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第五章:師の消失

その報道は、週末の深夜帯にひっそりと流れた。


「元衆議院議員・蓮見静雄氏、複数の政治団体との不透明な資金関係が発覚」


翌朝にはワイドショーが一斉に報じ、週明けには主要週刊誌が軒並み後追い記事を掲載していた。

「裏金スキームの実態」「マネーロンダリング疑惑」「告発された“架空団体”の正体」──テレビの画面では、眉をひそめたコメンテーターたちが口々に憶測を並べ、新聞の見出しはどれも“疑惑”という言葉を巧みに使い分けていた。


だが、榊原には違和感しかなかった。


すべてが「整いすぎていた」。


告発者は、名前も聞いたことのない市民団体の代表とされていたが、その声明文は妙に洗練されており、提出された証拠資料も過不足なく、制度的なツボを正確に突いていた。

そして何よりも──「財務省の資料」が引用されていた。


榊原はすぐに思い当たった。


蓮見が最も敵を作った場所──それは、霞が関の中でも特に冷徹な牙城、財務省主計局だった。


かつて蓮見は、国会の場で繰り返し「財政情報の閉鎖性」を批判し、「財政透明化法案」「政策コスト開示法案」など、官僚の権限を縮小させる立法を試みてきた。だがそのどれも、委員会段階で潰され、成立に至ることはなかった。


それでも彼は諦めず、裏では記者や若手議員、研究者たちに地道に接触し続けていた。制度の裏側にある「設計思想」を暴こうとしていた。

──それは、国家の“OS”に手を突っ込むような行為だった。


榊原が蓮見に会いに行ったのは、報道から一週間が経った頃だった。


場所は、都内の場末にある古びたビジネスホテル。

かつて永田町の裏を知り尽くした男が、今はその片隅で身を潜めていた。


榊原がドアをノックすると、蓮見はすぐに応じた。


かつてのような仕立てのいいスーツはなく、代わりに彼の体を覆っていたのは、毛玉の浮いたニットと色褪せたジーンズ。足元にはスリッパ。

部屋にはテレビもついておらず、ただ古いデスクの上に開かれた手帳と、消しゴムの粉が散らばっていた。


「来ると思ったよ」


蓮見は、以前とは違う声音でそう言った。

タバコの匂いもなかった。榊原が知っていた蓮見の“匂い”が、まるで消えていた。


「……あなたが崩れるなんて、思わなかった」


榊原は率直に口にした。


「潔白なんですよね?」


蓮見は、一瞬だけ榊原を見つめ、それから視線を手帳へ戻した。

ペンの動きを止めないまま、静かに笑った。


「“潔白かどうか”なんて、もう意味のない言葉だ」


「問題は、“いつ潰されるか”だよ。

 俺は長いこと、制度の“設計図”を喋りすぎた。それだけさ」


その声には、悔恨も怒りもなかった。ただ、諦念と、それでもなお観察を続ける政治家の冷静さがあった。


「正直、ここまで生き延びたのが奇跡だったんだ」


榊原は、迷いを押し殺すように言葉を継いだ。


「だったら──最後まで、一緒に戦ってほしい。

 “今の制度じゃ国は立て直せない”って……あなたが言ったじゃないですか」


蓮見はようやくペンを置いた。そして、じっと榊原の目を見つめた。


その瞳には、かつて弟子を見守った優しさはなかった。

代わりにあったのは、一種の「警告」だった。


「鷹彦、お前は……俺の想像より、ずっと危険な思想に近づいている」


「お前は、“制度の修復”を望んでいない。

 “制度に主権がある”という考えそのものを、否定しようとしている」


榊原は、息を飲んだ。


蓮見は続けた。


「それはもはや、“民主主義の調整”なんかじゃない。

 国家の“意味”を問い直す、構造の“再定義”だ」


「……俺には無理だった。だが、お前は、それをやるつもりなんだろうな」


榊原は、はっきりと頷いた。


「はい。

 先生が描こうとした“未来”──その続きを、俺は描きます」


「でも、その方法は……たぶん、あなたが思ってたより、もっと過激になる」


蓮見は、わずかに笑った。


だがそれは、弟子の成長を喜ぶ笑顔ではなかった。

まるで、自分が育てたはずの人間が、“別の何か”に変貌してしまったことを認めざるを得ないような、どこか哀しみに近い苦笑だった。


「鷹彦……お前だけは、その“何か”を変えてくれ。

 俺にはできなかった。けど、お前には、それが……」


彼は言葉を濁した。


しばらく沈黙が流れた後、蓮見は小さなため息とともに口を開いた。


「制度を変えるには、外から殴るしかない。

 中にいる限り、人間は制度に“従属”してしまう。……皮肉な話だろ」


榊原は、ただ黙ってその言葉を受け止めた。


蓮見はそれ以上何も言わなかった。

まるで、これが二人の会話の“終点”であるかのように。


だが榊原は、なぜかその沈黙に「終わり」の気配を感じなかった。


むしろ──それは「中断」だった。


何かが終わったのではなく、どこかで“待たされている”ような、そんな感覚が胸に残った。


数ヶ月後、蓮見静雄の名前はメディアから完全に消えた。

SNSにも、ニュースにも、どこにも痕跡はなかった。

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