表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/13

社内戦争とおっさん革命 ──テーマ:真の強者は、地味な顔をしているのよ──

内部告発という爆弾

朝のオフィスを、乾いた電子音が切り裂いた。


ピコン、と鳴った瞬間、ざわりと空気が揺れる。


「なにこれ……?」


「え、嘘でしょ……」


ざわつく声と共に、モニターに向かう社員たちの顔が一斉に強張る。


田辺も、ゆっくりとメールを開いた。


──件名:【内部告発】営業Aチーム経費水増し工作について


──内容:

営業第一部Aチームが組織的に経費精算を水増ししており、経理部の特定職員もそれに協力していた形跡があります。

以下、関与が疑われる経理部職員の実名リストです。


田辺の目が、ある名前で止まった。


「朝倉なな」


若手のホープ、業務支援課きっての元気印――その名が、無慈悲に晒されていた。


「……うそでしょ……」


ガタ、と椅子を引く音。朝倉ななが、膝に力が入らず座り直した。

顔は真っ青。握った手が小刻みに震えている。


「田辺さん……あたし、終わりっすかね……?」


細い声が、まるで冬の隙間風のようにオフィスをすり抜ける。


だがそのとき、田辺の背筋はピンと伸びた。

騒然とする中、彼だけが静かに、自席に腰を下ろす。


ブラインドタッチでPCを起動し、フォルダを開く。

先週の経費処理データ、承認フロー、過去の対応履歴――すべてはそこにある。


「終わらせたくなければ、終わらせなければいいだけだ」


低く、冷静な声。

それはまるで、戦場に立つ軍師のような静謐さを帯びていた。


田辺係長(43)、平凡な社畜。

──その実、社内戦争を制する地味な革命家だった。


「……じゃ、今日のコンプラ会議は、俺が司会やりますね」


営業部・大迫マネージャーの開口一番、妙に明るい声が広い会議室に響く。

だがその笑顔の奥には、明確な“処刑人”の意思があった。


大迫の隣に座るのは、経理課のベテラン、佐野主査。

古参でありながら権威と保身を愛し、今なお「経理部の門番」と呼ばれる男。

ふたりの目配せは、すでに全てが仕組まれた段取り通りであることを物語っていた。


「では早速、本題に入りましょう。今回、社内匿名メールにより告発された“経費不正疑惑”についてですが……」


スライドに映されたのは、例の経費処理票のコピー。

提出者:営業Aチーム。処理担当:経理部 朝倉なな。

目立つ赤線で強調されているのは、“申請額と実支出の乖離”。


「ここですね。経費処理に重大な瑕疵がある、という指摘。社内倫理の根幹を揺るがす話です」


ざわ……と空気が乱れる。

会議室の壁沿いには、他部署の幹部や部長クラスが黙って座っていた。

その視線が一斉に、ひとりの若い女性に向けられる。


「……あたし、朝倉ななです」


震える声で立ち上がる朝倉。

書類を抱きしめるように胸に当て、俯いたまま続ける。


「申請内容は、すべて営業部側の入力をもとに処理しただけで……私は……」


「“言い訳”にしか聞こえませんねぇ」


スパッと、大迫の声が飛ぶ。

ニヤリと口角をあげながら、彼は朝倉の言葉を遮った。


「そもそも、経理とは“正確に数字を読む”職責。いくら営業部の言いなりとはいえ、あなたはそのまま通したわけでしょう? なら“共犯”じゃないんですか?」


「……っ!」


朝倉の目が潤む。

だが助け舟は、上司である佐野主査からも出なかった。


「この処理は、私のチェックから外れていました。彼女が単独で処理したものでしょう。……組織としても、非常に遺憾です」


そう言って、佐野は何の感情も込めず、朝倉を切り捨てた。


その瞬間。

田辺はゆっくりとPCを閉じ、椅子から立ち上がった。


ネクタイをゆるめ、名札を外し、静かにスーツの袖をたくし上げる。


――これが「裁判」なら、証拠と真実を持つ者が最強だ。

社内の誰より地味で、誰より淡々と働く男が、今、戦いの場へと歩み出る。


