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第2章1話:昼休みのからあげは戦場である

──導入:異文化への驚き──


「田辺さん、昼どうするんスか?」


声をかけてきたのは、私よりも年若き同僚、朝倉なな。

髪は明るめの栗色で、制服のスカートは少々短め。

見た目こそ軽やかだが、入社三年目らしく社内事情には詳しい。


「え? 昼食なら……この庁舎の一角に、給食のようなものが用意されているのでは?」


「いやいや! 公立中学校か!」

笑いながら、朝倉氏は私の肩を叩いた。少々馴れ馴れしいが、悪い気はしない。


「この職場、ランチは“自力確保”なんスよ。買いに行くか、持ってくるか、選択肢はふたつだけ」


「なんと……個人の自由裁量に委ねられていると……」


私は内心、驚きを隠せなかった。

かつての貴族生活では、時間になれば温かい食事が丁重に配膳されるのが当然だった。

それが今や、食事一つにおいても“自ら動かなければ飢える”という現実。


──ここは、ただの職場ではない。

この国では、昼食すらも“戦”なのだ。


「え? あのからあげ弁当狙うなら、マジで急いだほうがいいっスよ」


「からあげ……?」


「人気なんス。秒でなくなるんスよ。秒で」


秒で? 本当に“戦”ではないか。


私はスマートフォンを手にした。

目指すはビル地下のコンビニ。制限時間は一時間、否、移動・待機・消化を差し引けば実質二十五分──


「──了解しました。補給任務、開始いたします」


私は静かに宣言し、戦場へと足を踏み出した。


展開①:からあげとの出会い

 昼休みのチャイム――というより、社内では無機質なタイムアラートが鳴ると同時に、田辺は席を立った。

 頭には、朝の朝倉ななの言葉がこだましている。


 ――「人気No.1の唐揚げ弁当は、マジで秒速で消えますからね~。新人は最初それで詰みます」


「詰む……弁当で、詰む……なるほど。戦略ミスは命取り、と言いたいのか」


 まだ慣れぬデスクワークと、慣れぬ言葉遣いの同時進行で頭は混乱気味だが、彼の目は真剣だった。

 給仕係の不在という職場ルールに一抹の寂しさを感じつつ、田辺は颯爽と外に出る。


 目指すは、ビルの裏手にある《日替わり弁当・三光軒》。


 ――初陣で勝利を掴まねば、昼の活力を失うことになる。

 それはすなわち、午後の戦場(業務)において敗北を意味する。


「からあげ。からあげ弁当……その名も力強く、いかにも覇者の風格。

 この国の食文化においても、肉は“力”の象徴なのだな……!」


 口元に笑みすら浮かべ、田辺は店頭へ到着する――が、


「……ない」


 ケースに並ぶのは、焼き魚弁当とひじき煮弁当。

 そこには、ひときわ豪奢な“からあげ”という名札が、無言で空のトレーを示していた。


「完売……!? まだ、休憩開始から三分も経っていないというのに……!」


 田辺は、まるで自国の軍馬が撃ち倒されたかのようなショックを受ける。


「これが……昼食戦争……! この国では、“弁当”すら戦場なのか……!」


 たかが弁当、されど弁当。

 かくして、貴族上がりの新入社員は“食”においても、生存競争の厳しさを知るのであった。


展開②:敗北の学びと観察


鮭、であった。


弁当屋のショーケースに整然と並ぶ弁当群。その中で、たしかに「鮭弁当」は最も手つかずのまま、美しい形で残されていた。


「……敗北、ですね」


わずか数分の出遅れで、“からあげ”という名の戦利品は跡形もなく消え去っていた。田辺は静かに鮭弁当を手に取り、社内の休憩スペースへと戻った。


「見事な焦土作戦……唐揚げという唐揚げが全滅とは……」


やや落ち込んだ面持ちで席についた田辺は、鮭の皮を丁寧に箸で剥がしながら、ふと周囲を見渡す。


目に入ったのは、ギャル風の後輩社員・朝倉ななだった。


「ん〜〜今日の映えポイントは……このパプリカやな♡」

「えっ、今日も“投稿”なさるのですか?」


朝倉の手元には、まるでパレットのように色彩豊かな手作り弁当が広がっていた。緑、赤、黄――カラフルな副菜が映えるその様子を、彼女はスマホで数アングルから撮影している。


