第5話 伝説の素材とスライム枕
「首が痛い」
朝の光が差し込む執務室で、カイザー陛下が不機嫌そうに呟いた。
執務机の上には、書類の山ではなく、数種類の枕が並べられている。
最高級の羽毛、低反発のスポンジ、蕎麦殻、さらには薬草を詰めたものまで。
レインさんが国中から取り寄せた一級品ばかりだ。
けれど、陛下はどれを試しても眉間の皺を深めるばかりだった。
「どれも違う。貴様の膝に比べると、硬すぎるし、高さが合わん」
「私の膝は商品化できませんからねぇ」
私は窓辺のカウチで、マシュマロ一号を抱きしめながら答えた。
陛下は最近、私のそばにいることで眠れるようにはなった。
けれど、長年の呪いの後遺症か、眠りの質がまだ完璧ではないらしい。
時折、うなされて目を覚ますことがある。
「私の魔力で空気は浄化していますけど、物理的な寝具の問題ですね」
私はむくりと起き上がり、陛下の隣へ歩み寄った。
彼の首筋に手を当てる。
熱い。
呪いの残滓が熱を持って、安眠を妨げているのだ。
「普通の素材じゃダメです。熱を逃しつつ、頭の形に完璧にフィットする流動性が必要です」
「流動性?」
「ええ。今の陛下に必要なのは、冷んやりしてぷるぷるな『ドリーム・スライム』の核です」
ドリーム・スライム。
それは魔力を食べて生きる希少なスライムの一種で、その体液は最高の冷却ジェル素材になる。
ただし、生息地は帝都の地下深くに広がる「奈落のダンジョン」のみ。
「スライムか。……よし、行くぞ」
陛下は立ち上がり、壁に掛けてあった剣を手に取った。
「え? 誰に行かせるんですか?」
「俺と貴様だ」
「はい? ダンジョンなんて湿気が多くてカビ臭い場所、私はパスですぅ」
私が拒否権を行使しようとすると、陛下はニヤリと笑って私に近づいた。
「デートだ、スリーピア」
「……は?」
「レインが言っていた。男女が共に出かけるのをデートと言うとな。俺は貴様とデートがしたい」
その言葉の響きに、私は不覚にも少しだけ目が覚めた。
不眠症で凶暴だった皇帝陛下が、デートなんて単語を知っていたとは。
しかも、その顔は本気で楽しそうだ。
「……はぁ。仕方ありませんねぇ。最高の枕のためです」
私はため息をつきつつ、マシュマロ一号を小脇に抱えた。
安眠のためなら、ダンジョンの底までも。
それが私の流儀だ。
◇
「奈落のダンジョン」は、予想通り薄暗くてジメジメしていた。
岩肌からは水滴が垂れ、遠くで魔物の咆哮が聞こえる。
普通なら恐怖で足がすくむ場所だ。
けれど、私の足は地についていなかった。
「……陛下、揺れます」
「我慢しろ。貴様の足では遅すぎる」
私は現在、カイザー陛下に片腕で抱えられて移動していた。
米袋のような運び方だが、意外と安定感がある。
彼の鍛え上げられた腕は、高級家具のフレームのように頑丈だ。
「グルルルゥ……!」
通路の奥から、巨大な牙を持つオーガが現れた。
身長は三メートル以上。
棍棒を振り上げ、こちらへ突進してくる。
「邪魔だ」
陛下は私を抱えたまま、迷わず踏み込んだ。
銀色の閃光が走る。
ズドン。
一撃だった。
オーガは何が起きたのかも理解できずに両断され、霧となって消滅した。
「……強いですねぇ」
「雑魚に構っている暇はない。俺たちの目的はスライムだ」
陛下は剣を振って血糊を飛ばし、何事もなかったかのように進んでいく。
その背中は頼もしいを通り越して、災害レベルだ。
私はこの最強の護衛に守られながら、うつらうつらと船を漕ぐだけでいい。
