第1話 追放された居眠り令嬢
「スリーピア・ド・ロウ! 貴様との婚約を、今この瞬間をもって破棄する!」
王立学園の卒業パーティー会場。
シャンデリアの煌めきよりも甲高い声が、広間に響き渡った。
声の主は、このソルネア王国の第一王子、ソレイユ殿下だ。
彼は整った金髪を振り乱し、壇上から私を指差している。
周囲の貴族たちがざわめき、蔑みの視線を私に向けた。
「ああ、またあの令嬢か」
「いつも船を漕いでいる怠け者ね」
「太陽の国にあるまじき無気力さだわ」
そんな囁きが聞こえてくるけれど、今の私にとってはどうでもいいことだった。
なぜなら、今の時間は夜の七時。
私にとっては、夕食後の至福の微睡みタイムだからだ。
私はあくびを噛み殺しながら、ゆっくりとカーテシーをした。
「……謹んで、お受けいたしますぅ」
私の気の抜けた返事に、ソレイユ殿下は顔を真っ赤にした。
「なんだその態度は! 悔しくないのか! 貴様はいつもそうだ。お茶会の最中に居眠りし、ダンスのレッスンでは立ったまま寝る。勤勉こそ美徳とされる我が国で、貴様のような怠惰な女は恥晒しなのだ!」
殿下の言葉はもっともだ。
この国は太陽神を崇拝している。
早起きは善、残業は美徳、汗水流して働くことこそが正義。
そんな国民性だ。
でも、言い訳をさせてもらえるなら。
私はサボっているわけではない。
ただ、眠いだけなのだ。
私には、前世の記憶がある。
かつての私は、ブラック企業で働く社畜だった。
終電帰りは当たり前、休日出勤は義務。
睡眠時間は平均三時間。
そしてある日、デスクに突っ伏したまま二度と目覚めなかった。
だから、この世界に転生した時、私は誓ったのだ。
もう二度と、無理はしない。
私の人生の優先順位第一位は「安眠」であると。
「貴様のような役立たずは、次期王妃にふさわしくない! 国外追放を命じる! 今すぐこの国から出て行け!」
ソレイユ殿下が勝ち誇ったように宣言する。
会場中が、私の悲鳴や泣き声を期待して静まり返った。
けれど、私の胸中に湧き上がったのは、歓喜のファンファーレだった。
(やった……!)
私は必死に口角が上がるのを抑えた。
王妃教育という名の早朝マナー講座。
毎朝五時に叩き起こされる苦行。
公務という名の無限の奉仕活動。
それらすべてから、今、開放されたのだ。
「……承知いたしました。今までお世話になりました」
私はもう一度深く頭を下げ、踵を返した。
背後で殿下が「待て! 泣いて縋らないのか!?」と叫んでいるのが聞こえたけれど、私の耳には届かない。
私の頭の中は、これからの「スローライフ計画」でいっぱいだったのだから。
◇
実家であるロウ侯爵家に戻ると、すでに荷物はまとめられていた。
父も母も「勤勉」を絵に描いたような人々だ。
居眠りばかりの娘は、出世の妨げでしかなかったらしい。
「二度と敷居を跨ぐな」
父の冷たい言葉と共に、私は屋敷の外へ放り出された。
手元にあるのは、わずかな手切れ金と、愛用の枕だけ。
普通なら絶望して泣き崩れる場面かもしれない。
夜風は冷たく、行き先などないのだから。
けれど、私はふふっと笑みをこぼした。
「やっと、自由になれましたぁ……」
私は愛用の枕を抱きしめた。
これは私の手作りで、中には最高級の水鳥の羽毛が詰まっている。
名前は「マシュマロ一号」。
私の唯一無二の相棒だ。
さて、これからどうするか。
当てもなく放り出されたわけではない。
私には行きたい場所があった。
「北へ行こう」
ソルネア王国の北に位置する大国、ノクス帝国。
そこは実力主義の軍事国家として恐れられているけれど、私にとっては聖地だった。
なぜなら、ノクス帝国の高地には、伝説の羊「ドリーム・シープ」が生息しているという噂があるからだ。
その羊毛で作った布団は、雲の上のような寝心地だという。
最高の寝具を作る。
それが今の私の、生きる目的だった。
私は街道を行く乗り合い馬車を拾った。
御者の男性が、怪訝な顔で私を見る。
「嬢ちゃん、こんな時間に国境越えか? 北の森は危ないぞ。最近、帝国の『狂犬皇帝』が演習でうろついてるって噂だ」
「大丈夫ですぅ。私、どこでも寝られますから」
「……会話が噛み合ってねえな」
御者さんは呆れつつも、私を荷台に乗せてくれた。
ゴトゴトと揺れる馬車のリズム。
硬い木の荷台。
決して快適とは言えない環境だ。
けれど、私にとっては揺り籠のようなもの。
私はマシュマロ一号を頭の下に敷き、ショールにくるまった。
前世では、電車の吊り革に掴まったまま寝たこともある。
それに比べれば、足を伸ばして横になれるだけ天国だ。
「おやすみなさい、世界……」
私は目を閉じる。
意識がまどろみの中へと落ちていく。
私には秘密があった。
私はただ寝ているだけではない。
睡眠中、無意識下で魔力を練り上げ、精神を安定させる特異体質。
私が勝手に名付けた「夢魔法」の使い手なのだ。
眠れば眠るほど、私の魔力は回復し、純度を増していく。
周囲の人々はそれを「怠け癖」と呼んだけれど、これは立派な修行なのだ。
馬車は夜の街道を北へと走る。
国境の森が近づくにつれて、空気は冷たく、重くなっていく。
まだ私は知らない。
その森の先で、運命の出会いが待っていることを。
そして、私の安眠への渇望が、一人の男の人生を劇的に変えてしまうことを。
深い森の奥で、何かが蠢く気配がした。
けれど、私はすでに夢の中だった。