「そやで〜!“#手作り弁当女子”タグで毎日更新中〜♡」


「……まさか、食事までもが“表現”であり、“戦場”なのですか?」


その一方、隣の席では営業部の若手男性が、コンビニの大盛りカップ焼きそばを一気にすすり、3分で食事を終えて仮眠に入っていた。


「なんと……このわずか一時間の中に、“補給”と“交流”、そして“再起動リブート”までも……!」


田辺の脳裏に、帝国時代の昼休みの情景が浮かんだ。給仕係によって運ばれた食事、悠然とした昼下がり、談笑とお茶――。


「現代日本の昼食とは、まるで機械のような効率と、貴族的な美学の二重構造に貫かれた戦場……!」


鮭を咀嚼しながら、田辺は深く思索した。


彼の中で“からあげ”はもはや単なるおかずではなかった。


それはこの国の「戦術」そのものであり、適応すべき文化であり、社畜という名の冒険の第一関門なのであった。


 


――その日の夜。田辺は思わず、Excelのセルに以下の名を打ち込んだ。


《唐揚げ弁当確保計画書.xlsx》


そしてそのセルには、こう記された。


=IF(時間<=11:58,"勝利","敗北")


彼の挑戦は、まだ始まったばかりだった。



展開③:戦術的昼食戦

――それは、補給作戦だった。


「限られた時間、限られた資源、限られた選択肢……。これは、ただの昼食ではない。補給任務である」


 前日の敗北(※からあげ弁当完売)を教訓とし、田辺は新たなる戦略を打ち立てていた。


「まず、業務の区切りを見極め、12時のチャイムよりも早く動く。机の上を整理し、財布とスマホを手に、即座に出撃体勢に入る――」


 もはや動きは軍略である。


 11時55分。オフィス内に流れる“昼の気配”を肌で察知し、田辺は椅子からスムーズに立ち上がる。


「準備、完了」


 小声でそう呟き、誰よりも早くエレベーターに乗り込む。


「勝負は始まる前から決しているのですね……」


 目指すは――駅前の弁当屋「キッチンこばやし」。ターゲットはもちろん、あの「からあげ弁当」。外はサク、中はジュワ。人類の欲望を凝縮した黄金の塊である。


 徒歩2分の距離を、1分34秒で踏破。全力である。


 そして、店頭。


 ――残り、3個。


「間に合った……!」


 速やかにひとつを手に取り、購入。その瞬間、背後からOLたちの「え〜もう売り切れ〜!?」という悲鳴が飛ぶ。


 田辺はゆっくりと振り返り、ひと言。


「……戦いは、準備の段階で決まるのです」


 昼休みの机の上。唐揚げ弁当が、まばゆく輝いていた。


 一口目。


「――ああ、これが……勝利の味……!」


 その瞬間、田辺の中で何かが覚醒した気がした。


 戦うOL・田辺の「昼食戦記」、ここに幕が上がる。


結末:弁当と戦略の目覚め


静まり返ったオフィスの休憩スペースに、からあげの芳ばしい香りがほんのりと漂う。


田辺・フォン・グランディエールは、慎重に箸を動かしながらも、今日の“戦果”をひと口ずつ噛み締めていた。


「……うむ。これは……まさに勝利の味……!」


昨日の敗北を経て立てた戦略――“弁当屋に行く最短ルートの確認”、“休憩開始5分前のトイレ完了”、“財布の位置をあらかじめ右ポケットに”――それらが功を奏した。


手帳を取り出し、さらさらと書きつける。


『昼休みとは、静かなる戦である。だが、戦には策がある。』


ふと隣を見ると、朝倉なながスマホ片手に笑っていた。自作の彩り豊かな弁当を撮影し、「#映え弁当」「#社畜ランチ」でインスタに投稿中だ。


田辺は思う。


(……あれもまた、一種の“勝利宣言”なのだろうな)


からあげを一つ摘まみ上げ、じっと見つめる。


その黄金の衣の下に、じゅわっとした旨味が閉じ込められている。衣のカリッと感、肉のジューシーさ、そして――


「なんと、からあげとは、ここまで人の心を掴む魔力を持つのか……!」


驚愕し、ひとり小さく頷く。


そしてこの日、田辺・フォン・グランディエールは知った。


社交界の仮面舞踏会よりも、魔導書の研究よりも、遥かに過酷な戦いが――

昼のわずか60分間に詰め込まれていることを。


日記のページが閉じられる。


『本日記録:弁当戦線、第一勝。戦術的勝利による確保。

カラアゲの魔力、危険。明日以降も要観察。』


そして彼は静かに、戦術家としての目を輝かせながら、次の昼に備えるのだった。


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