「……すみません。その議論の前に、事実確認を提案してもよろしいでしょうか」


敵派閥の粛清ショーは、ここから崩壊していく。



「……その前に、ひとつだけ。事実の提示をさせてください」


静まりかえった会議室に、田辺の声が落ちる。


誰もが彼の存在を忘れていた。

いや、正確には、空気と同化していたのだ。

年季の入ったスーツ。くたびれたYシャツ。ノー感情の目元。

定時退社、無抵抗主義、昼はからあげ定食オンリー――そんな「地味なおっさん」田辺が、

この場で突然、立ち上がった。


「……田辺くん? 今はコンプラ会議の途中だ。発言は――」


「記録、残ってますよね? この会議。なら、全員で見ましょう」


田辺は手元のUSBメモリを取り出し、プロジェクター端子に差し込む。


次の瞬間――


「っ……!?」


「なんだ、これ……」


スクリーンに現れたのは、膨大なデータの羅列だった。

処理ログ。決裁ルート。メールのやり取り。承認者の一覧。

タイムスタンプの全記録。


田辺は無表情のまま、淡々と話し始める。


「まずこちら。問題とされている経費精算のログです。

すべて、タイムスタンプつきで処理経路が追えます。

朝倉さんは、上司である私の承認を経て、そのまま部門承認に回しただけ。

しかもこの処理フローは――設計したのは、佐野主査。あなたですね?」


「っ……!」


「そしてこちらが、営業部Aチームからの『支出調整依頼』メール。

つまり、“予算オーバー分を別項目で処理しろ”という依頼。

これに対し、業務支援チームでは『本来望ましくないが、経理課の佐野主査がOKなら』と明記。

佐野主査は“問題なし”と明言して承認しています。ログにあります」


画面には佐野主査の承認印が光る。


「さらに、経費コードの誤使用があった件。

これは旧システムのデフォルト設定の不備で、自動変換ミスによるもの。

現在は修正済みで、再発防止策も完了しています。

……つまり、“誰のミスでもない”。

責任の所在があるとすれば、それはシステムの初期設計段階――

当時のプロジェクトリーダーにありますが、それも明記されています」


会議室に、沈黙が走る。


田辺の言葉は、怒ってもいなければ、攻撃的でもない。

ただ、冷静に、事実を積み上げていくだけ。

だがその「地味すぎる真実の重さ」が、参加者たちを圧倒していく。


「誰かを吊るし上げることが“改善”ではない。

真の強者ってのは……騒がず、冷静に、仕組みそのものを変えられる人です。

――それだけ、です」


一礼して、田辺は静かに腰を下ろした。


その姿はまるで、ひとつの嵐が過ぎ去った後のようだった。


昼休み明けのオフィスは、どこか重たい沈黙に包まれていた。

あの“コンプラ会議”からまだ一時間も経っていない。


田辺はいつものように自席に戻り、湯気の立つマグカップを手に、ゆっくりと椅子に腰を下ろす。

その隣、目を赤くした朝倉ななが、ペコリと頭を下げた。


「田辺さん……ほんと、ありがとうございました……」


田辺はちらと彼女を見たが、すぐ視線をPC画面に戻し、マグをひとすすり。


「お礼はいい。仕事に戻ろう」


その口調は淡々としているのに、どこか背筋がしゃんと伸びるような、不思議な迫力があった。


——今朝まで泣きそうな顔でファイルを抱えてた地味なおっさんが、

——さっきまで社内最強の権力者たちを、冷静に“データ”で粉砕したのだ。


「あの……田辺さん、強いっすね……」


朝倉がポツリとつぶやく。


田辺は少しだけ視線を横に流し、そしてまた、コーヒーをすすった。


「……強さってのは、声の大きさじゃない。黙ってやるべきことをやるだけだ」


そう言って、彼はひとつ深いため息をつき、椅子をくるりと回して画面に向き直る。


——キーボードを叩く音だけが、静かな戦場に、再び鳴り響きはじめた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