第1章「拾光」 第1話 拾雫
雨は、朝から降り続けていた。
街を走る車のライトが路面に滲み、灰色の空から落ちる雫だけが一定のリズムを保っている。
――人が変わるには、どれほどのきっかけが必要なのだろう。
そんな問いを胸の奥で反芻しながら、
俺――久慈斗真は、しけた商店街の裏路地を歩いていた。
探偵を名乗る身だが、実績はほとんどゼロ。
今日も依頼はなく、あるのは薄っぺらい財布だけ。
このままじゃ、事務所の家賃すら危ない。
「はあ……うだつ、上がらなすぎだろ俺」
雨に混じってため息が落ちた、そのときだった。
――ぴちゃ。
路地奥、ゴミ袋の影。
水たまりとは違う奇妙な音が耳に残った。
「ん?」
近づこうとした瞬間。
――ぴち、ぴちん。
小さな跳ねる音。
人の気配はない。猫でもない。
僅かに光るものが、黒いビニール袋の下からとろん、と流れ出すように動いた。
「は……?」
それは、半透明の塊だった。
ビー玉ほどの青い光を内に抱き、ぷるりと震える。
形を持たないようでいて、確かに意思のようなものを感じる。
俺が手を伸ばした瞬間――
「……さむいよ……」
小さな、小さな、泣き声。
男でも女でもない、幼い鈴のような声。
心臓が跳ねた。
いま、こいつ喋ったか?
「お、お前……生き物……なのか?」
塊が、俺の足元へ寄ってきて、傘の内側に収まるように震えた。
まるで、雨が怖いとでも言うように。
無意識に、拾い上げていた。
手のひらに乗せると、ひんやりしているが、不思議と嫌な感触じゃない。
「寒いのか」
問いかけると、ぷるんと揺れ、
淡い青光がぽっと強まる。
それが、頷きのように見えた。
「……しゃべれるのか?」
しばし沈黙――そして。
「……とま……」
「え?」
音を分けるように、ゆっくりと。
「……トマ?」
俺の名前を呼んだ――ように確かに聞こえた。
背筋に冷たいものが走る。
こいつ、ただの生物じゃない。
「お前……どこで……」
言いかけたとき、
路地の奥でガタンッと大きな音がした。
反射的に振り返ったが、人影はない。
ただ、寒気だけが背中を撫でていく。
胸騒ぎがする。
「……ひとまず、事務所に行こう」
スライムらしきそれを胸に抱え、
雨に煙る路地を抜けた――その瞬間。
胸の中で、透明な声がそっと響いた。
「……ありがとう、トマ……」
なぜか、泣きそうになった。
理由はまだ、わからない。
ただこの出会いが、
俺の人生をすべて変えることになると――
そのときの俺は、知る由もなかった。




