かない。
ソレイユ王子は勝手に涙ぐみ、演説を続けた。
「騙されるな、我が兵士たちよ! 彼女は『聖女』などではない! ただの怠け者だ! だが、その希少な魔力だけは利用価値がある。悪の皇帝は彼女を洗脳し、国益のために搾取しているのだ!」
王子は剣を天に掲げた。
「僕が目を覚まさせてやる! スリーピア、こっちへ戻ってこい! そして僕の管理下で、朝五時から夜十時まで規則正しく働くのだ! 怠惰な根性を叩き直し、勤労の喜びを教えてやる!」
その言葉を聞いた瞬間。
私の背筋に、冷たいものが走った。
(……朝五時起き?)
(残業?)
(勤労の喜び……?)
脳裏に蘇る、前世の記憶。
満員電車。
終わらない会議。
そして、ソルネア王国での窮屈な日々。
「……嫌です」
私はボソリと呟いた。
あそこに戻れば、私の「一日十時間睡眠」は夢のまた夢になる。
最高級のカウチも、スライム枕も、お昼寝タイムもない。
あるのは「努力」という名の強制労働だけ。
「地獄ですねぇ……」
私の拒絶反応を感じ取ったのか、カイザー陛下が低く笑った。
「聞いたか、ソレイユ王子」
陛下の声は静かだったが、戦場全体を凍らせるほどの威圧感があった。
「彼女は『嫌だ』と言った。それに……搾取だと?」
陛下は私を見た。
その瞳には、狂気的なまでの独占欲と、深い愛情が宿っている。
「俺は彼女に何も強要していない。ただ、寝ていてもらっているだけだ。彼女の寝顔こそが、俺の、いや帝国の至宝なのだからな」
陛下は切っ先をソレイユ王子に向けた。
「俺の安眠を奪い、労働という名の拷問を与えようとする愚か者よ。……ここで土に還り、永劫の眠りにつくがいい」
ドッ!
カイザー陛下の殺気に呼応するように、ノクス軍の黒騎士たちが一斉に武器を構えた。
歴戦の猛者たちが放つプレッシャーに、ソルネア軍の馬たちが怯えて嘶く。
「ひっ……!」
ソレイユ王子の顔が引きつった。
でも、彼は退かない。
彼には彼なりの(歪んだ)正義があるからだ。
「や、野蛮人め! 全軍突撃! 怠惰な聖女を奪還し、矯正施設へ送るのだ!」
「うおおおお!」
ソルネア軍が動き出した。
三万の軍勢が、地響きを立てて迫ってくる。
「……させん。灰になれ」
カイザー陛下もまた、愛馬の腹を蹴ろうとした。
このままでは大惨事になる。
血が流れれば、その処理や清掃で、また誰かが残業することになる。
それは私の美学に反する。
「……陛下、ストップです」
私は輿の上から、陛下のマントの裾を引っ張った。
「スリーピア? 離せ、あいつらは害虫だ」
「血の匂いは安眠の妨げになります。お洗濯も大変ですし」
私はのっそりと輿から降りた。
マシュマロ一号を小脇に抱え、戦場の最前線へと歩み出る。
「おい、危ないぞ!」
「スリーピア様!?」
周囲の制止を無視して、私は大きくあくびをした。
敵軍が迫ってくる。
怒号と蹄の音が、耳障りだ。
「……本当に、うるさいですねぇ」
私は空を見上げた。
青空に白い雲がぽっかりと浮かんでいる。
絶好のお昼寝日和だ。
こんな日に戦争なんて、ナンセンスにも程がある。
「皆さん、少し働きすぎです」
私は体内の魔力回路を全開にした。
今まで溜め込んでいた「睡眠欲」を、広範囲魔法へと変換する。
「お昼寝の時間ですよ」
ソレイユ王子、そして三万の兵士たち。
彼らに、私のとっておきの「強制休息」をプレゼントしてあげましょう。