「あ、陛下。あそこ」
私はあくびをしながら、岩陰を指差した。
薄ピンク色に発光する、ぷるぷるとした物体がいる。
ドリーム・スライムだ。
「あれか」
陛下が殺気を放った瞬間、スライムがビクリと震えて逃げ出した。
「待て! 逃がさん!」
「陛下、ストップ。殺気を出したら縮んで硬くなりますぅ」
私は陛下を制止し、自分の指先に魔力を集めた。
甘い、眠りを誘う魔力。
それをシャボン玉のように飛ばす。
スライムは私の魔力に気づくと、ピタリと止まり、嬉しそうに飛びついてきた。
「ぷる?」
「はいはい、いい子ですねぇ。ご飯ですよ」
スライムが私の魔力を吸収して、とろりとリラックスした状態になる。
その隙に、私は魔法で保存瓶へと誘導した。
「捕獲完了です」
「……貴様、魔物まで手懐けるのか」
陛下が呆れたように言った。
「睡眠欲は万国共通、全種族共通ですから」
私たちは必要な量のスライム素材を集めると、早々にダンジョンを後にした。
所要時間、わずか三十分。
デートと言うにはあまりにあっさりとした、素材狩りだった。
◇
城に戻ると、私はすぐに加工に取り掛かった。
スライムの核から不純物を取り除き、私の「夢魔法」で柔軟性を固定する。
それを特注のシルクカバーに詰め込めば、完成だ。
「できました。『ひんやりぷるぷる枕・改』です」
出来上がったのは、淡い桜色をした枕。
触れると適度に冷たく、押せば心地よい弾力で押し返してくる。
「……ほう」
陛下は興味津々で枕を受け取った。
そして、執務室のカウチへ横になる。
頭を乗せた瞬間、彼の目が大きく見開かれた。
「……!」
頭の重みが、スライムの流動性によって完璧に分散される。
首への負担が消え、こもっていた熱がすぅっと引いていく感覚。
「どうですか?」
「……すごい。頭が水に浮いているようだ」
陛下の表情が、とろけるように緩んだ。
張り詰めていた神経が、強制的にオフにされていく。
「これなら、貴様の膝がなくても眠れるかもしれん」
「それは良かったです。私の足も痺れずに済みますし」
私がそう言うと、陛下はふと寂しげな顔をして、私の手首を掴んだ。
「……だが、何かが足りん」
彼は私をぐいっと引き寄せた。
私はバランスを崩し、カウチの上の陛下の胸元へ倒れ込む。
「へ、陛下?」
「冷たくて気持ちいいが、温もりが足りん。……やはり、貴様もセットでないとダメだ」
陛下は私の腰に腕を回し、スライム枕に頭を預けたまま、満足げに目を閉じた。
「この枕と、貴様の体温。これで完璧だ」
「……あの、それじゃあ結局、私は動けないのでは?」
「諦めろ。俺は欲張りな皇帝なのだ」
陛下の寝息は、すぐに深く、穏やかなものへと変わっていった。
スライム枕の効果で、以前よりもずっとリラックスしているのが分かる。
彼の顔から、苦悶の影は完全に消えていた。
その無防備な寝顔を見ていると、私の胸の奥が少しだけトクンと跳ねた。
ただの契約関係。
安眠のための利害の一致。
そう思っていたけれど。
(……こんなに安心して眠られると、悪い気はしませんねぇ)
私は諦めて、彼の腕の中で力を抜いた。
彼の心臓の音が、心地よいリズムで私に伝わってくる。
「おやすみなさい、カイザー」
私はこっそりと、彼の名前を呼んだ。
これは夢魔法の副作用だろうか。
それとも、この温かさが私を変えているのだろうか。
スライム枕のひんやりとした感触と、彼の熱い体温の狭間で、私もまた幸せな微睡みへと落ちていった。




