第10話 世界一幸せな寝室
鐘の音が、雲ひとつない青空に吸い込まれていく。
ノクス帝国の帝都グラウスは、今日一番の輝きに包まれていた。
街中が花で飾られ、国民たちが通りを埋め尽くして歓声を上げている。
かつての「暗い不眠の国」の面影はもうない。
みんな、よく寝て、よく笑い、肌艶もいい。
「……重いですぅ」
私は大聖堂のバルコニーで、手を振りながら小さく呟いた。
純白のウェディングドレスは、最高級のシルクとレースをふんだんに使った特注品だ。
美しいけれど、布団のような軽さはない。
「我慢しろ、スリーピア。これが皇帝妃の務めだ」
隣に立つカイザーが、引きつった笑顔で国民に手を振り返している。
正装に身を包んだ彼は息を呑むほど格好いいけれど、その目はどこか泳いでいた。
「……早く終わらんのか。披露宴など省略して、今すぐ部屋に戻りたい」
「陛下、声が漏れてますよ」
彼は私と二人きりになりたくて仕方がないらしい。
もちろん、色っぽい意味もあるだろうけれど、本音はもっと切実だ。
昨夜は結婚式の準備でバタバタして、二人とも睡眠時間が六時間を切っているのだ。
「寝不足は美容の敵です。早く帰りましょう」
「ああ。俺たちの城(寝室)へ」
◇
披露宴を驚異的なスピードで終わらせ(挨拶は短縮、ケーキカットは一刀両断)、私たちは逃げるように最奥の部屋へと向かった。
重厚な扉を開ける。
そこは、私たちが心血を注いで作り上げた「究極の寝室」だ。
「……素晴らしい」
カイザーが感嘆の息を漏らした。
広さはダンスホール並み。
床には雲の上を歩くような深毛の絨毯。
窓には遮光率一〇〇パーセントかつ通気性抜群の魔法のカーテン。
そして部屋の中央には、キングサイズどころか「エンペラーサイズ」の巨大なベッドが鎮座している。
マットの中身は、伝説の羊毛とスライム素材のハイブリッド。
掛け布団は、空気のように軽く、陽だまりのように温かい最高傑作だ。
「さあ、儀式の続きだ」
カイザーは窮屈な正装を脱ぎ捨て、お揃いのシルクのパジャマに着替えた。
私も重たいドレスから解放され、滑らかな肌触りのネグリジェに身を包む。
「……最高ですぅ」
私はベッドにダイブした。
体がふわりと受け止められ、沈み込むことなく支えられる。
マシュマロ一号とスライム枕が、私とカイザーを待っていた。
「ここが俺たちの世界のすべてだ」
カイザーも隣に潜り込み、慣れた手つきで私を腕の中に閉じ込めた。
彼の体温が伝わってくる。
スライム枕の冷たさと、彼の熱。
このバランスこそが、私にとっての至上の安らぎだ。
「……そういえば、レインから報告があったぞ」
カイザーが私の髪を撫でながら、ぽつりと言った。
「ソルネア王国だが、国民の過労死と亡命が相次ぎ、経済が破綻寸前らしい。ソレイユ王子は『眠ったら負けだ』と叫んで不眠不休で働いているが、成果は出ていないそうだ」
「……かわいそうに」
私はあくび混じりに答えた。
休息を知らない人間に、良い仕事はできない。
簡単な真理なのに。
一方、我がノクス帝国は、私が導入した「お昼寝制度」と「定時退社」のおかげで、生産性が劇的に向上した。
兵士は強く、職人はいい物を作り、魔法使いはミスをしない。
今や大陸一の豊かな国になりつつある。
まさに、寝る子は育つ、だ。
「俺は運が良かった」
カイザーが私の額にキスを落とした。
その瞳は、とろけるように甘い。
「貴様という安らぎに出会えたからな。……愛している、スリーピア」
「私もですよ、あなた」
私は彼の胸に頬を擦り寄せた。
窓の外からは、まだ微かに祝福の鐘の音が聞こえる。
けれど、今の私たちには、この静寂と温もりだけで十分だった。
「では、公務に入りましょうか」
「公務?」
「ええ。世界平和のために、全力で眠るという公務です」
カイザーはふっと笑い、私をさらに強く抱きしめた。
「承知した。……おやすみ、俺の愛しい妻よ」
「おやすみなさい、カイザー」
まぶたを閉じる。
意識が温かい海へと溶けていく。
明日もきっと、気持ちよく目覚められるだろう。
だって、大好きな人と、最高のベッドが待っているのだから。
私たちは幸せな微睡みの中へ、仲良く手をつないで落ちていった。
(完)
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